はげまるブログのコメントで御馴染みの さも次郎さんから
「青い麦」さんと同じ終戦後昭和20年からやっている渋い食堂がある
と情報を頂いた
古いモノ大好き 錆びたトタン大好き 渋いモノ大好き(渋柿は例外)
のはげまるとしては 行かねばなるまい
まだ蒸し暑い先月 夕方4時ごろ
気楽な食堂に行くので
はげ頭に手拭を巻き 半ズボン 便所サンダルの
寿スタイル ハゲチャリにまたがり鼻息荒らし
「ど~だ もう矢でも鉄砲でも持ってきやがれ~」
えっちらこ~ぎっこんこ~えっちらこ~ぎっこんこ~
(えっちらこ~は掛け声で ぎっこんこ~は自転車をこぐ音)
京急日の出町駅から黄金町方面に歩いて5分位の場所にある
写真の和菓子屋「大黒屋」さんの隣にその渋い食堂がある
「大黒屋」さんの隣にはその渋い食堂のノボリ 旗が勇ましく立っている
この「大黒屋」さんも凄く歴史がありそうである
実はここで何度も母にお土産を買ってあげているので
へ~ この隣にそんな歴史がある食堂があったのか~
灯台元暗しである
自分のはげ頭の裏の傷も己ではじかに見れないのと同じで
くゃしいなぁ
この写真は2~3年前に撮ったモノ
これは先月 お土産を買った時に撮ったモノ
さて 目指す食堂「いもや」
名前がいいなぁ~ いもやか~
ここで話は飛ぶが昔の横浜にはキャバレーやらクラブやらが沢山あった
キャバレーにはフルバンド(10人以上のバンド)とコンボバンド(4~5人)
が出演していて そんなキャバレーが何軒もあった
これにクラブに出演していたバンドマンも沢山いたのであるから
福富街界隈なんて真夜中に歩いていると
酔っ払いのサラリーマン 客引きのパイラ~さん ヤクザ屋さん
ホステスさん それにバンドマン
これしか歩いてなかったのである
ところでバンド仲間で イモ と言うと イモなのである
イモとは何か?
広辞苑で調べてみた
いも
① サトイモ・ヤマノイモ・ジャガイモ・サツマイモなどの総称。
② 植物の地下茎または根の発達したもの。
③ 俗に、野暮ったい人や物をいう。
ようするに演奏が上手くない=いも
なかにはバンド全員いも というバンドも多々いたなぁ
はげまるも いも>半いも>そこそこいも の道を挫折とお笑いを経て
ここまで生きているのである
そんな楽しい懐かしい名前の「いもや」さん
中に入ってみる事にしますか
はげまるは少し開いていたドアをガラガラと開けて
「いもや」さんに気楽な感じで入って行った
カゥンターのみのお店で先客がひとりいた
ママさん (お母さんみたいな感じ)が
「いらっしゃ~ぃ」
初めて来た客なので少し不思議そうな顔をしていた
う~ん やはり怪しい奴 と思われたのかもしれない
すばやくはげまるは頭の手拭を取ってニタリと笑い
手前の席に勝手に座った
今度は怪しい気がふれたハゲと思われたかなぁ
そんな事思いながら
「あの~ ウィスキーの水割りと う~ん
(カゥンターに置いてあったメニューを眺めながら)
シラスおろし」
残暑厳しい中 ハゲチャリをこいできたので大汗である
店の中はクーラーなんか動かしてなく蒸し暑い
この蒸し暑さが シラスおろしとウィスキーの水割りにぴったんこ合う
汗がす~っとひいていく感じである
ママさんが写っている
カゥンターにひとり座っている おじさんが暇しているみたいで
しきりにはげまるに話しかけてくる
「わたしはねぇ~ 昔から横浜に住んでいてここには何十年と
通っているのよ」
「それでね ここのママさんと私はね~ 同じネズミ年なのよ」
