はんどろやノート

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「端攻め時代」の曙光 2

2012年11月19日 | しょうぎ
これは戦後初の名人戦(第6期名人戦1947年)その第1局で、挑戦者塚田正夫八段が木村義雄名人を相手に披露した矢倉における“新型端攻め”です。
 若い人の目にはこれ、あるいは珍しい形に見えるかと思われます。しかし昭和の「矢倉」の教科書にはよく載っていた気がします。僕はつい最近までこの形も「すずめ刺し」と思っていましたが、どうやら違うようですね。「すずめ刺し」と言うのは1953年に升田幸三が初めて用いた「2五桂」と跳ねる形だけを言うのですね。
 その升田さんの「すずめ刺し」に6年先駆けてこのような“端攻め”を示して見せたのが、この時32歳で名人戦初挑戦の塚田正夫(つかだまさお)でした。花田長太郎門下。東京都小石川生まれ。(「小石川」と聞くと『大岡越前』の小石川療養所の榊原伊織医師、帯刀無我さんを思い出します~。)

 この「銀型すずめ刺し」と言ってもよいような“塚田式矢倉端攻め”は、しかし、やろうと思ってもいつもできるものではなく、この対局では、後手番の木村名人が上の図の数手前に「1四歩」と端歩を受けたために、この“塚田式”を誘発したのです。
 こういう「2六銀」からの“端攻め”があるので、「矢倉の端歩は受けるな」という常識があって、今もそれは有効ですし、この1947年の時点でも、木村名人はそれをわかってて「1四歩」を突いたのです。
(上の図より11手前の局面)
 木村名人は「やってこい」という気持ちでいたのかもしれません。
 前回記事で、戦前は、「相掛り」が主流で、しかも「中央での戦い」がほとんどだった、ということを書きました。そういうことで、「矢倉」の将棋そのものが少なめでしたし、相掛りでも「銀」は中央へ進むので、端攻め自体も少なかった。それが戦後になって、この塚田正夫が、矢倉を武器に戦い始めた。そういう状況なので、「矢倉で端歩は受けるな」という格言はあっても、実戦例が少なく、それがどれくらい有効なのか、具体的にはプロ棋士もまだ理解できていなかったと思われます。
 それで、木村名人が「さあ、端攻めに来るなら来い」ということで、先手塚田の1六歩に、「1四歩」と受けた。そこから▲3七銀△6四角▲4六歩△3一玉▲1七香△2二玉▲1八飛△5三角▲2六銀△6四歩▲1五歩と進んで、いちばん上の図となります。

 物凄い破壊力を持ったこの戦術“2六銀型塚田式端攻め”は、最近はほとんど見られません。それは、破壊力がありすぎるがために、相手がそれを食らわないように避けるべく定跡が組み立てられているからです。最近のプロ対局に表われないため、最近の『矢倉の定跡本』には、この“端攻め”の攻防は、今ではほとんど書かれておりません。
 簡単に言うと、「矢倉の端歩は受けるな」の格言通りに従えばよい、ということです。後手が「1四歩」を受けなければよい。それだけのことなのです。だけど、2、30年前までは、敢えて受けて「やってこい」とする指し方もあったんですね。(玉を入城させず2二銀型の菊水矢倉で待つなどです。) でもやっぱりあまりに強力なので、そういうことはしなくなった。
 参考図として、次の図を掲げます。
参考図a
 これは先月行われた将棋です。羽生善治vs渡辺明の王座戦第4局(千日手指し直し局)ですが、この将棋が最近の矢倉の王道の、いわゆる「4六銀3七桂戦法」です。『定跡書』によく書かれているそのまんまの形。
 先手の羽生さんが1六歩と突いたところですが、対して後手の渡辺さんはここで「1四歩」と受けました。「矢倉で端歩は受けるな」じゃなかったのかと言われそうですが、この場合はいいのです。何故かと言えば、先手の「右銀」が「2六」には来られないから。先手は「3七桂」と跳ねていますね。だから「1四歩」と受けてよい。
 仮にこの桂馬が跳ねてない場合は端歩は受けてはいけません。先手の右銀が4六にいても、3七銀~1七香~1八飛~2六銀とすれば“塚田式端攻め”が可能となります。それよりも早い攻撃手段が後手にある時には話は別ですが。
 もう一つ参考図を。
参考図b
 これは1982年の第40期名人戦第8局加藤一二三vs中原誠、加藤新名人誕生局の、その序盤です。
 ここで「1六歩」と突くのが“加藤流”と呼ばれる形。ここでは決して後手は「1四歩」とは受けません。もちろん中原名人も別の手を指しました。(7三銀でした。)
 もし後手が端歩を受けると、“塚田式端攻め”、2五歩~1七香~1八飛~2六銀が待っています。端歩を受けるなら、それを覚悟の上でどうぞ、ということです。
 この参考図では、もちろん先手も9六歩と安易に突いてはいけません。突くと、9四歩の後、後手の「6二銀」がするすると8四までやってきて、「さあ大変!」となってしまいます。
 以上、「初段になるための矢倉講座」みたいなくどい説明でしたが、確認のために書きました。


 さあ、それで6期名人戦第1局、「塚田正夫八段vs木村義雄名人」戦。

▲1五歩の図から、
△1五同歩 ▲同銀 △6三銀 ▲4五歩 △同歩 ▲3七桂 △1五香
▲同香 △1七歩 ▲2八飛 △6五歩 ▲同歩 △同桂 ▲6六銀 △4四角
▲4九香 △8六歩 ▲同歩 △8五歩 ▲同歩 △8六歩

