はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

闇の底はあんがい楽しい

2006年01月14日 | おんがく
 闇の底であのこが泣いている。

 あれは… 箱崎さん?
 箱崎さんは『闇に飛ぶ』というタイトルのCDをつくっている。
 「闇」という字に「音」がはいっているのはなぜかな…。
 女の子がないているのはそこが暗くてこわいから? ずっとないていると「音楽」がきこえてきた。「音楽」は女の子のなき声にあわせて静かに寄りそっている。やがて女の子は音楽に気づき耳を澄ませる。そしてそのうち音楽に合わせて唄いはじめた。はじめは静かに、だんだん元気に。
 彼女の声と音楽とは色になり、からみあって空を飛び模様をつくる。
 きれいだね。

 いや、あの女の子は、母?
 母は10年病床にいて、逝った。手も足も舌もしびれ、話すことができなかった。彼女の見たであろう闇の底を僕は長い間想像することを避けてきたが、あそこには「音楽」があったかもしれない。
 母は歌のすきなひとだった。少女のときには唄うのがとくいだったと言っていた。レコードの少ない学校だったので運動会とかイベントのときに、あなたは歌がうまいから唄ってくれないかと言われてよく唄ったというのが自慢だった。ほんとうだろうか。
 それならば音楽の神さまは闇の底のステージに音楽好きの妖怪たちを派遣してかわいそうな彼女を楽しませていたかもしれない。そこでも母はたのまれて唄っていたかもしれない。

 あの子はあるいは男の子で、僕なのかもしれない。
 僕のそばには将棋の駒と盤と「ものがたり」とがあって暗闇の底でも退屈はしなかった。だけどもふっとまわりを見渡したとき無音の闇は僕を不安にさせた。僕はこれでいいんだろうか。いい歳をしてなにをしているんだろう。だけど僕にはこの場所しかないとわかっていた。わかってはいたが…。
 僕のそばには「音楽」がなかった。
 とおもっていたが、ほんとうは「音楽」は僕のそばにいつもいたのではないか。僕はただ単に耳掻きをわすれていただけなのではないか。
 きっとそうなのだ。闇の底にはそのひとのためにだれかが奏でている音楽がいつだってあるのだ。

 さあ、ハコさん、いよいよ今夜だ。
 はじまるね。2006年のライブだ。
コメント (2)
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