昭和11年生まれのネズミ年であった
げまるもネズミ年である(タコ年ではないぞ)
その事を話すと ママさんもおじさんも喜んでいろいろ昔話をしてくれた
ママさんが中学生の頃の話で 伊勢佐木町にまだ若葉飛行場があった頃
MP(アメリカの警察官)の目を盗んでクラス仲間と集団で
フェンスを乗り越えて反対側にあった学校に通ったそうである
すっげ~~~~ 話であるなぁ
カゥンターのおじさん 初めの頃は電気屋です
なんて話していたが そのうち
「実はねぇ 昔はねぇ 横浜のストリップ劇場のライトマン
(照明係り)をさんざんやっていたのよ」
「あの頃は ストリップ劇場が横浜には沢山あってね~
あちこちで仕事したのよ」
そのうち酔っている勢いで
「あのね~ ダンサーのねぇ ○○○○とかねぇ ○○○○とかねぇ
いい女がいたのよ~ ほんと~ あんた知ってる~」
はげまる
今から50年以上前のダンサーなんか知るわけねぇ
と内心ニンマリとした
この「いもや」さんは 昭和20年開業で「青い麦」さんと同じであり
ママさんは二代目であるそうだ
定食屋さん兼飲み屋さんのメニュー
テレビの下のほうの入れ物には昔からの思い出品が
ぎっしりと詰まっている
きっとガラス戸を開けたら昭和の香りが
ぶは~~~っと出てくるんだろうなぁ
はげまるは二杯目のウィスキーの水割りと お浸しをたのんだ
そのお浸しさん
なんだ おら~ 猫ではねぇんだぞ
カツオ節で下が見えないぞ
そんなこんなで食べていたら下からお浸しさんが出てきた
う~~ん なかなかのんびりして
いいではないか。
さも次郎さんからのコメントです
「芋やさん 昔本当に焼き芋売ってたんですよ。」
ひゃ~ 本物の芋屋さんだったんだ
「青い麦」さんと同じ終戦後昭和20年からやっている渋い食堂がある
と情報を頂いた
古いモノ大好き 錆びたトタン大好き 渋いモノ大好き(渋柿は例外)
のはげまるとしては 行かねばなるまい
まだ蒸し暑い先月 夕方4時ごろ
気楽な食堂に行くので
はげ頭に手拭を巻き 半ズボン 便所サンダルの
寿スタイル ハゲチャリにまたがり鼻息荒らし
「ど~だ もう矢でも鉄砲でも持ってきやがれ~」
えっちらこ~ぎっこんこ~えっちらこ~ぎっこんこ~
(えっちらこ~は掛け声で ぎっこんこ~は自転車をこぐ音)
京急日の出町駅から黄金町方面に歩いて5分位の場所にある
写真の和菓子屋「大黒屋」さんの隣にその渋い食堂がある
「大黒屋」さんの隣にはその渋い食堂のノボリ 旗が勇ましく立っている
この「大黒屋」さんも凄く歴史がありそうである
実はここで何度も母にお土産を買ってあげているので
へ~ この隣にそんな歴史がある食堂があったのか~
灯台元暗しである
自分のはげ頭の裏の傷も己ではじかに見れないのと同じで
くゃしいなぁ
この写真は2~3年前に撮ったモノ
これは先月 お土産を買った時に撮ったモノ
さて 目指す食堂「いもや」
名前がいいなぁ~ いもやか~
ここで話は飛ぶが昔の横浜にはキャバレーやらクラブやらが沢山あった
キャバレーにはフルバンド(10人以上のバンド)とコンボバンド(4~5人)
が出演していて そんなキャバレーが何軒もあった
これにクラブに出演していたバンドマンも沢山いたのであるから
福富街界隈なんて真夜中に歩いていると
酔っ払いのサラリーマン 客引きのパイラ~さん ヤクザ屋さん
ホステスさん それにバンドマン
これしか歩いてなかったのである
ところでバンド仲間で イモ と言うと イモなのである
イモとは何か?
