みなさんGWはいろいろあって忙しい事と思います
はげまるも なんだらかんだら忙しいので今回は
短くまとめてみることにした
手抜きと思われると困るので
大々的にGW特別企画として
「今は無き伝説の店シリーズ第1弾」
黒澤明監督の「天国と地獄」にも出てきた
どんどんどん (またまた太鼓の音)
「根岸屋」
さんの話である

根岸屋という酒場は若葉町二丁目にあった
「天国と地獄」に出てくる「根岸屋」さんは
黒澤明監督が実物の倍以上の広さの映画セットとして造ったそうである
(物知りの飲酒記憶喪失の工○君から聞いた話である)
はげまるがこの「根岸屋」さんに入ったのは確か42年前と記憶している
学生の時この近くにあった美空ひばりさんの弟
小野透さんがやっていた「おしどり」にバンド見習いとして
ほとんど毎日明け方までバンド見学をさせてもらっていた
もちろん学業は二の次三の次おね~さんの次
その時にバンドの先輩に連れられて二度ほど入った思い出がある
この写真はどこかから見つけてきたモノ
なにしろカメラなんか持って無かった時代の事である
明け方の「根岸屋」さんは大混雑
外人さん(兵隊さんベトナム戦争真っ盛りの頃である)
洋パンさん(外人専門の娼婦さん)
ヤクザ屋さん 愚連隊さん
(ヤクザ屋さんは仕事でやっているが 愚連隊さんは仕事ではなく
徒党を組んで遊びと悪さをしていたそうである)
もちろん一般の酔っ払い客と日本人ホステスさん
バンドマン他
それらの人達が わいわいがやがや満員であった
店の奥にはバンドが入っていて ジャズやら歌謡曲やらを演奏していた
何を食べたか何を飲んだか全然記憶には残っていないのであるが
その当時の溢れ出る熱気に圧倒された思い出がある
では 実際の「根岸屋」さんはどんな店だったのか
そんな写真なんて見たこと無かったしあきらめていた
そんな平凡な真夜中
どんどんどん (また出ましたよ)
野毛「キネマ」に行ったら古いもの大好きマスターが
はげまるに
「あの~ 凄い映画がありましたよ」
と見せてくれた映画があった
これからの写真は店のテレビから撮ったモノであります
この映画は藤田敏八監督の「新宿アウトロー ぶっとばせ」
主人公は今は亡き名優 原田芳雄さんである

原田芳雄さんが立ち上がる場面(真ん中ブルーのシャツ)


ほらね 「根岸屋」さんの外観

車も外車のジープである
ほんと渋いなぁ
キネマのマスター に感謝です。
書き込みの一部を加筆しました
<よんぼうさん
今でもかんかん帽をかぶって、ストライプのジャケット着た
トランペット奏者をの人を覚えています。
たまに中でチンドン屋が回っていたり、
おかまのお姉さんが踊っていたり、
当時のヤンキー達は私服では無く、
みんなセーラー服を着ていた様に記憶しています。
火事で焼けた時に慌てて駆けつけたのを、今でも覚えています。
ここは私の音楽の原点かもしれません>
そうそうストライプのジャケット着たバンドさん出てましたよ
確かアコーデオン バイオリン もいたと記憶しております
終戦後すぐのバンド形態だったので
すっげ~
(その頃 こちとらB.S.Tなんか聞いていたもんで わらい)
<さも次郎さん
よんぼうさん、片腕の用心棒 O高さんのことですね
私も75.6年頃に入ったことがありますよ
近くのシャークに通ってましたので
この辺の深夜食堂定番コースかな十八番、長八、根岸家、コトブキ。
店内の記憶は、天井に提灯が並んでてカウンターに、でかい酒樽
出入り口に鳥居があったと思います(映画と同じように)>
そうそう天井に提灯が並んでいたいた(お祭り風のやつ)
みなさん行っていてよかったですね
はげまるも なんだらかんだら忙しいので今回は
短くまとめてみることにした
手抜きと思われると困るので
大々的にGW特別企画として
「今は無き伝説の店シリーズ第1弾」
黒澤明監督の「天国と地獄」にも出てきた
どんどんどん (またまた太鼓の音)
「根岸屋」
さんの話である

