はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

超急戦! 後手5五歩位取りvs先手横歩取り 

2012年11月23日 | 横歩取りスタディ
 前回、前々回と第6期名人戦「木村義雄名人vs塚田正夫八段」その第1局~第6局を紹介してきました。その星取りは挑戦者塚田正夫から見て●●△○○○(△は持将棋)となっています。あと一番、塚田八段が勝てば、ついに9年間「名人位」に君臨した「不敗の木村」が倒れ、かわりに新しい名人が誕生するのです! 
 塚田正夫、東京小石川生まれ、32歳、花田長太郎門下。

 さて、第7局は「後手5五歩位取りvs先手横歩取り」の戦型となりました。塚田が先手、後手が木村名人です。

 上のこの図は、現代では「ゴキゲン中飛車の出だし」という認識になると思いますが、この当時は違います。これを指す後手の考えは、“居飛車の5五歩位取り”なのです。(ちなみに、平手戦での振り飛車ブームが来るのはこの時より15年以上も先のことになります。)

 初手より▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩、と4手指してこの図になるのですが、この4手目の「△5四歩」がたいへん味わい深い手でして、先手が「ど素人」だったなら、2二角成、同銀、5三角から“成角”をつくりたいと考えそうなところ。ところがそれはうまくいかない。5三角に、4二角とすれば、先手は同角成とするしかない。角を成る場所がどこにもない。もし3手目に先手が指した▲2六歩が突いていなかったならば、2六角成とできるのだが…。
 つまり先手が3手目に▲2六歩とした瞬間は“成角”をつくる手がないので、そのタイミングでの4手目「△5四歩」ということです。(このあたりはゴキゲン中飛車の基本知識。)

 さて、その4手目「△5四歩」(と次の△5五歩)というこのオープニングを将棋棋譜の歴史上、最初に指した人物は、どうやら天野宗歩(あまのそうほ)らしいんですな。内藤国雄著『棋聖 天野宗歩手合集』の棋譜第23局の解説にこう書いてあります。
 〔△5四歩-△5五歩 宗歩師が編み出した新手法で、現代でも力将棋が得意な棋士に好まれている。〕
 この内藤さんの本が出版されたのは、1992年なのでゴキゲン中飛車など全然流行しておらず、それで「力将棋が得意な棋士に好まれている」という地味な表現になっています。僕はこの『棋聖 天野宗歩手合集』を買いたいけれど、どうしようか、と迷っているところ。なにしろ値段が4,725円。図書館で読めるしなあ…。でも、欲しい。


 それで上図から▲2五歩 △5五歩と指して

 こうなるわけです。ここで「ゴキゲン中飛車」の定跡と離れました。

 ゴキゲン中飛車の場合は、6手目△5五歩で、5二飛と指すのが定跡の手順です。もし先手が2四歩、同歩、同飛とくれば、8八角成、同銀、3三角(または2二銀)で後手がやれる、というのがゴキゲン党の言い分。その言い分はたぶん正しいので、だいたいはここで2四歩とは行かない。行かないが、ただし、ここで5八金右として、後手の5五歩に、そこで2四歩と行く手はあって、これは優劣不明の戦いになる。これがゴキゲン中飛車の“超急戦”で、その定跡は常に変化してきている。プロでも数多く指されており有名なのは2年半前の王将戦の第6局、羽生善治-久保利明戦。これは久保さんがついに羽生さんからタイトルを取った一局です。(陣屋での対局でした。)
2010年王将戦第6局 羽生善治‐久保利明戦
 図の、久保の5九金の発見が勝利を呼び込んだ。羽生の6五香に、6九金が、6八銀、6七玉、7七銀成からの詰めろになっており、そして後手玉は詰まない!