広辞苑で調べてみた
いも
① サトイモ・ヤマノイモ・ジャガイモ・サツマイモなどの総称。
② 植物の地下茎または根の発達したもの。
③ 俗に、野暮ったい人や物をいう。
ようするに演奏が上手くない=いも
なかにはバンド全員いも というバンドも多々いたなぁ
はげまるも いも>半いも>そこそこいも の道を挫折とお笑いを経て
ここまで生きているのである
そんな楽しい懐かしい名前の「いもや」さん
中に入ってみる事にしますか
はげまるは少し開いていたドアをガラガラと開けて
「いもや」さんに気楽な感じで入って行った
カゥンターのみのお店で先客がひとりいた
ママさん (お母さんみたいな感じ)が
「いらっしゃ~ぃ」
初めて来た客なので少し不思議そうな顔をしていた
う~ん やはり怪しい奴 と思われたのかもしれない
すばやくはげまるは頭の手拭を取ってニタリと笑い
手前の席に勝手に座った
今度は怪しい気がふれたハゲと思われたかなぁ
そんな事思いながら
「あの~ ウィスキーの水割りと う~ん
(カゥンターに置いてあったメニューを眺めながら)
シラスおろし」
残暑厳しい中 ハゲチャリをこいできたので大汗である
店の中はクーラーなんか動かしてなく蒸し暑い
この蒸し暑さが シラスおろしとウィスキーの水割りにぴったんこ合う
汗がす~っとひいていく感じである
ママさんが写っている
カゥンターにひとり座っている おじさんが暇しているみたいで
しきりにはげまるに話しかけてくる
「わたしはねぇ~ 昔から横浜に住んでいてここには何十年と
通っているのよ」
「それでね ここのママさんと私はね~ 同じネズミ年なのよ」
昭和11年生まれのネズミ年であった
げまるもネズミ年である(タコ年ではないぞ)
その事を話すと ママさんもおじさんも喜んでいろいろ昔話をしてくれた
ママさんが中学生の頃の話で 伊勢佐木町にまだ若葉飛行場があった頃
MP(アメリカの警察官)の目を盗んでクラス仲間と集団で
フェンスを乗り越えて反対側にあった学校に通ったそうである
すっげ~~~~ 話であるなぁ
カゥンターのおじさん 初めの頃は電気屋です
なんて話していたが そのうち
「実はねぇ 昔はねぇ 横浜のストリップ劇場のライトマン
(照明係り)をさんざんやっていたのよ」
「あの頃は ストリップ劇場が横浜には沢山あってね~
あちこちで仕事したのよ」
そのうち酔っている勢いで
「あのね~ ダンサーのねぇ ○○○○とかねぇ ○○○○とかねぇ
いい女がいたのよ~ ほんと~ あんた知ってる~」
はげまる
今から50年以上前のダンサーなんか知るわけねぇ
と内心ニンマリとした
この「いもや」さんは 昭和20年開業で「青い麦」さんと同じであり
ママさんは二代目であるそうだ
定食屋さん兼飲み屋さんのメニュー
テレビの下のほうの入れ物には昔からの思い出品が
ぎっしりと詰まっている
きっとガラス戸を開けたら昭和の香りが
ぶは~~~っと出てくるんだろうなぁ
はげまるは二杯目のウィスキーの水割りと お浸しをたのんだ
そのお浸しさん
なんだ おら~ 猫ではねぇんだぞ
カツオ節で下が見えないぞ
そんなこんなで食べていたら下からお浸しさんが出てきた
う~~ん なかなかのんびりして
いいではないか。
さも次郎さんからのコメントです
「芋やさん 昔本当に焼き芋売ってたんですよ。」
ひゃ~ 本物の芋屋さんだったんだ
芋やさんの看板綺麗になっちゃいましたね 残念
電気屋さん、いいですねー劇場の裏話ききたいなぁ
黄金町から東小学校へ向かう芋やさんのある坂道には
焼夷弾火災から逃れ熱風に煽られ無惨にも倒れていった場所だそうです
さらっと明るくいく、はげまるさんのブログですが
