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はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(278)        「川崎ロック座」と旧赤線地帯「南町」を歩く

2013-10-10 01:34:57 | 日記
ある日宮⚪さんと黄金劇場が無くなってしまった話しをしていて、
川崎南町に、はげまるが生まれて初めて
入ったストリップ劇場があった話しをした

「あの映画館みたいな大きなストリップ劇場 今でもあるのかなぁ~」



数日後
宮⚪さんから突然連絡がきた
「川崎の南町に社会科見学に行って来ましたよ~
ロック座と言うストリップ劇場がありましたよ~
凄く古そうですが、映画館みたいに大きく無いですよ~
はげまるさんが行っていたすっげ~ストリップ劇場だったら
入ってみたかったのになぁ~」




テナ事で、そのロック座なる名前のストリップ劇場は
はたして、はげまるがその昔45年ほど前に入った
ストリップ劇場なのか
その事実がこれから明かされていくのである
(テレビの臭いナレーションみたいだな)






この写真の真ん中のビルと左側のビルは
その当時からあった記憶がある






この道の左手に川崎市電の停車場があって
よく利用していたなぁ
(終点駅兼始発駅)

右手には、さいか屋デパートがあり
真夏のクソ暑い時に子供の頃ここで
初めてクーラーなるものを体験した

ひゃ~~ 涼し~~ぃ

たまに母と屋上にあった遊園地、そしてその一階下にあった
大食堂でチョコレートパフェを食べるのが定番で
年に2~3度の事ではあったが
子供の頃の大イベントで、今でも思い出すと

楽しかったなぁ~~





さいか屋ビルの二軒隣のお店には





楽器屋さんがあった
はげまるが高校生の頃(48年ほど前に)
12回月賦で (今で言うローン) エレキベースを買った
懐かしい想い出がある






銀柳街は昔から沢山のお店が軒を連ねていた、
真ん中あたりにはコミヤデパートがあり
さらに向こうの大通りに出ると岡田屋デパートがあった
いずれのデパートも屋上には遊園地があった







さて南町方面に行ってみますか
このあたり50年前の頃は道の両側には
映画館が何軒も立ち並んでいた
(数えた訳ではないがうる覚えで10軒以上はあったと思う)
ビートルズのモノクロ映画「ハード・デイズ・ナイト」を封切り
一本立てを見たのもこの通りの映画館であった






通りの先の方には子供用の小さいプールなんぞもあって
小学生の頃友達と何度も行った思い出がある

久しぶりに来て この通りの景色の変わりざまに、
ひゃ~~ なんか外国の景色みたいだなぁ~~

と、ただただ驚くだけである

この通りの入り口付近には、
ソース焼きソバを作っているお店が二軒あって、
通りに面しているガラスのウインドウの隙間から
こうばしいソースが焼けた匂いがたまく鼻に着き
何度か買った想いでがある






あ~ この中華料理店はその頃に見た記憶があるぞ
店は営業していないみたいである






そうそう、この狭い路地に入った事あるぞ~

わあ~い 楽しくなってきた






昭和の建物が残っていた





次の角を右に曲がる
このあたりにも何軒か映画館があったなぁ
右手には、昔からあった飲み街が見える






路地の看板には「名画座通り」とかいてあった
道は狭く小さい店がひしめいていて当時の香りが色濃く残っていた











ふ~ん  昭和が残っているのがうれしい限りである





南町の中心部方面に歩いて行く





はげまるが中学生の時代に友達が住んでいたので
このあたりにはよく来ていた
小さいオーシャンバーなんかもあって
外の看板に、ハイボール50円とか色々書かれていて
へ~ ハイボールてどんな飲み物なのかな~
なんて思ったものである







その時代からあったと思われる渋い昭和の商店
赤い字で、タバコ、パン他なんて書いてある
今みたいにタバコの自動販売機もコンビニも無い
のんびりとした時代が懐かしいなぁ











大きな通りに出て振り返って歩いてきた狭い道を撮る

これから散策する大きな通りが南町(小川町)の中心地帯である

ここで南町の歴史を少し見てみる

<参考資料> 


当地は、もともと小土呂から土砂を運んで埋め立てた土地であったが、 
川崎宿の飯売り旅籠から続く貸座敷が1902年(明治35年)に
当地へ移され歓楽街となったことから、
小土呂新地や川崎遊郭とも呼ばれていた。
明治末期から始まる川崎の工業化により南町は歓楽街として発展していき、
昭和初期の南町について伊藤一太良が『私の川崎』に
「およそ庶民というものの憂さ晴らしに
格好な安あがりの店がひしめきあっていた」と書き残している。


・・・参考資料終わり・・・


この南町(みなみまち) 子供の頃近所のオジサン達は
(みなみちょう)と呼んでいた思い出がある
赤線が廃止される昭和33年ごろまでは、
横浜の真金町、曙町あたりと同じカフェーとして
安いお○○この、お店がひしめいていたのである

ここで 安い お○○こ
ってなぁ~に  
なんて聞くアホはさっさと退場してください

おしんこではねぇ~ぞ
ヤケクソ





次回の南町は木村聡さんが書いた「赤線地帯を歩く」をまたまた参考にして話を進めていく

こう御期待。














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