 ゴキゲン中飛車では5二飛とするところを、「△5五歩」としたのが、1947年の第6期名人戦第7局であり、また、大橋宗民-天野宗歩戦(1845年)である。
 「なぜ、5二飛じゃないのか?」って、そりゃ、後手は「居飛車のつもりで△5五歩と位を取っている」からです。場合によっては応急的に5二飛とすることもあるけれど、基本的には「居飛車」で行きたいのです。


 ▲2四歩 △同歩 ▲同飛 △3二金 ▲3四飛、と指して下図。

 この戦法では、先手は▲2四歩と飛先の歩交換ができます。(ここがゴキゲン中飛車とはっきり違う。)そして、先手塚田正夫は「▲3四飛」と、‘横歩’を取りました。塚田八段は‘横歩取り’が好きなのでした。(ここは横歩を取らない指し方の方が当時は多い。)

 この名人戦七番勝負、塚田が先手の1、3、5局は、初手より▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀という出だしで「矢倉」の戦いになっています。この第7局でも、もし後手の木村名人が△8四歩を選択していたら、やはり「矢倉」になっただろうと思われます。矢倉でたたかって名人が負けているというわけでは全然ありませんが(木村○△●)、名人はちょっと矢倉はもういい、と思ったのかもしれません。当時の観戦記には、「名人はそれまで横歩取りを避けて、2手目△3四歩とはしなかったのだろう、なぜなら塚田八段の得意戦法で研究が深そうだから」というようなことが書かれています。

 しかし、実際には‘横歩取り’の戦型は、先手でも後手でも、木村名人もまた「得意戦法」なのですが。


 ここで名人、△5二飛
<基本図>
 この12手目までの図を<基本図>とします。
 先ほど、当時の後手のこの「5五歩位取り」戦法は、「居飛車」の戦法なのだ、と書きました。しかし、木村名人は「△5二飛」。これは、“非常事態宣言”のようなもので、塚田八段が「▲3四飛」と、横歩をかすめ取った手を“後悔させてやろう”という意味も含む手なのです。もし塚田が横歩を取らないで2八飛と引いていたなら、これは「穏やかな展開に」なりました。そう進む将棋の方が当時は多い。でも、塚田は、横歩をとった。木村が△5二飛としたのは、次に先手から5四飛などという手があるのでそれを防ぎつつ、しかし△5六歩からの「超急戦」の攻め合いを見せて脅かしているのです。
 問題は、塚田の「次の手」です。

 塚田八段は13手目「▲2四飛」。 これが“問題の手”なんですね。いちばん、“突っ張った手”です。

 でもここでも後手が穏やかな道を選ぶならそれもできます。△4一玉や、△2三歩もあって、むしろそう指すのが当時としては“ふつう”。しかし、先手の「▲2四飛」には、“挑発”の意味もあってですね、「来れるものなら‘5六歩’とやって来い!」という意思が含まれているんです。というのは、この1年ほど前に、この二人は同じ将棋を指しているのです。先後も同じ。その時は後手の名人が、なんと38手で完勝しています。それと同じ道をなぞって、塚田はもう一度木村名人に挑んでいるわけです。「今度は負けないよ」と。
 その挑発に名人が、乗るか、やめとくか…。 それで名人は長考に沈みました。

 木村義雄、行きました、14手目「△5六歩」。 “超急戦”!


△5六歩 ▲同歩 △8八角成 ▲同銀 △3三角

 「△5六歩」は、木村名人が4時間13分を使って指した決断の一手。何しろこれに「名人位」の行方が懸っています。この将棋を負けたら、ずっと保持してきた名人位を明け渡さねばならないのですから。それでも、持ち時間8時間の内の4時間13分ですので、これは相当の消費です。
 一見、「ゴキゲン中飛車」の「超急戦」とも似ていますが、違いもあります。先手は金を動いていない、後手は3二金を上がっている、先手は‘横歩’を取ったので歩が3枚、という点です。するとかなり違いますね。

 さあ、これはどうなるのでしょう!?