現実にあった事を忘れてはいけないですし伝えていく事が大切だと思います。
東小学校の惨劇
http://www.howitzer.jp/ww2/yok/y05.htm
黄金町などの画像
http://www.howitzer.jp/ww2/phtop.html
>芋やさんの看板綺麗になっちゃいましたね 残念
ひゃ そうだったんですか ホント残念無念ですね
はい 僕の母も焼夷弾 飛行機の機銃掃射から逃げ回ったので よく昔話しておりましたよ
はい はげまるのブログはハゲ頭同様
とことん明るく行きますヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿
不適切なコメント失礼しました
自分では、この場で暗い話をしてすいません という意味で書きました
いや~文章って難しいですねー
明るい ナショナル~♪
自称電気屋さんは、ストリップの照明係だったりだとか
もう、こういう話大好きです
若い頃は、飲み屋で昔話をするおっさんほど、鬱陶しいものはなかったんですが
勝手なもので、今じゃ、金払ってでも聞きたいと思うようになりました
死んだ祖父母の戦争話を、適当に聞き流していたことも
今となっては後悔しています
いえいえ気にしないでくださいませ
こちら気楽に楽しく書いてますo(^▽^)o
ど~ぞ 気楽に行きましょうね
☆☆☆さん
はい ジジィの話しは面白いですね
たまに同じ話を何回もするのが難点ですが(o^^o)
はげまるも かなり同じような話し書いてますが まあジジィなもんで許してチョンマゲ
三ツ星さん ナーイスコメント イエーイ!
そう この辺で呑んでら俺は機械屋だって言う みょーに
落着いた御兄さんがいまして、話をよく聞いてるとマシーン屋
だって言いまして、何ですかそれ?って聞いたら
俺はスロットルマシーンの廻し手だよ” やばー賭博屋かー
機械屋って旋盤工かと思いましたよ。
私の家近くにピノキオ、貴婦人で照明係と掃除しかしなかった
お釜さんがお店やってまーす 本名○○○ケンイチです。
芋やさん 昔本当に焼き芋売ってたんですよ。
よんぼうさん 出張長いですね寂しいですね。
だめだこりゃ
>芋やさん 昔本当に焼き芋売ってたんですよ。
本文に加筆させていただきました
モノホンだったんですね^^
>スロットル×です ルーレットでした
なんかそんなのあるのかなぁ~ て思ってました(わらい)
昔大流行したポーカーゲーム屋さんも機械屋て呼ばれてましたね
恥ずかしながら、帰ってまいりました(笑)
気にして頂きありがとうございます。
いもやさん大黒屋さんは、ぜんぜん知りませんでした。
あの辺は親戚もありよく遊んだところでしたが、知りませんでした。
普段は元町プールに行っていたのですが、野毛山プールには飛び込み台があり、それを目当てに何度か行きました。
又、私はピノキオさんよりもジョーーカーによく行っておりました。
ママさんの○藤さんには、非常に可愛がって頂き(肉体関係はございません!)
よくピノキオさんや野毛、関内のその手のお店に連れて行って頂きました。
今でも良い思い出です。
またまた お帰りなさい
>野毛山プールには飛び込み台があり、それを目当てに何度か行きました。
そうでしたか はげまるは高所恐怖症なもんで
一度2m位の飛ぶ込み台に上がったら
くらくら~となり 気絶寸前になりました
四つん這いになりすごすご後ずさりしました
その時の彼女は二度と会ってくれなくなりました
(くやし~~~ぃ)
>私はピノキオさんよりもジョーーカーによく行っておりました
ジョーーカーさんて二階にあった所ですかね?
そこだったら1~2回行った事ありますよ