はんどろやノート

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「端攻め時代」の曙光 3

2012年11月20日 | しょうぎ
 昨日の記事の続き、戦後最初に行われた名人戦、第6期名人戦「木村義雄名人vs塚田正夫八段」の内容をお伝えします。これまでのスコアは「2-2、1持将棋」です。七番勝負ですので4勝した方が次期名人にということです。お互いに「あと2つ」です。
 それでこの第6局は「指し直し局」です。初めの「第6局」は、“千日手”になりました。千日手は無勝負ですから、「指し直し」となるわけですが、現代では千日手の場合は特別な場合を除いては、その場で1時間くらいの休憩後にすぐに、という規定ですけども、この当時は「日を改めて」ではなかったかと思います。おそらく「持ち時間」も初めに戻して。
 この名人戦の持ち時間は、8時間です。
 戦前までの名人戦の「持ち時間」は15時間で、三日制でした。木村名人はこれに慣れていたので、この新しい「8時間制」に合わせるのが大変だったことは想像に難くありません。しかも1日制ですよ! 各8時間の持ち時間で、1日制! ちょっと無茶ですよねえ。終局は絶対、明け方になる…。(休憩をどれだけ入れたのか、わかりません。)
 この「持ち時間各8時間、1日制」は、挑戦者塚田正夫が強く主張してそれが通った結果だそうです。名人の意見は従来通りの「15時間、3日制」だったが、塚田の意見が採用された。これはおそらく、塚田の意見と言うよりは、設営サイド(毎日新聞社)がそれを望んでいたのだろう。経費削減になるし。
 そういう持ち時間の変更は、これは確実に木村名人に不利に働きました。

 さて、上図は先手の木村名人が2九飛とひとつ飛車を引いたところ。後手からの3九角打を警戒した手です。ここは動きにくい…。
 これは「角換わり」の将棋ですが、先手の木村名人が、生角を打って、ちょっと無理気味に仕掛けてこうなりました。(千日手を避ける意味も大いにありました。) 後手が「角」を手駒として持っているため、やや後手が指しやすい局面かと思います。
 後手の塚田正夫八段は、9五歩と仕掛けました。以下、
△9五歩 ▲同歩 △8六歩 ▲同歩 △同飛 ▲8七歩 △8一飛 となって下図です。


▲3七角 △6三歩 ▲6五銀 △同銀 ▲5七桂 △7六銀 ▲同金 △6四桂
▲7七金引 △8八歩 ▲同玉 △7五歩
 この、「端の歩を突っかけといて、飛先の歩交換をして相手に手を渡す」、という指し方は、どこかで見たことがありませんか? 「角換わり相腰掛銀同型」の仕掛けの定跡にありますね、こういうの。もしかしたら、塚田正夫のこの時がオリジナルかもしれないですね。
 実際は▲3七角△6三歩▲6五銀△同銀▲5七桂と進みましたが、個人的な感想を言えば、▲3七角△6三歩の後、先手が▲1五歩と攻めるとどうなるのかな、ということが知りたい。
変化図
△1五同歩なら、1二歩、同香、1三歩、同香、4六角がねらいですが、実際には△同歩とはすぐに取らず、9七歩、同香(これは取らないと9六角が厳しい)、1五歩(歩の補充)、1二歩、同香、1三歩、9六歩、同香、8四桂、1二歩成、9六桂…、こうなるとどっちがいいの?


▲6七銀 △7六銀 ▲7八金引 △9七歩 ▲7七歩 △6七銀成 ▲同金直 △9五香 
 塚田八段、じっと△7五歩。しかしこの歩は先手にとって「脅威」です。木村は▲6七銀と受けを強化しますが、塚田ガツンと△7六銀。(大山康晴推奨はここで8五銀。次に7六桂をねらう。)


▲8六銀 △9八歩成 ▲同香 △同香成 ▲同玉 △8三香 ▲6五歩 △9六銀
▲6四歩 △同 歩 ▲9三桂
 △9五香。ついに香車を走りました。
 しかしこの後手の攻めを受け切れば先手の勝ちになります。先手木村、▲8六銀。
 塚田は△9八歩成から香を手にして、「8三」に打つ。 


△8六香 ▲同歩 △9七歩 ▲同桂 △8三飛 ▲8八桂 △9五銀
▲9六桂 △同銀 ▲8七銀 △9五歩 ▲9九香 △7四桂
 塚田の攻めと、木村の受け。 図の▲9三桂に、△8二飛などとすれば、▲6四角があります。


▲8五桂 △8六桂 ▲同銀 △8五銀 ▲同銀 △8六桂 ▲8七玉 △8五飛
▲7四銀 △9六銀 ▲同香 △9八角
 △9六銀!  ▲同香に、 △9八角。 こんなうまい手があったのか。これは…、攻めきったか?