 などと煽っておいて、ここでちょっと脇道にそれて、過去のいくつかの例を見てみましょう。この「後手5五歩位取りvs先手横歩取り、超急戦」のお勉強のために。(自分的にはどっちかというとこっちがメインのつもりで書いています。)


■まず、天野宗歩の将棋から。
 1845年、大橋宗-天野宗歩戦。(浦賀の黒船来航の8年前です。)

 <基本図>から、大橋宗民(八代目宗民)は、2四飛とせず、3六飛と引いた。こうすれば一応、穏やかな展開になります。だけどちょっと飛車が使いににくくなるんですね。すかさず天野宗歩4四角。こうなると2筋に飛車が戻れない。だから3六飛では、“できれば2四飛と指したい”というのがあるわけです。(だけども2四飛はリスクがある。)

 ということで、先手は飛車を7六に。ひねり飛車ですね。宗民、ここで3七桂として桂馬の交換を先手から迫ります。この後宗民はあばれようとしますが、宗歩にすべて読み切られ――。

 でました、「角使いの名人」宗歩の角打ち。以下、3九飛、3八歩、2九飛、7六歩から宗歩が攻めて寄せきりました。

 大橋宗民の指した13手目「3六飛」は、一応現代でも「ある手」となっています



■近代になって、この形が現れたのは1935年(昭和10年)、加藤治郎-市川一郎戦。
 13手目2四飛。(名人戦と同じです。) 以下、5六歩、同歩、8八角成、同銀、3三角、2一飛成、8八角成、7七角、8九馬、1一角成、5七桂、5八金左、5六飛、6八桂と進んだ。

 図から、4九桂成、同玉、5七歩、5六桂、5八歩成、同玉、6二玉、6六馬。 6六馬と引いた形が先手の守備をぐっと引き締めている。加えて6八桂と打った桂馬が5六桂と飛車を取り、さらにはこの桂が最後は敵玉の詰みに一役担うこととなる。
投了図
 先手加藤治郎、勝利。61手。 投了図からは、8二玉、7二金、同玉、6四桂打と‘つなぎ桂’で詰み。

 この将棋が、この型の基本定跡となる。この勝負は先手が勝ったが、後手に有望な手が見つかれば、結論はひっくりかえる可能性がありそう。 1947名人戦第7局もこの将棋がベースになっている。

 



■1935年、山本樟夫-小泉兼吉戦。

 名人戦第7局と同じに進んで、 2四飛、5六歩 同歩、8八角成、同銀、3三角、2一飛成、9九角成、7七角、8九馬、1一角成。ここまでは誰もが読める展開で、問題はこの後。小泉は「6七馬」。以下6八金、7六馬、7七歩、7五馬、6七桂…

 これは先手盤石。8八竜とまわって、後手陣を押しつぶし、山本樟夫(くすお、と読む)勝ち。

 どうも後手、「6七馬」(24手目)では勝てそうもない。 

 


■1936年、坂口允彦-平野信助戦。
 先手坂口は2四飛。 5六歩、同歩に、平野は、△8八角成とせず、新手を出した。「5六同飛」。
 対して、先手は、「5八歩」(17手目)。

 以下駒組みとなり――

 ここから後手の2四金に、先手が5八飛と飛車交換を迫る展開となり、結局飛車を交換したが、飛車打ちに弱い後手は飛車を5一飛と自陣に打たねばならず、先手が指しやすくなり、先手坂口允彦(のぶひこ)の勝ち。

 後手平野信助の14手目からの「5六歩、同歩、同飛」は現代でも通用する手
 対する先手坂口允彦「5八歩」(17手目)は、ないことはないが、つまらない、と評価されている



■1941年、塚田正夫-渡辺東一
 これは「宗民-宗歩戦」と同じ13手目「▲3六飛、△4四角」の将棋に。

後手の4四角が好位置なので、4六歩から4五歩で角を追う。以下、3三角、4八金、6二銀、2六飛、5三銀、… 


 進んで、ここから猛烈な展開に。後手渡辺が6四角としたので、塚田がチャンスと見て、攻めた。2二飛成、同金、4三歩成、5四飛、7七桂、7六銀、6五銀…。 しかし結局、うまく対応した渡辺が「居玉」のままで、勝利。

 13手目「3六飛」の展開は面白い将棋になる。「宗民-宗歩戦」も「塚田-渡辺戦」も先手の攻めがいなされた。先手が勝つには何か工夫が必要かも




■1941年、花田長太郎-木村義雄戦。
 この形を研究し、13手目2四飛以下の展開に自信のあった花田長太郎、名人木村義雄を相手に先手番でその研究手を披露した。
 2四飛、5六歩、同歩、8八角成、同銀、3三角、2一飛成、9九角成、そこで、「2四桂」(21手目)。 これで先手有利と花田は見ていた。

