浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓

2020-11-17 00:19:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
   恩師のご著書「講演集」より

           講演集、 二

       本来心は清浄なるもの


なぜ、私は拝まないのに神様はあなたの病気を癒して下さったか、
おじいちゃんは一生懸命拝んで自分の病気さえなぜ治していただけないのか。
私たちの心は本来清浄なるものです。
オギャーと生まれた時は何の曇りもありません。
全部すばらしい清らかな心を頂いて生まれさせてもらいました。
その証拠に、どんな赤ちゃんの顔を見ても全部可愛いです。
どんな赤ちゃんの顔も全部安らかです。

なぜ、そのように安らかであるか、そして可愛いのかといいますと、
それは心が曇っていないから、あのようにすばらしい顔になるのです。
それがだんだんとこの世の風に当たりまして、人さまとの出会いがあり、
出会いによって体験する出来事があり、
この出来事の中で清浄な心を次第次第に曇らせていくのです。
私たちの心は自分にとって都合のいいときは安らかでいられるのですが、
自分にとって悪い都合の出来事が起こった時、必ず苦しみます。
腹を立てたり、愚痴を言ったり、相手を恨んだり、憎んだりして、
その都度自分の清らかな魂を曇らせていきます。
本来は丸く豊かな心を頂いて生まれました。

怒り、妬み、謗り、愚痴、不要な心配、取越し苦労、不安、恐怖などによって
自分の心を曇らせた時に、その清らかな魂からもくもくとスモッグが出てきます。
その吐き出したスモッグによって自分の魂の周りをくるんでしまうと、
スモッグが私たちの肉体や顔に形となって現れてきます。
苦しんでいる方のお顔を見たら、苦しい顔をしておられる。
喜びに満たされた方のお顔を見たら、喜びに満たされております。
しかも顔だけではなく、肉体そのものも喜びに躍動しております。
悲しみにうちひしがれている時は、必ずそういう顔になっています。
肉体そのものが表現しており、これは避けることはできません。
赤ちゃんは何の曇りもありませんから、あのように安らかで清らかです。


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