はんどろやノート

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坂田三吉の横歩取り

2012年11月11日 | 横歩取りスタディ
 今回紹介する棋譜は、坂田三吉の68歳の時の棋譜。


 木村義雄新名人が誕生し、1938年2月11日紀元節にその襲位式が行われました。

 そして第2期名人リーグがスタートしました。そこに「南禅寺の決戦」で棋界カムバックを果たした老雄坂田三吉も参加したのでした。
 この時期の名人位の任期は2年で「1期」でした。2年間をかけて次の名人戦の挑戦者を決め、その第1位者が木村名人との七番勝負に挑むという形です。「名人リーグ」は総当たりで先後各二局づつ行います。
 老将坂田三吉の一年目の成績は2勝6敗でした。「やはり坂田も老いた…」という評価になるのはこれでは当然です。伝説の男とはいえ、16年将棋を指していなかった67歳の老人ですから。ところが二年目、68歳の坂田は将棋感を取り戻したか、勝ち始めます。

 本棋譜はそんな坂田将棋の晩年の輝きを記録するものです。
 相手の棋士は、金易二郎(こんやすじろう)、中原誠十六世名人の師匠の師匠に当たる人。中原さんは、あの「中原囲い」と今名付けられている囲いを、「昔、金先生に教わったんだよ」と言っています。また、坂田三吉と金易二郎とはとても気が合い、親しい友人関係にあったそうです。


1939年10月12日、第2期名人戦リーグ
先手:阪田三吉  後手:金易二郎
▲2六歩 △8四歩 ▲7六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩 ▲6八銀 △3二金
▲7八金 △5四歩

▲2五歩 △6二銀 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △5三銀 ▲3四飛

 図のように先手が7七角と上がった場合、現代ならば7七角成と後手から角交換するところ。なぜそうするかといえば、2二の角を置いたままだと先手に飛車先の歩を先手にだけ切られてしまうから。
 ところが江戸時代からずっと戦前までの棋士は、あまりここでは角を交換したがらない。角交換将棋そのものも、どうもあまり好まれなかったみたいだし、「飛車先の歩交換? それくらいは許す」という感覚もあった。 
 先手の飛先歩交換の代償に、後手は5五の位を取りにいく、それが「5筋位取り横歩取らせ」戦法です。横歩を取るかとらないかは相手次第だが――坂田は?


△5五歩 ▲2四飛 △4一玉 ▲4八銀 △2三歩 ▲2八飛 △4二銀上
▲4六歩 △5四銀 ▲6六歩 △6四歩 ▲6七銀 △5二金 ▲5八金 △6五歩
▲同歩 △同銀 ▲6六歩 △5四銀 ▲4七銀 △3三銀 ▲3六歩 △3一角
▲6九玉 △7四歩 ▲5六歩 △7五歩 ▲同歩 △同角 ▲7六銀 △4二角
▲7五歩 △7四歩

 先手の坂田三吉、3四飛。‘横歩’を取りました。
 金八段はやはり、△5五歩。5筋の位を取りました。

 この将棋の持ち時間は各13時間(2日制)。
 坂田八段の▲5六歩に、金八段、2時間以上の長考で△7五歩。▲5六歩を同歩と取ると、同銀右、5五歩、4五銀となって、これはよくないと判断したようです。
 坂田も慎重に時間を使って考えます。

 『9四歩の謎』には、この名人リーグに参加した当初、坂田三吉は時間の使い方がわからず苦労したことが記されています。金子金五郎戦では、一日目、長考派の金子がしっかり時間を使ったのに、坂田はわずか3分の消費だったという。この対局は持ち時間13時間です。
 また、斎藤銀次郎戦では、大山康晴(当時15歳)が記録を務めたが、その大山に 「英語で記録を書かんといてください、わからん。参考にするんやから」と言ったという。なんのことかというと、時間の数字のことである。こうも言った。「将棋は日本のものや。英語なんかで書いて、あんた、そんな心がけでは強うなれまへんで。」
 


▲7四同歩 △6三金 ▲5五歩 △同銀 ▲5三歩

 そしてこのようになりました。中央での小競り合いが始まっています。こういう押したり引いたりの中盤は坂田三吉の得意とするところ。

 ▲5三歩と手裏剣を放ちます。横歩を取ったこともあって、歩は沢山持っています。
 


  △8六歩 ▲同 歩 △5三角 ▲5四歩 △4二角 ▲3七桂 △7五歩
▲8七銀 △5二飛 ▲4五桂 △5四飛 ▲5六歩 △4四銀引 ▲3三桂成 △同桂
▲2二歩 △同金  ▲7二銀

 ▲5四歩に、後手は同金とは取れません。取ると、7三歩成、同桂、7四歩です。
 △7五歩に、(6七銀でなく)8七銀と逃げた手が好手でした。
 うまく立ち回って、坂田さん、右桂をさばいて銀と交換しました。

