赤い彷徨 part II

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こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

【本】 「自民党-『一強』の実像」(中北浩爾・著)

2017-10-18 10:30:02 | エンタメ・書籍所感
 1955年の保守合同(自由党及び民主党の合併)により誕生した自由民主党のその後の歴史を振り返りつつ、「安倍一強」などと言われる現状まで、定量的なデータは勿論のこと、自民党議員、同党職員、地方組織、派閥関係者、友好団体、そして友党である公明党関係者まで含めた幅広いインタビュー証言をもとにして、選挙制度の変更といった外部環境の変化もふまえた上で、政治学者の中北浩爾先生がごくごく学問的なスタンスで、我が国に長年君臨し続けている自民党について分析・記述した良書です。自民党について、「なんとなくわかった気になっている」ことを具体的に分析してしっかり文字に落とし、また細かな制度運用や組織運営についてもしっかり説明が施されており、政治や自民党に関心のある方、また政治に近いところで仕事をしている方には強くお勧めしたい一書で、選挙中に読むと一層面白いかもしれません。

本書の概要は以下のとおりです。


 かつての自民党は「派閥連合体」の政党として、派閥が基本的な単位として、それに基づいて党運営がなされていた。その派閥は保守合同以降に党内における地位を確立していったが、その背景には(1)党総裁選挙における派閥による激しい多数派工作、(2)かつての中選挙区制度(中選挙区制の下での自民党候補の同士討ちが存在し、候補者(議員)は政治資金、選挙応援(公認ゲット、応援演説等)、や党/政府におけるポスト配分における派閥からの支援をインセンティブとして派閥に加入)が主な2点があり、これにより、非イデオロギー的な性格で、高度に制度化された「党中党」とも言うべき派閥が自民党内部で定着していった。

 派閥は、金権/密室政治の温床として、また首相(官邸)のリーダーシップ発揮を阻害するといった批判を浴びた一方で、派閥の存在を通じて自民党議員の「多様性」が確保され、それにより党として様々な人材や利益を包摂することが可能だった。また党内の「疑似政権交代」を経ることで長期政権が続いたという評価もある。この自民党の派閥政治の全盛期は、各派閥の領袖がずっと総理を務めていた70~80年代とされる。

しかし、88年のリクルート事件をきっかけに風向きが変わる。自民党議員は、党の組織や政策に頼った選挙運動を展開できないため、個人後援会を作り、派閥に庇護を求め、利益誘導政治に走る。こうした流れが金権腐敗の根源である以上、政治家の倫理を問うよりも、いっそのこと中選挙区制を廃止して小選挙区制を導入すればよい、という認識が自民党内外で広まった。

 なかでも小沢一郎は、腐敗防止にとどまらず、政治的リーダーシップの強化という観点から政治改革の必要性を説いた。中選挙区制であるがゆえに自民党は派閥連合政党にとどまっており、総裁(首相)の権力が制約されている。そして派閥の寡占化が進み派閥間競争さえ失われようとしていた。従って、小選挙区制導入により政権交代の可能性を高め、競争を取り戻すとともに、党首を中心とする執行部の権力を強化し、政党/政策本位の政治を実現しなければならない。こうしたことを志向する政治改革はその小沢が自民党を離れ細川護煕を担いだ非自民党連立政権によって94年に実現した。

 また、この中選挙区⇒小選挙区の選挙制度改革とともに、(1)政党助成金制度の導入、(2)政党以外への企業・団体献金の禁止、(3)政治資金の透明化(政治献金及び政治資金パーティ券購入の公開基準額を下げる)を柱とする政治資金制度改革も実施された。

 この一連の政治改革が派閥にどのように作用したか。中選挙区制の廃止により派閥が求心力を失い分裂等して派閥数が増加し、無派閥議員も増加したのである。当選者が各選挙区1名となったことにより、党として擁立する候補も原則1名となったため党の公認を取り付ける上での派閥の果たす役割が低下し、また選挙運動のおける派閥の活動量も同じく低下した。そして何より政治資金改革の影響が大きく、派閥の集金力は急激に減少した。