と進みました。ちょっと塚田八段が甘い手を指して、木村名人の攻めも厳しく迫っています。

 こんな感じで、攻め合いに。
 それでどちらかと言えば先手塚田八段やや有利かというような、しかし激しい内容で終盤となり、ついにクライマックス。 お互いに時間を使い切り、これを詰めれば塚田、名人戦初登場初勝利という場面が次の図。


 その終盤。ここでは詰みがありました。4三銀成、同金、5二金、同玉、6二飛、5三玉、6五桂、5四玉、4五銀まで。最初の4三銀成に同玉なら、6三飛、5三銀合、3三金以下の詰み。
 ところが、塚田八段の指し手は▲6五桂。
 木村の△5四玉に――――詰まない! 塚田八段、勝利を逃しました。

▲6五桂 △5四玉 ▲5三桂成 △同金 ▲5五飛 △同玉 ▲4五飛 △6四玉
▲6五銀 △6三玉  まで164手で後手の勝ち

投了図
 この将棋は序盤の“新型端攻め”から戦いが始まり、全体的には挟撃体制で木村玉に迫っていた塚田八段がリードしていましたが、とどめを刺すことができず、木村名人の逆転勝ちとなりました。投了図の「木村玉」は、いかにも木村義雄の華麗で巧みな玉捌きを表していますね。しかし大熱戦でした。


 
第2局
 「角換わり」の戦型に。先手木村が「筋違い角」を打つ。83手の短手数で木村名人の快勝。2連勝。
 「角交換」の将棋も、戦前では少なかった。それを名人が積極的に採用しています。

 

第3局
 塚田八段の先手で相矢倉に。お互いが4枚の金銀で守備を固める「総矢倉」の同形になった。この形は仕掛けが難しく、“千日手”になりやすい。しかし塚田は敢然と仕掛けた。やがて塚田玉は敵陣へと進み、「入玉」模様に。塚田優勢。

 木村が△1九飛成と角取りに香車を取った図の手に対し、塚田は▲2八角打。これが疑問手だった。(木村は持ち時間をほぼ使い切り、塚田にはまだ時間があったのだが…。)
 ここは4四角、同金、6四角打で先手の勝ちだった。塚田八段は他にも疑問手を連発し、ついにこの将棋は相入玉の「持将棋」となる。“引き分け”である。162手。



第4局
 木村名人の「2-0、1持将棋」で迎えた第4局の対局場は、奈良三笠山の料亭。「升田君がここで勝ったのですね。」と塚田正夫は言ったという。4カ月前に、この場所で升田幸三が木村名人に3連勝を成し遂げたことを言ったのです。(前回記事『「端攻め時代」の曙光1』参照)
 戦型は「角換わり相腰掛銀」となった。先手の木村が仕掛ける。中盤で一度は塚田がリードするも、木村も押し返す。優劣不明の終盤に突入。
 時間に追われた名人が、何度か「勝ち」を逃し、ついに逆転。 162手にて、塚田勝ち。塚田正夫が名人戦初勝利!!!
 
 

第5局

▲3九角 △9五歩 ▲同 歩 △同 香 ▲同 香 △同 飛 ▲9七歩 △同角成
 この名人戦では塚田正夫が先手だと「相矢倉」に誘導、木村義雄先手の時には「角換わり」になっている。この第5局は塚田八段が先手なので、「相矢倉」に。
 そして図のようになりました。後手の名人が、第1局での「お返し」をするかのような“新型端攻め”の構えです。
 この将棋は、先手の序盤失敗の図です。先手から仕掛ける手がなくなり、「待つだけ」の状態になっています。後手が仕掛けるか、「千日手」にするか、その権利を握っています。木村名人は悠々と攻めの準備を組み立てます。守備の駒だった「金」を、5三~6四と移動し、△7五歩から歩の交換をして、それから図のように「9一飛」と端攻めを見せたところ。“あとは攻めるだけ”です。
 名人は△9五歩から攻めを開始しました。


▲9七同桂 △9六歩 ▲9九香 △9七歩成 ▲同香 △9六歩 ▲同香 △同飛
▲9七歩 △9五飛 ▲8三角 △8四金 ▲7二角成 △9一香
 木村名人の“端”からの猛攻。


 「端攻め」は大成功。 木村名人優勢です!


 しかし塚田八段も必死で頑張って――

投了図
 なんと、逆転! 177手、塚田八段の勝ち。
 塚田「この将棋は拾わせてもらいました。」と謙虚に言い、
 名人は、「いや、ぼくの将棋も愚に返ったかなあ」と言って、眼を閉じた。
 スコアは2-2(1持将棋)。 塚田正夫、追いついた。 



 熱い闘いです。まあこのように、塚田正夫は1、3、5局を「矢倉」で戦い、木村義雄の先手番2、4局では名人の誘導で「角換わり」となっています。「相掛り」中心の戦前の将棋とはっきりカラーの変わった将棋となりました。
 次の第6局は木村名人先手で「角換わり」ですが、これまた“端攻めの猛攻”という将棋になります。これを少し詳しく紹介したいのですが、長くなりましたのでそれは「続きは次回に」、ということで今回はここまでとします。



・“戦後”、木村・塚田・升田・大山の時代、の記事
  『高野山の決戦は「横歩取り」だった
  『「錯覚いけないよく見るよろし」
  『「端攻め時代」の曙光 1』 
  『「端攻め時代」の曙光 2
  『「端攻め時代」の曙光 3
  『超急戦! 後手5五歩位取りvs先手横歩取り 』
  『新名人、その男の名は塚田正夫

・“戦後”の横歩取りの記事(一部)
  『京須新手4四桂は是か非か
  『小堀流、名人戦に登場!
  『「9六歩型相横歩」の研究(4)