はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

 異国情緒あふれる港町 横浜 バンドホテル他

2009-06-19 17:27:18 | 日記
今 横浜は 開港150周年を迎えている
催し物 イベント 等が華やかに行われていて 横浜以外の所からも人が
わんさかわんさかと押し寄せてきて 大賑わいである

150年前は確か 横浜村であった
小さな漁村であったのが 貿易港としてここまで世界に名を轟かせたのには
まるっきり関係ねぇ~  はげまるでも
う~ん  う~ん と広がっている鼻の穴を さらに広げるしかないのである
そして この港町という響きもいい  なんか哀愁を持った感じがいい

美空ひばりの 「港町13番地」  なんて 歌の題だけでも
 またしても う~ん  う~ん  となってしまうのだ

今回の写真のほとんどは20年ほど前の横浜の 銀塩カメラ(ポジフィルム)撮りである




みなさん 突然ですが
淡屋のり子 さん 知っていますか
今の若い人たちは ほとんど知らない人  「なんだべ はげまるの昔の女か?」
となるかもな

昭和32年に大ヒットした歌 「別れのブルース」 そう その歌を歌った女性歌手である

この歌詞の冒頭
  窓を開ければ港が見える   メリケン波止場の 灯りが見える

という歌詞である
この歌詞は このホテルに泊まった作詞家が ここで書き留めたというのが
嘘か真か 定説になっている

ホテルの名は「バンドホテル」 1929年築
バンドとは 音楽関係のバンドではなく ドイツ語の「bund」=波打ち際
から来たのを 後々知った はげまるである

ここの最上階は 「シェルルーム」という 横浜では有名なナイトクラブがあり
そこからの眺めは ほんと 港町感あふれていた
なにしろ高速道路がまだ作られて無い時代である  すぐ下が海という感じであった

大晦日から元旦にまたがる時間体は 出演しているバンドが 音を止めて
 港の船の 一斉の汽笛 「ぼ~っ ぼ~っ ぼ~~っ ぼぼぼ~~~っ」
を聞いた思い出が懐かしいな~

平成7年に廃業してしまい 今では「新山下ドンキホーテ」となっている



横浜と言えば  外人さんである
今ではそれほどではないが 一昔前は  外人の兵隊さんやら 在住米軍の家族やら 
外国の船員さんやら  がわんさかいた



海沿いの ちょっと洒落たバーには よく外人のバンドも出ていた
これは はげまるが おね~さんとデートした時に撮った
 (また 鼻の穴をひろげる)
バンドの名前も 歌い手さんも知らないのだが  上手かったな~

横浜にはこのような ミュージシャンが沢山出稼ぎに来ていたのだ



根岸森林公園の裏手にある 米軍基地住宅にて

森林公園は なんとその昔 日本で初めてできた競馬場があって 
明治天皇も 観に来られたという凄い場所なのである

年に一度の friendly shipday の時の バンドの歌い手さん
9.11以来 警備がきびしくなり かなり縮小されてきて 最近は行ってないのだ
もう基地の中の渋いバーにも入れないし  バンドも出てないし  中のスロットも出来ないし  
 好きなアメリカ製本物マルボロも手に入らなし
あ~  なんか最近 港町 横浜が遠くに行って行くみたいだにゃ~
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2 コメント

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最初はバンドホテルだたんですか・・・ (井上@打浦橋@上海)
2012-10-05 12:34:08
はげまるさん、どうも。

ブログ遡って斜め読みさせて頂きました。
いやぁ、泣けてくる話ばかり。
私は横浜に住み始めたのは昭和33年・・・横浜と言っても在の方でして、
鶴ヶ峰と言うところ。
でも、中学高校は黄金町。
夏は野毛のションベンプール。
大学時代は、沖仲仕のアルバイトのため、早朝に野毛に来て、
夕方は、野毛の屋台で立飲み。
社会人になってからは、競馬で毎週末は野毛に。
また、一杯やるために野毛に・・・
競馬の際、必ず行っていたサウナが、
あとになってゲイ専門のサウナだと知ってビックリ。
横浜の渋くてディープな世界・・・エエですね。
はげまるさんのブログのトップがバンドホテル。
いや、私は行ったことないですが、昔、ラジカンで流れていたCMを
思い出します。そこにはシェルルームってのがあり、ウィリー沖山が
いつも歌っていたとか。
そうそうラジカンと言えばポートジョッキー。
10年くらい前ですが、パパジョンへ高校時代の友達と行き、
カウンターで飲みながら、ラジカンの話をしていて、
ポートジョッキーの話に盛り上がっていましたら、
マスターが棚から一枚のレコードを取り出し、そこに針を落として、
流れてきたのが、ななな、なんとビリーボーンの「波路はるかに」。
いやぁ大感激でしたね。2人で拍手してしまいましたよ。
バンドと言えば、何といても上海です。
外灘・・・ワイタン・・・という呼び方が一般的ですが、
英語圏の人は、皆さんThe Bundと呼びますね。
いつか、上海にいらしてください。
上海にも競馬場跡地があります。
返信する
Unknown (はげまる)
2012-10-05 17:35:39
井上さん

それはそれは ホンモノ浜っ子ですね
話したら凄いお話が沢山聞けそうでなので
また面白い話のコメントヨロシクお願い致します


>10年くらい前ですが、パパジョンへ高校時代の友達と行き、
カウンターで飲みながら、ラジカンの話をしていて、
ポートジョッキーの話に盛り上がっていましたら、
マスターが棚から一枚のレコードを取り出し、そこに針を落として、
流れてきたのが、ななな、なんとビリーボーンの「波路はるかに」。
いやぁ大感激でしたね


アナログの音だらけの時代のお話
それはそれはいいお話ですね^^
返信する

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