根岸屋という酒場は若葉町二丁目にあった
「天国と地獄」に出てくる「根岸屋」さんは
黒澤明監督が実物の倍以上の広さの映画セットとして造ったそうである
(物知りの飲酒記憶喪失の工○君から聞いた話である)
はげまるがこの「根岸屋」さんに入ったのは確か42年前と記憶している
学生の時この近くにあった美空ひばりさんの弟
小野透さんがやっていた「おしどり」にバンド見習いとして
ほとんど毎日明け方までバンド見学をさせてもらっていた
もちろん学業は二の次三の次おね~さんの次
その時にバンドの先輩に連れられて二度ほど入った思い出がある
この写真はどこかから見つけてきたモノ
なにしろカメラなんか持って無かった時代の事である
明け方の「根岸屋」さんは大混雑
外人さん(兵隊さんベトナム戦争真っ盛りの頃である)
洋パンさん(外人専門の娼婦さん)
ヤクザ屋さん 愚連隊さん
(ヤクザ屋さんは仕事でやっているが 愚連隊さんは仕事ではなく
徒党を組んで遊びと悪さをしていたそうである)
もちろん一般の酔っ払い客と日本人ホステスさん
バンドマン他
それらの人達が わいわいがやがや満員であった
店の奥にはバンドが入っていて ジャズやら歌謡曲やらを演奏していた
何を食べたか何を飲んだか全然記憶には残っていないのであるが
その当時の溢れ出る熱気に圧倒された思い出がある
では 実際の「根岸屋」さんはどんな店だったのか
そんな写真なんて見たこと無かったしあきらめていた
そんな平凡な真夜中
どんどんどん (また出ましたよ)
野毛「キネマ」に行ったら古いもの大好きマスターが
はげまるに
「あの~ 凄い映画がありましたよ」
と見せてくれた映画があった
これからの写真は店のテレビから撮ったモノであります
この映画は藤田敏八監督の「新宿アウトロー ぶっとばせ」
主人公は今は亡き名優 原田芳雄さんである

原田芳雄さんが立ち上がる場面(真ん中ブルーのシャツ)


