浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2020-11-20 00:56:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
   恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 二

    尽くせば相手も自分も救われる―――お年寄りへの愛


先の続き・・・

その頃、一度腕が抜けたことがあったのですね。
おばあさんにドンドンたたかれて、腕が抜けてしまい、
医者が一番嫌いだったのに、
痛いものだから医者に連れてって呉と泣き出されたのです。
呼ばれて私が行きますと、腕はポッとすぐはまって、
動くようになりましたので、
それ以来、おじいさんが私をよけい好きになってくれました。
私の顔を見たら、幼児が喜んだ時のように何とも言えない笑顔で
うれしそうにされるのです。

しかし私のおばあちゃんが声を掛けたら、
「ウォーッ」と言って怒るのです。
「お前の顔を見たらあんなに嬉しそうにして、
私が声をかけたらえらくこわい顔をされる」と、
おばあちゃんは言いますが、
それは、自分のおばあさんに腕を抜かれたものだから、
自分のおばあちゃんと同じ老人と思うのでしょうね。
(大笑い)。

いよいよ亡くなる時がきて、
その二時間ぐらい前に家の人が私を呼びにこられたのですね。
おじいちゃんは髭を剃っても怒るものだから、髭はボウボウで、
しかもその髭に飯粒がいっぱい付いているのです。
死にかけているのに、そんな恰好で寝ているのですね。
私が「おじい、分かるか」と言いますと、目を開けて私を見て、
「おう、織屋の兄さん」と言いました。

ところが、自分のつれあいも、息子さんも、息子さんのお嫁さんも、
Sちゃんの為にためるのだと言って貯金をしてやっていた孫のSちゃんの顔も、
分からないようになっています。
死ぬ間際に、他人の私に「ああ、織屋の兄さん」と言うのに、
家族の顔は誰一人分からなくなっていました。
愛だけがそれを超えます。

常日頃の愛だけは、呆けた方にも通じます。
「おじい、分かったか、私やで」と話しかけますと、
満足そうに何回も、うなずいておられました。
それから、おじいちゃんの顔を上からのぞき込むようにして
引導を渡しました。

「人間は遅いか早いか必ず死ななくてはいけない。おじいが先か私が先か、
そんなことは分からない。今こうして話しをしていても、
その角で車に当たると私のほうがポンと先にいくかも分からない。
しかし順番からいったら、おじいが先に死ななくてはいけない。
死ぬのは何も怖いことはないのやで」と話していますと、
ウオーと叫んで両手をのばしました。

おじいちゃんが今世の力をふりしぼって引き付けましたから、
もう逃げられません。
私の耳を引っ張って自分の頬っぺに私の頬をくっつけて
離してくれないのです。
まあ汚い髭づらに私、頬ずりしてもらいましてね(笑い)。


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「御垂訓」

2020-11-20 00:51:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
    恩師のご著書「講演集」より

            講演集、 二

   尽くせば相手も自分も救われる―――お年寄りへの愛


尽くすことによって、尽くされた相手の方が救われます。
そして自分自身も救われます。
こんな年寄りは早く死んでしまったらいいのにと思ったら、
よけい長生きされます。
そうなっているのです。
ついには、呆けて何も分からなくなっても、まだ生きていられます。
だから、尽くさせてもらったら、その時がきてサッと引き取ってもらえます。
年寄りに物を惜しんだらいけません。
人間は、食べるだけ食べなくては死にません。
もし呆けでもきますと、六人分、八人分の御飯はいっぺんに食べてしまいます。
おかずでも、じゃがいもの煮っころがしを家族七人分を大鍋に作っていても、
おじいさん一人でいっぺんに食べてしまって、知らん顔しておられるのですね。
現実にはそんなに食べられるはずがないのに、食べられるのです。
これは私の家から三軒向こうのおじいさんのことです。
もう亡くなられましたが、呆けてよく迷子になられました。
お嫁さんが私の家で働いておられましたので、
私が車で探し回って見付けては
連れ戻しておりました。

度々なので、
「これではかなわないから、
名札と電話番号を服に縫い付けあげて下さい」と頼みました。
すると、思いもかけない遠い所から電話が掛かってくるのですね。
だんだんと呆けが進みますと、もう遠い所へは行けなくなって、
近所をうろうろしておられました。
冬の寒い時には、「おじいちゃん、家の中にお入りなはれ、
こんな寒い外をうろうろしないで、
一服してストーブの側に坐りなはれ」と言って、
タバコに火をつけてあげますと、喜んで吸っておられました。
夏になっても、冬のオーバーを着て歩いておられるのですね。
「この暑い中を、どうぞ中に入ってタバコでも一服しなはれ」と、
又タバコに火をつけて一服してもらいました。
こうしておじいちゃんが、目につけば、
必ず家の中へ入ってもらっていました。
呆けの進行の最中におじいちゃんがおっしゃるのですね。
「お前ら偉そうに言うてもな、織屋の兄さんにものが言えるか、
言えるのは俺だけやぞ」と。

おじいちゃんにしてみたら、
織屋の兄さんをすごく偉い人のように思っているのですね。
だんだんと呆けが進行して、
あの火事のあった家に雨垂れをためるかめがあったのですが、
夏のことですから水が真っ青になって腐って、
ボウフラが湧いているのを、
オーバーを着たままで、その水を手ですくって
ガブガブと飲まれるのです。
そこのお宅の人がびっくりして飛んできて、
「おじいさん、あんな水を飲んでる、
腹痛が起きるよ」と心配されましたが、腹痛は起きないです。
当時家族七人分のおかずと御飯をいっぺんに
ぺロと食べてしまわれるのですから。


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