恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
尽くせば相手も自分も救われる―――お年寄りへの愛
先の続き・・・
その頃、一度腕が抜けたことがあったのですね。
おばあさんにドンドンたたかれて、腕が抜けてしまい、
医者が一番嫌いだったのに、
痛いものだから医者に連れてって呉と泣き出されたのです。
呼ばれて私が行きますと、腕はポッとすぐはまって、
動くようになりましたので、
それ以来、おじいさんが私をよけい好きになってくれました。
私の顔を見たら、幼児が喜んだ時のように何とも言えない笑顔で
うれしそうにされるのです。
しかし私のおばあちゃんが声を掛けたら、
「ウォーッ」と言って怒るのです。
「お前の顔を見たらあんなに嬉しそうにして、
私が声をかけたらえらくこわい顔をされる」と、
おばあちゃんは言いますが、
それは、自分のおばあさんに腕を抜かれたものだから、
自分のおばあちゃんと同じ老人と思うのでしょうね。
(大笑い)。
いよいよ亡くなる時がきて、
その二時間ぐらい前に家の人が私を呼びにこられたのですね。
おじいちゃんは髭を剃っても怒るものだから、髭はボウボウで、
しかもその髭に飯粒がいっぱい付いているのです。
死にかけているのに、そんな恰好で寝ているのですね。
私が「おじい、分かるか」と言いますと、目を開けて私を見て、
「おう、織屋の兄さん」と言いました。
ところが、自分のつれあいも、息子さんも、息子さんのお嫁さんも、
Sちゃんの為にためるのだと言って貯金をしてやっていた孫のSちゃんの顔も、
分からないようになっています。
死ぬ間際に、他人の私に「ああ、織屋の兄さん」と言うのに、
家族の顔は誰一人分からなくなっていました。
愛だけがそれを超えます。
常日頃の愛だけは、呆けた方にも通じます。
「おじい、分かったか、私やで」と話しかけますと、
満足そうに何回も、うなずいておられました。
それから、おじいちゃんの顔を上からのぞき込むようにして
引導を渡しました。
「人間は遅いか早いか必ず死ななくてはいけない。おじいが先か私が先か、
そんなことは分からない。今こうして話しをしていても、
その角で車に当たると私のほうがポンと先にいくかも分からない。
しかし順番からいったら、おじいが先に死ななくてはいけない。
死ぬのは何も怖いことはないのやで」と話していますと、
ウオーと叫んで両手をのばしました。
おじいちゃんが今世の力をふりしぼって引き付けましたから、
もう逃げられません。
私の耳を引っ張って自分の頬っぺに私の頬をくっつけて
離してくれないのです。
まあ汚い髭づらに私、頬ずりしてもらいましてね(笑い)。