 ところで、銀を取る前に、▲5六歩△4四銀引と交換したのが大変難しい手です。後手が△5六同銀と応じていたならどうなっていたか。

 坂田さんは手にした銀を7二に打ちましたが…



△7四金 ▲8一銀成 △6四角 ▲2四歩 △同歩 ▲6五歩 △同金 ▲5七桂

 7二銀と打って、8一の桂馬を取りに行く…。
 それでいいのだろうか。銀が遊んでしまうのでは…? しんぱいになります。  



△7六歩 ▲4四角 △同飛  ▲6五桂 △3一角 ▲5三銀 △7四飛
▲7三桂成 △9四飛 ▲6三成桂 △5一歩 ▲9一成銀 △3九角 ▲2九飛 △6六角成

 ▲6五歩△同金▲5七桂、なるほど、この桂打ちが目的だった!
 (▲6五歩に、角を逃げるのは▲6六桂が両取りで打てる。)

 ここから一気に攻めが激しくなります。



 先手の坂田三吉は、たっぷりあった「歩」をすべて使って攻めました。‘横歩’を取ったことを目いっぱい生かして戦っています。

 いま、金八段が6六角成としたところ。勝負どころです。
 玉の安定度で先手優勢ですが、下手をすると指し切ってしまいます。
 ここでどう指す?

 坂田三吉、ここで長考しました。50分考えて次の手を指しました。



▲4四香 △同 馬 ▲同銀不成 △同 飛 ▲7六銀 △6二歩 ▲4五歩 △同桂
▲5五金 △6三歩 ▲4四金 △同歩 ▲2四飛 △3三銀 ▲4二歩 △同角
▲2九飛 △2三香 ▲5九飛 △6六桂 ▲8四角

 「▲4四香!」と打ちました。同歩なら、4三金で寄せる意味です。これが良い手でした。
 先手は飛車角を取りました。▲4二歩、同角という効かしも入れました。あとで4三歩を先手で打てるようにしています。
 しかし、金さんも鬱陶しい先手の成桂を処分して、まだ頑張ります。さらに囲いの再構築。△6六桂の攻め。


  △7八桂成 ▲同玉 △7七歩 ▲8七玉 △8五歩 ▲4三歩 △8六歩
▲7七玉 △8七歩成 ▲同銀 △6四角 ▲7一飛 △7三歩 ▲6五歩 △3七角成
▲3九飛 △2八馬 ▲7九飛 △8五金 ▲7二飛成 △3二金 ▲9三角成 △8四歩
▲8六歩 △7五金 ▲8八玉

 
 △6六桂に▲8四角。この角は受けの手です、5七にも利いています。同時に5一をにらんで攻めもねらう。
 角打ちで敵の攻めを凌ぐのは、坂田将棋のお約束のようなもの。

 後手金八段、△8五金で先手玉頭にプレッシャーをかけつつ、角取りです。
 しかし坂田さんのうまさは、それを逆用します。 ▲8八玉と引いて飛車筋を通し、次に7五飛の金取りになっています。


△6五金 ▲6六歩 △6四金 ▲7三飛成 △3一玉 ▲6二龍上
まで149手で先手の勝ち

 △6五金に、▲6六歩。貴重な一歩を使います。これを△6四金と引かせて(取ると8四馬となって調子がよい)、それで7三に後手の馬の利きがなくなったので、▲7三飛成。うまいですねえ!

 ▲6二竜上。二枚竜が実現してしまっては後手いけません。
 金易二郎八段、投了。


投了図

 坂田三吉の歩の使い方が光る一局でした。
 2日制といっても、持ち時間13時間ですから、2日目には徹夜の勝負になりますよね。やはりこの対局も、終わるのは3日目の夜明けだったようです。


 この年、坂田三吉は「名人リーグ」を5勝2敗。前年と合わせ、結局トータル7勝8敗で「第2期名人リーグ戦」を終了。68歳。堂々とした戦いぶりを世に示し、これを最後に将棋界を引退したのでした。




 ここからは、おまけです。
 前回記事中で、木村義雄vs大崎熊雄の対局を紹介した時に、坂田三吉vs大崎熊雄についても触れたのですが、その対局の内容をもう少し図を使って紹介します。1920年の対局で、坂田さんは50歳くらいで八段、大崎さんは36歳、七段です。

 有名な「角頭歩突き」です。香落ちの将棋で、△3二銀▲7六歩△2四歩というオープニング。
 この将棋はしかし、この後がまた面白いんです。

 
 2、3筋で銀冠をつくった後―――、なんと、坂田さんは袖飛車から、浮き飛車棒銀に。

 そこからひねり飛車に。 玉は、8二へ囲う。

 でもって、下段飛車にして、こんどは中飛車に。

 さらに浮いて、逆ひねり飛車。
 まーしかし、これだけ無駄な動きをすれば、一方的に相手の陣形だけ堅くなりますよね。
 いくら「苦しめな形勢」が大得意の坂田三吉でも、これは形勢に差が開きすぎ(笑)。大崎七段にここで飛車を召し取られ、その飛車で攻められます。 
 とはいっても、遊びそうな左の金銀桂をなんとか使おうとするのはやはりプロの将棋。

 8三角! やっぱり出た、「坂田の角」―――ですが、これはもう無理、逆転できるわけありません。このまま大崎熊雄七段の快勝。
 面白いけど、勝ち味のない作戦でした。後手の飛車、動きすぎ~。しかし坂田さんは、大真面目でやっていたと思います。そこが坂田三吉の魅力ですよね。
コメント
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