▲8八玉 △7八桂成 ▲同玉 △8七飛成 ▲6八玉 △8八龍 ▲7八桂 △8九角成
▲7九銀 △9九龍 ▲6四角 △4八金 ▲4五桂 △4七金 ▲5七金 △4五歩
▲4七金 △3八銀 ▲6七玉 △2九銀成 ▲6六玉 △7九馬 ▲6三金 △8八龍
▲8六歩 △7七龍  まで144手で後手塚田正夫八段の勝ち

投了図
 攻めきりました!!! 塚田の“端攻め”が炸裂した一局。
 かつて木村義雄を相手にして平手で3連勝した者はいませんでしたが、塚田正夫がそれをやりました。(升田は香平平で3連勝したが。)塚田八段、3勝2敗、ついにあと1勝で「名人位」に。

 終えて、朝の食事の時に、名人が、「どうもいけない、悪い癖がついた。千日手にしたくないばかりに無理を指すようになった」と皆の前で愚痴ったが、すぐに、「いや、自分より強い者が出てくれて私は本望だ。名人戦の意義がそこにあるんだからなあ」と言ったそうです。
 愚痴った後に、強がる名人が愛らしい。


 このように、この第6期名人戦はその内の3対局が、相居飛車戦における“端攻め”の威力をまざまざと示すものとなったのです。「端攻め時代」の幕開けです!
 ただ、まだ世間はそれほど「矢倉の端攻めの重要性」には気づいていなかったと見えます。それは他にも有望そうな試したい戦術――角交換腰掛銀、新式相掛り、銀矢倉、平手戦の振り飛車など――が色々とあったからでしょう。
 升田幸三が「すずめ刺し」をひっさげて嵐を巻き起こすのは、これから6年後、1953年のことになります。昭和の「第1次矢倉ブーム」はその頃から後のことになりますが、その“先駆け”として、この名人戦における塚田正夫の「矢倉」があったことを、ここで強調しておきたい。(本局は「角換わり」でしたが。)
升田幸三のすずめ刺し(先手原田泰夫vs後手升田幸三、1953年)



 さて、そして、この年(1947年)の名人戦の続きですが、第7局は「横歩取り」になりました。




 
先手:木村義雄
後手:塚田正夫
第06期名人戦七番勝負第6局千日手指し直し局
▲7六歩 △8四歩 ▲5六歩 △8五歩 ▲7七角 △5四歩
▲2六歩 △3四歩 ▲7八銀 △3二金 ▲2五歩 △6二銀
▲5八金右 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀 ▲4八銀 △3三銀
▲6八玉 △4一玉 ▲7八玉 △7四歩 ▲6六歩 △5二金
▲6七金 △6四歩 ▲3六歩 △4四歩 ▲6八金上 △7三桂
▲3七桂 △6三銀 ▲4六歩 △8一飛 ▲1六歩 △1四歩
▲4五歩 △同 歩 ▲同 桂 △4二銀 ▲4四角 △3三桂
▲同桂成 △同 金 ▲2六角 △4四歩 ▲9六歩 △9四歩
▲4七銀 △6五歩 ▲同 歩 △同 桂 ▲6六銀 △6四銀
▲2九飛 △9五歩 ▲同 歩 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛
▲8七歩 △8一飛 ▲3七角 △6三歩 ▲6五銀 △同 銀
▲5七桂 △7六銀 ▲同 金 △6四桂 ▲7七金引 △8八歩
▲同 玉 △7五歩 ▲6七銀 △7六銀 ▲7八金引 △9七歩
▲7七歩 △6七銀成 ▲同金直 △9五香 ▲8六銀 △9八歩成
▲同 香 △同香成 ▲同 玉 △8三香 ▲6五歩 △9六銀
▲6四歩 △同 歩 ▲9三桂 △8六香 ▲同 歩 △9七歩
▲同 桂 △8三飛 ▲8八桂 △9五銀 ▲9六桂 △同 銀
▲8七銀 △9五歩 ▲9九香 △7四桂 ▲8五桂 △8六桂
▲同 銀 △8五銀 ▲同 銀 △8六桂 ▲8七玉 △8五飛
▲7四銀 △9六銀 ▲同 香 △9八角 ▲8八玉 △7八桂成
▲同 玉 △8七飛成 ▲6八玉 △8八龍 ▲7八桂 △8九角成
▲7九銀 △9九龍 ▲6四角 △4八金 ▲4五桂 △4七金
▲5七金 △4五歩 ▲4七金 △3八銀 ▲6七玉 △2九銀成
▲6六玉 △7九馬 ▲6三金 △8八龍 ▲8六歩 △7七龍
まで144手で後手の勝ち



・“戦後”、木村・塚田・升田・大山の時代、の記事
  『高野山の決戦は「横歩取り」だった
  『「錯覚いけないよく見るよろし」
  『「端攻め時代」の曙光 1』 
  『「端攻め時代」の曙光 2
  『「端攻め時代」の曙光 3
  『超急戦! 後手5五歩位取りvs先手横歩取り 』
  『新名人、その男の名は塚田正夫

・“戦後”の横歩取りの記事(一部)
  『京須新手4四桂は是か非か
  『小堀流、名人戦に登場!
  『「9六歩型相横歩」の研究(4)
コメント
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