元町と麦田を結ぶメイン通りには すごく昔からある建物がある

もちろんこの辺りの裏道を歩けば いまだにトタンの家とか 木造の店舗などが
ちらほらあるのであるが メイン通りでは一際目立つ昭和からの建物である

この通りに チンチン電車 そう市電が走っていた頃からあった建物である

この建物 はげまるがマダはげでねえ学生バンド時代
元町の入り口あたりの地下にあったディスコ「アストロ」
に出ていた時代からあったと記憶している
(たぶんね)
お断り
毎度であるが なにしろ脳がどんどん退化してきている(体も)
昨日の昼なにを食ったかのかなぁ とか
先日誰かさんからもらった名刺をみて
う~ん どこでもらったのかなぁ~ 何処の誰なのかなぁ
歩いていて知らない人から挨拶されて 取り合えず挨拶したあと
う~ん どこの誰なのかなぁ~ なんて毎度のことである
まして昔の記憶なんておして知るべし
とにかくその 大ぼけが書いているブログである
くれぐれも話半分で 気楽に読んでくださいね

そんなこんなの この古い建物にその昔「クラウン寿司」という寿司屋があった
昔からあったかは不明ではあるが入った事があった
(記憶では15年ぐらい前に二度ほど入った)


現在は「くらうん」と名前を少し変えて居酒屋風になっている
このクラウンという文字を見ただけで
50年ぐらい前にニールセダカが歌った「悲しきクラウン」の
レコードジャケットを思い出す

確か 小学6年か中学1年に頃に330円で買ったので
鮮明にそのレコードジャケットを覚えている
伊東ゆかりさんがまだ新人の中学生の頃日本語で歌った
「悲しきクラウン」も素晴らしい出来で
その歌声に当時 まだ半分子供のはげまるも疼いたものである
うずうずと
(でましたか)
特にカタカナの「クラウン」の文字を見ただけで
へなへな~ となってしまうのである

まあ カタカナではないが くらうんはクラウンである
久しぶりに入ってみる事にした

「くらうん」さんのカゥンター
記憶ではかなり使い古した木のカゥンターであったと記憶していたので
店主の女性に聞いてみたら 12年ぐらい前にお店を改装したそうである

このあたり昔は畳がひいてあって その上にテーブルと座布団ひいてあった
(と思う)

カゥンターの斜めあたりにの本日のメニュー

20年ぐらい前だったら 魚がツマミの時は必ず日本酒を飲んで
行け行け~ なんて盛り上がっていたのであるが
年々酒が弱くなってきている
もちろん○○○○関係もおしなべて同様である
(○○○○関係の例= 反射神経とか匍匐前進(ほふくぜんしん)とか他)
当然金銭的な出費も減り 万々歳であり未来はバラ色である
(やけくそだな)

お通し
お通しとは何か
広辞苑で調べてみたら
<
たのんでねぇのに勝手に出てくる席料のたぐいのモノ
当然強制的に値段をむしりとられるモノ >
なんては書いてなく勝手に今 はげまるが思いつきで書いたモノ
お通しには文句言えないのもつらい
「今日のお通し 少し甘くて酒に合わないんで違うの出してよ~」
なんて馴染みの客にでもならないと言えない
たとえば おね~さんがいる店なんかに行って
店長
「御指名の女の子いますか~」
はげまる
「う~ん 初めてなんでいないよ~」
しばらくするとお通しのおね~さんがやってくる
店長
「お通しのあけみさんです」
あけみさん
「お通しのあけみで~す うっふ~ん よろすく」
はげまる
「なんでぃ このお通しは~~ もっと若いお通しねぇのか~
冗談じゃねぇよ」
と言いたいのを我慢して
「はっはっは 君 かわいいねぇ ははは・・」
なんて事になったりする
お通しとはやたらと気を使い やっかいで困ったモノなのである

メニューの板の一番上に書いてあった 小刺盛 900円を頼んだ
もちろん 注文する前に 中身の内容をしっかり確認して注文したのである
酒のツマミとしては文句なし
これでマグロの代わりにイカ刺しとか青柳だったら もっとうれしいなぁ


さてと前置きが長くなった
本日の散策の お題
懐かしの「クラウン寿司」 閂(カンヌキ)トイレ のお話であります
はげまる同世代の方ならもちろんご存知の
閂(カンヌキ)である

閂(カンヌキ)のトイレの入り口
ひゃ~~年代モノだにゃ
毎年千葉の茂原に行って ぽったん便所のカンヌキドアを見ているが
まさか 元町の居酒屋でお目にかかれるとは
恐れ入りました ぺこぺこ
(毎度のハゲ頭を下げた音)
それでは中に入ってみる事にする