 花田八段の自信の「2四桂」だったが、木村名人の応手に空を切ることになる。

 木村は、「6二玉」。
 これには、「4一角で先手良し」と花田は思っていたようだ。ところが4一角、5六飛、5八歩に、4二金。これが花田の意表を突いた。以下、3一竜、4一金、同竜、8九馬となってみると、「角と金銀の二枚替え」ではあるのだが、2四に打った桂馬が空振りになっている。竜と持駒の金銀だけでは後手玉は寄らない。というわけで、3二桂成とこの桂を使おうと考えたが、木村の攻めの方がずっと速かった。

 9八飛と、こんなところに飛車を打つようでは、もう勝ち目はない。図以下、4八銀成、同飛、2八金まで、わずか52手の短手数で、後手木村名人の勝ち。

 花田長太郎の「2四桂」(21手目)は、木村の6二玉でつぶれた
 この時点でこの型の「超急戦」は、「後手優勢なのか」とささやかれ始めたが…。まだ実戦例が少ない。



■1942年、渡辺東一―神田辰之助戦。(大東亜戦争が前年12月から始まっている。)

 12手目の<基本図>から、渡辺東一は、飛車を動かさず、5八金右とした。 以下、3三角、3六飛、4四角、4六歩、3三金と進み…

 こんなふうに。 ここから、“殴り合い”に。
 2六角、3三角成、同桂、3四金、2五飛、3三金、5一銀、5五桂、1五角、4三桂成、2九飛成…、以下後手神田勝ち。

 5八金右は新手だったが、今では疑問手とされている模様。5八金右に、5六歩、同歩、8八角成、同銀、3三金とする手がある。以下、3六飛、2二飛、2六歩、2七角なら後手良しという。
参考図

 ということで、渡辺東一の「5八金」(13手目)は、今では疑問手となっている


 渡辺東一の関連記事
 『関宿と東宝珠花
 『京須八段の駒



■続いては1942年の暮れ、「加藤治郎-木村義雄戦」朝日番付戦、東西の優勝者同士の決戦ということで、三番勝負が行われました。東の優勝者は木村義雄名人、対して西の優勝者は加藤治郎八段でした。加藤は燃えました。この三番勝負が、3つ共に、「後手5五歩位取りvs先手横歩取り 超急戦」の戦型になったのです!

 その第1局、基本図から2四飛、5六歩、同歩、8八角成、同銀、3三角、2一飛成、9九角成、7七角、8九馬、1一角成、5七桂と指しました。ここまでは先の1935年「加藤-市川戦」と同じ進行です。(これまでの実戦例はこれのみ。)ここで「市川戦」では加藤は5八金左、5六飛、6八桂と指して、そして勝ったのですが、その加藤が「木村戦」では手を変えました。

 この続きは次回に。


 実は「1947年第6期名人戦第7局 塚田正夫vs木村義雄戦」もここまではまったくこれと同じ進行です。下にその図を掲げておきます。
<基本図>より、▲2四飛 △5六歩 ▲同歩 △8八角成 ▲同銀 △3三角
▲2一飛成 △8八角成 ▲7七角 △8九馬 ▲1一角成 △5七桂
 

 図は△5七桂(24手目)まで。 さあ、あなたなら、どっちを持ちますか?



・“戦後”、木村・塚田・升田・大山の時代、の記事
  『高野山の決戦は「横歩取り」だった
  『「錯覚いけないよく見るよろし」
  『「端攻め時代」の曙光 1』 
  『「端攻め時代」の曙光 2
  『「端攻め時代」の曙光 3
  『超急戦! 後手5五歩位取りvs先手横歩取り 』
  『新名人、その男の名は塚田正夫

・“戦後”の横歩取りの記事(一部)
  『京須新手4四桂は是か非か
  『小堀流、名人戦に登場!
  『「9六歩型相横歩」の研究(4)
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