浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2020-11-08 00:02:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師のご著書「講演集」より

           講演集、 二

          「愛」は無償の思い・行いである


「汝の敵を愛せよ」とイエス様は言われます。
なぜ敵を愛さなくてはいけないか。
なぜ隣人を愛さなくてはいけないか。
愛の定理とは、また愛とは何でしょうか。
「愛」とは自らを犠牲にして他を生かそうとする想念、
行為です。
そして、後悔しないことです。
自分を捨ててでも相手を生かそう、幸せにしようというその思い、
行いこそが愛です。
人間の心には、白色、黄色、黒色のいかんを問わず、
どの人種にも共通して
持っている「思い」があります。

それは「自分にとって都合のよい人はみな好きで、
自分に都合の悪い人はみな
嫌いという「思い」です。
自分の為にしてくれる、
自らを犠牲にして愛を尽くしてくれる人がいますと、
自分に都合がいいからこの人は大事な人だと思います。
そして、愛する人が多くなればなる程、
今度はその方達から愛を頂くことになります。
すべての人の愛を自ら頂くのです。
愛するが故に愛されることになります。
まず隣人を愛しなさい。
自分の最も隣にいてくれる身近な方を愛しなさい。
隣人の為に尽くさせていただきなさい。
しかも無償の愛です。

求める心があったら、してはなりません。
もし求める心があって愛を行ったとしますと、
これは愛ではないのです。
これは自分を不幸にします。
「求めて得られない時は、
毒矢で胸を射抜かれたような苦しみを味わう」と、
お釈迦様はおっしゃっています。
求めたら与えられないようになっているのが、
この世の法則です。
なぜかというと、心は無限大ですが、
この地球上は有限の世界だからです。
限りある世界で限り無い心の欲望を持ちますと、
絶対に与えられないし、
与えられるはずがありません。
だから、求める心を持ちますと、
求めて得られないのがこの世の法則ですから、
得られない時には必ず苦しみます。


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