 ただ、それで派閥が存在意義を失い、消え去ろうとしているかというとそのようなことはない。外形的に見る限り派閥のあり様はほぼ変わっておらず、現在の自民党のいわゆる「魔の2回生」といわれるグループは当選直後こそ47%もの無派閥議員がいたが、17年2月なるとそれが12%ほどまで低下しており、急激に派閥に吸収されていっている。派閥の機能は著しく低下し、無派閥議員が昔に比べて多いのは事実だが、過去の遺産(長年蓄積してきた人材その他の資産)と人的ネットワークという機能の支えられながら派閥の衰退しつつ生き延びているということ。

 ともあれ、自民党内の派閥の力に陰りが出た。そして、小選挙区制導入により二大政党の一角を占めるべく94年に新進党が、98年には民主党が結成されたことにより、自民党としてもその対抗上「選挙の顔」となる総裁の役割が重要化していった。こうした変化を一気に可視化したのが01年党総裁選挙における小泉純一郎の勝利だった。総裁選の過程で「古い自民党をぶっ壊す」と叫び、党内の派閥(特に旧経生会(田中派))を抵抗勢力と位置づけ仮想敵とすることで国民の喝采を浴びた。

こうして高い支持率を背景に派閥を軽く扱い、強力な政治リーダーシップを発揮した小泉政権以降総裁選の戦われ方が変化した。資金提供とポスト配分をインセンティブとする派閥による多数派工作の世界から、有権者の間で人気があり、選挙の顔になりうる候補者に雪崩を打つという現象が起きるようになった。事実、清和会(現細田派)、平成研(現額賀派)、宏池会(現岸田派)という3大派閥の領袖は森喜朗以降党総裁に就任していない。そればかりか総裁選立候補さえ難しくなってきている。また、派閥がイデオロギー色が薄かったのに対し、民主党に対抗する形で自民党の「右傾化」を促進したとされる「創生日本」に代表されるような「理念グループ」が党内に台頭し、麻生政権や安倍政権の成立に一役買った。

 よく比較される小泉政権と安倍政権のあり様について比較では、田中派との激しい派閥抗争が政治家としての原点にある小泉と、野党議員として政治家人生を歩み始めた安倍とでは自ずとスタンスも異なるとする。後者は自民党が政権の座にあり続けられるよう改革していくことを自らの政治的課題の中心に据えた。つまり、安倍にとっての主要敵は民主党/民進党(ほぼなくなってしまいましたが)であり、小泉のように党内に仮想敵を作り出すのではなく、党内結束に重きを置いている。よく指摘される、現在の安倍自民党で「異論が出にくい」一因は、党内融和的な政治手法(政敵を閣内に取り込んだり党要職に起用する等)を執っていることにある。つまり「内なる結束」と「外への対抗」という点にこそ、安倍自民党の特徴が存在する。

 また、一般的なイメージとは異なり、小泉政権は国政選挙で常に勝利を収めたわけではない。振れ幅が大きかったのは小泉政権が移ろいやすい無党派層の支持に依拠しようとしたからで、ポビュリスト的な政治手法は不安定さを免れないということ。その小泉と異なり安倍はポピュリストとは言い難い。安倍の主要敵はリベラル色の強い民主党(民進党)であり、既得権を持つエリートではない(その点は小泉の徹底した郵政民営化と、上澄みに終わった安倍政権のJA改革を比較すれば明白)。移り気な無党派層を掴もうとした小泉政権とは異なり、固定票を重視する安倍政権は国政選挙において安定的に勝利を収めている。

 つまり、現在の自民党は政治改革への対応というステップを経た上で、民主党という外的に対抗する中で形成されてきたということができる。ただ、その支持基盤である固定票(友好団体、地方組織)はそれでも徐々に弱体化してきている点には留意が必要。


 以上の他、自民党の組織運営や意思決定やポスト配分のあり様、選挙活動や友党公明党との関係、経団連など利益団体をはじめとした友好団体との関係、地方組織や議員の個人後援会についても詳細な説明が施されておりかなりの読み応えがあります。

 ちなみに、上記55年保守合同の立役者のひとり、三木武吉氏が自由党と民主党(それぞれ当時)が合併して誕生した当時の自民党の前途について「10年ももてばよいほうだ」と自嘲的に語ったといい、その自民党が結党70年を過ぎなお我が国の統治のど真ん中に鎮座し続けているというのは、現在になって振り返ってみると味わい深いことなのかもしれません。

10月17日(火)のつぶやき

2017-10-18 02:48:51 | Weblog