ほれ ご覧の通り(カンヌキ)ドアの裏側であります
上のほうがドアの開閉閂(カンヌキ)で 下のほうが鍵をかける閂(カンヌキ)
ここで閂について書いてみる
①これは「かんぬき」と読みます。辞書で調べると、
「門戸をさしかためるための横木。
門扉の左右にある金具に差し通して用いる」とあります。
「貫の木」から転じて「閂」になっ
たとされており、他に「関木(かんぎ)」、「貫木(かんのき)」、
「関の木(かんのき)」という ...
②門や建物の出入り口の扉を閉ざすための横木。
かんぎ。
―を掛ける
それで門にーで 閂という字が出来たのである
う~ん 流石をさすがと読ませた人も凄いが この字を考えた人も流石である
③ 相撲で、もろ差しになった相手の両腕を抱えて締めつけ、働かないようにすること。


ほんと昔の大工さん仕事は凄い 金属なんか全然使わずこのような
扉開閉装置を造る
不器用なはげまるだったら一生かかっても造れないなぁ

トイレから出てきたら 店の従業員の女性が
「トイレの神様に気がつきましたか~」と言われて再びトイレに入って
撮った写真

へ~ 可愛いなぁ
今日も快便快ションでありがとうございました
と頭を下げる
これでポッタン便所であったら凄い事になっていたのになぁ
食べログで
「お洒落な元町で懐かしのポッタン便所を堪能でき しかも閂付きドアが味わえる
地酒居酒屋 しかも安い 高齢者の方ご用達 冥土の土産に最適なお店」
なんて書いてあるかもな
いまどきこのお洒落な元町で 貴重な閂トイレには入れる「くらうん」さん
是非 体験して下さいましぃ~な
そうそう値段は 水割り二杯 小刺盛で2100円
いい時間が過ごせました。
よく、あのバブルの時代を生き抜いてきましたね。
カタカナのクラウン鮨だった気がします!
はげまるさんの今回の記事で・・・・
クラウン鮨・・・何処だったけな~なんて思い
昔は店の上にでかでかと看板があったような?
脳細胞が・・・・壊れてきています。
記憶違いでしたら、ごめんなさい。
>二階があるのにあのたかさ。中はどうなってるんだろう
ほんと こちらも 実はいつも考えておりました
不思議な建物はいいですね
RIOさん
>カタカナのクラウン鮨だった気がします
はい 本文にもそう書きましたです
<そんなこんなの この古い建物にその昔「クラウン寿司」という寿司屋があった>
店の上のほうの看板はぜんぜん記憶がないです
いつも下向いて歩いているからかもなぁ(わらい)
>脳細胞が・・・・壊れてきています
はい こちら脳細胞はもちろん 毛根は完璧死滅 え~~ぃ いったれいったれ
お通しを、お姉さんに置き換えてしまう発想力・・
流石です。是非とも見習わなくてはなりません
確かにお通しは、ある種の押し売りです
学生時代に、焼き鳥屋でバイトをしていたとき
『こんなもん頼んでないよ』「これは、お通しですので」
『でも金取るんだろ?いらないよ』
『そもそもお通しってのはなぁ、店側のサービスでただで出すのが云々・・』
と説教が始まるお客さんとかいましたねぇ
その時は心の中で「うるせぇなぁ、このジジイ」なんて思ってましたが
今考えると、至極ごもっともな見解のように思えてきます。
かんぬき便所は、その仕組みを理解していない小さい頃に
田舎の便所で出られなくなった怖い思い出が・・
そうでなくても、便槽からお化けの手が出てきそうな暗い便所の中でパニックに陥りました
すぐ違うところに話が発展してしまいます
まあ発想力というか 落ち着きが無いというか
どうにも止まりませんね
>便槽からお化けの手が出てきそうな暗い便所の中・・
子供の頃 同じ想いを何度もしました
ほんと こわかったな~
10数年前でしたが確か賃料2万円台前半ぐらいだったと思います。
そう、台所(流しなど)がないんですね。最近、通ったときには無かったと思うのですが
誰か澄んでいるのかなぁ?
そうそうそう
あの不動産屋さんも古いですね(日経不動産)
30年ぐらい前にあそこで物件探した思い出があります
>誰か澄んでいるのかなぁ?
トイレの神様の親戚かもね(わらい)
よくそこでレコードを買った記憶があります。
又、この先に昔よく通ったエルバンバが・・・
フリチャチャ全盛期の頃で、○山さんご兄弟もよく来られておりました。
チェック柄のフロアーに横一列に並んで踊るチャチャは、それは圧巻でした。
ステップの解らない人は、後ろに並んで前の人の動きに合わせ、踊るのが常でしたね。
その後、六本木が流行った頃でもステージの真ん中で5、6人でフリチャチャを踊っていると
ホームの連中と直ぐに揉めたのですが・・・
でも、大抵は仲良くなりステップを教えて上げて、一緒に踊っておりました。
凄いときはステージの5、60人が何列にもなり同じステップで踊っておりました。
はげまるさんのブログのお陰で、当時の事を思い出させて頂きました。
流石ですね レコード屋さんがあったの知りませんでした
エルバンバ そうそう チエックの床
皆さん踊りが上手くて 僕はサッパリ駄目なもんで いつも見物しておりました
小山兄弟は二人とも背が高くて 踊りも別格
にうまかったですね(^O^)/