ほらね 「根岸屋」さんの外観

車も外車のジープである
ほんと渋いなぁ
キネマのマスター に感謝です。
書き込みの一部を加筆しました
<よんぼうさん
今でもかんかん帽をかぶって、ストライプのジャケット着た
トランペット奏者をの人を覚えています。
たまに中でチンドン屋が回っていたり、
おかまのお姉さんが踊っていたり、
当時のヤンキー達は私服では無く、
みんなセーラー服を着ていた様に記憶しています。
火事で焼けた時に慌てて駆けつけたのを、今でも覚えています。
ここは私の音楽の原点かもしれません>
そうそうストライプのジャケット着たバンドさん出てましたよ
確かアコーデオン バイオリン もいたと記憶しております
終戦後すぐのバンド形態だったので
すっげ~
(その頃 こちとらB.S.Tなんか聞いていたもんで わらい)
<さも次郎さん
よんぼうさん、片腕の用心棒 O高さんのことですね
私も75.6年頃に入ったことがありますよ
近くのシャークに通ってましたので
この辺の深夜食堂定番コースかな十八番、長八、根岸家、コトブキ。
店内の記憶は、天井に提灯が並んでてカウンターに、でかい酒樽
出入り口に鳥居があったと思います(映画と同じように)>
そうそう天井に提灯が並んでいたいた(お祭り風のやつ)
みなさん行っていてよかったですね
ホンモノの根岸屋が出てたんですね
もう一度じっくり見てみたいと思います
それにしてもはげまるさんが伝説の根岸屋に行かれていたとは、驚きました
42年前と言うと、1970年、この映画が作られたのも1970年、ほぼ同時期です
もしかして手前でアコーデオンを弾いてる人って・・・・
もっと早く産まれて(笑)、行ってみたかったです。
YouTube拝見しました~。
行けなかった悲しみがまぎれました。
ありがとうございます(*^^*)
>この映画は藤田敏八監督の「新宿アウトロー ぶっとばせ」だと思いますが
そうそう 聞いていたのですが 得意の失念しておりました
本文に加筆しておきますね
アコーデオンの人 知りませんですよ(ほんと)
この当時の映画は貴重ですね その当時の町並み姿が見れて
みぼさん
>
YouTube拝見しました~
少しは気が晴れたみたいですね
これから二月に一度ぐらいはライブやるつもりですので(バラ荘以外でも)
また 野毛散策のあわせて来られればいいですね
その頃はエアコンも無く全部の窓を前回にしていた為、良く覗いておりました。
その頃は生バンドなど聴く機会など無く、その窓辺にしゃがんで、デキシーやジャズ等の演奏を夢中になって聴いておりました。
今でもかんかん帽をかぶって、ストライプのジャケット着たトランペット奏者をの人を覚えています。
たまに中でチンドン屋が回っていたり、おかまのお姉さんが踊っていたり、当時のヤンキー達は私服では無く、みんなセーラー服を着ていた様に記憶しています。
火事で焼けた時に慌てて駆けつけたのを、今でも覚えています。
ここは私の音楽の原点かもしれません。
ど~もです
僕よりぜんぜん詳しいですね
こちらはびっくりして呆然としていた事を今でも覚えております
それくらい凄い店でしたね
レッドシューズより怖かったです
チンドン屋さんは友達に聞いたことありますが
いいもの見ましたねぇ くやしい~
本文に加筆させていただきます
ありがとうございます
私も75.6年頃に入ったことがありますよ近くのシャークに通ってましたので
この辺の深夜食堂定番コースかな十八番、長八、根岸家、コトブキ。
店内の記憶は、天井に提灯が並んでてカウンターに、でかい酒樽
出入り口に鳥居があったと思います(映画と同じように)
その当時、シャークの用心棒がボクシングで有名な内O純Oさん
十五六人の乱闘があった時なんか凄かったですよ
一人で全~部やっちゃいましたからね
その後、自分たちが帰ろうとしたら 内Oさんが
おまえら、もう帰るのかよ俺たちが若い頃は
朝まで踊り明かしたもんだぜ~。
上半身裸で一言 カッコイイー
75年当時は横須賀が凄かったですね
ベトナム戦争終決年ですが、まだ変な雰囲気でしたよ
ドブ板通りの傷害、殺人事件なんてしょっちゅうだし
米兵がからんでると事件が闇に消えちゃうし
MP、SPジープでブンブン
汐入のニューサンタナなんてよく行きましたが
米兵の黒人、白人、地元の怖い人達が入り乱れて
スリル満点でした。
はげまるさんライブで一番会いたかったー
のは、京都のOぼさんですよ残念でした。
ど~もです
よんぼうさんと同じに詳しいですね
読んでいるだけで楽しくなりますね
小説みたい^^
本文に加筆させていただきます^^(るんるん)
>この辺の深夜食堂定番コースかな十八番、長八、根岸家、コトブキ
全部 はげまると同じところ徘徊してたんですね^^
長八はかなり出し物が変わりましたね
(トンカツ屋で刺身もある 笑い)
コトブキもよかったですね 娘さんが注文とって親父さんに伝えて 親父さんがわざわざキッチンまで電話して注文する
声が届く距離なのにねぇ
このあたり話したら楽しくてきりが無いですね
今度ライブ時間かなり少なめ(今でもかなりすくない)
飲み会時間多目ライブしますかね
(ただの飲み会)
「根岸屋」って、こんな感じだったんですか。
「みぼさん」の仰るように、伝説の店ですよね。
「天国と地獄」のセットでしか伺い知る事ができませんでしたが、こんな映画もあったんですね、感激です。
前に居酒屋さんで、子供の頃「根岸屋」さんでかき氷を食べたと言う方と話をしました(笑)。
外のテーブル? で食べていると、「お客さん居ないから、中で食べな」と、お店のお姉さんが親切にしてくれたそうです。
うらやましい!!
私が知った頃は、もう駐車場でした(泣)。
ど~もです
根岸屋さんは今でもじじぃ仲間の語り草です
あの当時(40年前)は24時間営業のデカイ店が何軒もあって楽しかったですよ
今そのままの姿なのは「一番総本店」ぐらいで
すかね
根岸屋さんの外でカキ氷なんて映画になりそうですね