はんどろやノート

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南禅寺の決戦 5  あなたならどう指す

2012年11月06日 | しょうぎ
 今回は棋譜の続きを追うことをストップし「ここであなたならどう指す?」として、先手木村の次の手を考えて見てほしい。

 持ち時間は10分としましょう。あなたは何か指さなければなりません。
 さあ、どう指す?

 先手良しの局面ですが、あまりのんびりした手だと、後手には△6四角とか、△4七角のような手があって逆転されますよ。 
 だからここで決めなきゃ。



 「南禅寺の決戦」、この図は、先手木村義雄が▲5三歩とし、後手坂田三吉が△5一歩と受けたところです。
 実をいうと、すでにほぼ勝負は決着がついています。(終盤の捻じりあいを期待している方には申し訳なにのですが、これが事実なので。)
 ▲5三歩に△同銀では浮き駒になって勝てないので、△5一歩ですが、これではもう後手は勝てないのです。▲5三歩が決め手でした。
 すると坂田のどの手が悪かったのかということになりますが、26手目△2四歩の仕掛けまで戻って、「仕掛けが悪かった」としか、解説の余地がなさそうなんですよね。それくらい、序盤から終盤までの「木村の指し手に隙がなかった」ということなのです。
 この後の棋譜は次回に見てもらいますが、坂田は△5一歩を打たされているために、5筋の歩の攻めがない。これが大きいのです。△5八歩とか、△5七歩とか、そういう攻めができなくなっている。

 と、まあ、解説を読んで解釈するとそういうことになります。木村・坂田の勝負の決着はここで終わった。
 でも、それは先手が「木村義雄」というこの当時の“最強者”だからであって、この対局の対局者が“私たち”であるとしたら、全然別の話ですよね。

 ということで、もしこの先手が私だったら、あなただったら、ここでどう指して優勢を拡大していくか、上のこの図はそういう問題とみて考えてください。解答は次回、木村名人の指し手を見ることで明らかになります。



本所から見たスカイツリー。どっからみても同じたたずまいに見えるねえ、この塔は。


 坂田三吉(66歳)と木村義雄(32歳)は、この「南禅寺」以前にも一度将棋の手合わせをしたことがあるのです。その話を――。

 20年、遡ります。ですから木村義雄は12歳、まだ、「本所小僧二世」の時です。
 坂田が1917年に、東京に出てきて、関根金次郎を倒し、その1週間後に関根の弟子の土居市太郎に惜しいところで敗れたという話はすでにお伝えしました。(→『南禅寺の決戦2』)
 坂田三吉47歳のこの時が、坂田の将棋の絶頂期でした。その東京での二つの対局は、東京田町の柳沢という伯爵の屋敷で行われました。坂田は柳沢に大変世話になっており、その家のお嬢さんのことを「お姫様」と言っていたそうです。
 それで、すでにその時関根金次郎の弟子となっていた木村義雄少年が、実はその柳沢邸で書生として住み込んで働いていました。9歳で将棋を覚えた木村少年は、12歳になって関根門下生と認められました。関根にその仕事を紹介されたのです。坂田三吉のその二つの重要な対決が行われたのは10月でした。対局中、書生の木村はお茶運びなどをしました。
 柳沢伯爵はあるとき木村少年を呼び、坂田三吉と将棋を指してもらいなさいといいました。木村は喜び、「はい、お願いします」と答えました。
 坂田の飛車落ちで2番指しました。1局目は坂田勝ち。2局目はかろうじて木村が勝ったが、これは坂田がゆるめてくれたのかもしれない。木村は「なんて強い人なのだろう」と思ったそうです。
 そして20年後、京都南禅寺で対決したのですね。

 この1917年の坂田との飛車落ち対局の後、1か月後に木村義雄の母が38歳で亡くなったそうです。父の家業の下駄屋も左前で、弟や妹を養子養女に出さねばならぬような貧乏のどん底に苦しむこととなった木村義雄。柳沢邸で働きながら学校へも通っていたのですが、翌年、両方やめています。木村名人も10代では苦労したのです。
 ところで、この時期になんと義雄の妹あかり8歳は、あの松井須磨子のところに養女として出て行ったんですって。その後どうなったんだ~!? 気になりますね。女優松井須磨子にまともに子育てができるのかい??、ですよ。日本で一番人気の、気の強い女優だったという女ですからね。
 この人、たしか自殺したのではなかったかなあ、と思って調べてみたら、やっぱり。演出家の島村抱月(妻子あり)がスペイン風邪で死んだのを悲しみ、後追い自殺、1919年1月5日。ということは木村義雄の妹が養女に行って1年後くらいじゃないですか!


 さて木村と坂田のことで、面白いことに僕は気づきました。木村の生まれた家は上に述べた通り東京下町の「下駄屋」だったのですが、坂田三吉の親は何をしていたと思います?
 「下駄の表を作る仕事をしていた」と、『9四歩の謎』にあります。「表」とは、下駄や草履に張り付けるもののようです。飾りか何かですか。



 さてだらだらと続けてきた「南禅寺の決戦」シリーズ、次回「6」で〆です。
 (「南禅寺の決戦」って字面、「南海の大決戦」みたいですね。そりゃゴジラ・モスラ・エビラですよ。)