さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

日本舞踊の発表会

2011-06-24 09:48:24 | 閑話休題
阿見町かすみ公民館にて,日本舞踊「泰緒会(ゆきをかい)」の発表会
端唄『奴さん』
幕末の頃にできた端唄で、この唄の寿命が長いのは踊りの振りがあるためともいわれている。


かなめ会の5人組、真ん中のひょっとこ面は、レークサイドの名物区長。


かなめ会の看板娘


清元「梅の香」 有沢聡子
清元の代表的なご祝儀物の一つ。


長唄「藤娘」 藤原眞理子
日本舞踊と言えば「藤娘」といわれるくらい有名な曲で大津絵の中の女性を舞踊化したもの。


長唄「近江のお兼」 戸板紀代美
近江八景になぞらえた変化舞踊のひとつ。「さらし」をふったり振りもリズミカルで楽しい曲


常磐津「東都獅子」 小林 京(みやこ)
明治40年のころ新橋の花柳界の舞踊曲として発表された華麗な踊り。



清元「青海波(せいがいは)」 坂東流師範 坂東泰緒(ばんどう ゆきを)
四季折々の名所を謳った素踊りのご祝儀舞踊


レーク教室、我孫子教室の合同反省会(レークサイド公会堂)
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北京にて

2011-06-23 10:47:30 | 海外旅行
北京首都国際空港
中華人民共和国北京市に位置する国際空港。2009年には前年比17%増の6530万人が利用し、中国最大の空港、世界第三の規模を持つ。空港は1958年に開港し、1999年に日本のODAを受けて大改造が行われ、3倍の広さになった。この時、第2ターミナルも建設された。北京オリンピックに備え、第3滑走路や5階立ての第3ターミナルが完成。


中華人民共和国、通称中国(ちゅうごく)は、1949年に中国共産党によって建国された社会主義国家。首都は北京市。
□人口 約13億人
世界人口60億人のうち、5人に1人は中国人。但し、国内の潜在的な人口は、統計上含まれない黒孩子(ヘイハイズ)や盲民と言われる浮浪民の人口などによって大きく変わり、実数ははっきりしない。
人口の94%を占める漢族のほか、チワン族、ウイグル族、モンゴル族、チベット族、回族、ミャオ族、イ(彝)族、トゥチャ族、満族など、政府が認定している55の少数民族よりなる多民族国家である。
多くの国と隣接するが、仲がよいのは、北朝鮮、ロシア、ミャンマー等。
□分離・独立運動
(1)チベット自治区
1950年に中国政府は人民解放軍を中央チベットに派兵、1951年にラサを占領し、チベット全土を侵略したが、1959年に「改革」に反発したチベット人が蜂起(「チベット動乱」)した。しかし中国軍の強力な反撃により弾圧、ダライ・ラマ14世は多数の難民と共にインドへ脱出して、亡命政府を樹立。2008年3月14日には、チベット自治区ラサで、僧侶や市民のデモ。
(2)新疆ウイグル自治区
新疆ウイグル自治区でも分離・独立を目指す勢力が国内外に多数存在、中国政府は情報統制を行なっている。独立運動の規模等は明らかではないが、 チベット自治区と同様に虐殺・虐待事件が多発しているのではないかと指摘されている。
(3)内モンゴル自治区
中国政府は内モンゴルにおける分離運動も警戒しており、指導者の粛清と漢民族移入政策をとっている。1995年には「南モンゴル民主連盟」(SMDA)を「分離活動を行なう」非合法組織として告発し、70名以上のメンバーを逮捕。2010年に刑期が満了した後、人権活動家のハダとその家族が政府によって連れ去られ行方不明となっている。



万里の長城
城壁の遺跡、ユネスコの世界遺産(文化遺産)。「八達嶺」長城は、海抜1000メートル、平均の高さは7.8メートル、(中国では1里=0.5Km)
長城を作ったのは秦の始皇帝だといわれている。現存している「万里の長城」の大部分は明代に作られたものである。戦国時代から北の異民族に備えるために長城を建設していた。
モンゴル人の建国したモンゴル帝国は難なく長城を越えて侵入し、中国(華北)は3世紀もの間、北方民族の勢力下に置かれた。南方から興った中国人の王朝である明がモンゴル人の王朝である元を北方の草原へ追放すると、元の再来に備え、明は長城を強化し、ようやく現在の形になった。よく「農耕民族と遊牧民族の境界線」と言われるが、実際は草原の中に建っている。
2006年4月に行われた中国の学術団体「中国長城学会」の調査によると、万里の長城が有効保存されている地域は全体の2割以下で、一部現存している地域も3割であり、残り5割以上は姿を消しているとの報告がされた。
2009年4月、国家文物局は総延長は、6,352kmから8,851.8kmであると発表した。


北京ダック
炉の中でパリパリに焼いたアヒルの皮を削ぎ切りにし、皮に、ネギ、キュウリを包んで食べる料理。



北京オリンピック会場「鳥の巣」
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オニの町

2011-06-22 20:21:53 | 海外旅行
内モンゴル自治区は、地下資源が豊富、レアメタルのレアアースの93%は中国、タングステンの85%は中国。草原は痛み、遊牧民の暮らしが厳しくなる一方で、地下資源の開発をてこに、02年から8年連続の国内一の経済成長率を記録、風力発電7,000基。
発展と暮らしの調和、これが中国の抱える大きな課題。 胡錦濤国家主席ら共産党指導部は調和のとれた「和諧社会」を唱えているが・・・・
オルドス市に入ろうとしたとき、異常に多い高層マンションの建築現場に遭遇。建設中のマンションは、完売されているが人は住んでいない。一部の金持ちがワンフロアー一括買い付けてしまうそうだ。人が居ない住宅、鬼城(ゴーストタウン)化は、急激な発展に馴れていない中国の象徴。


太極拳でもしようと、翌朝、公園へ行ったら、景色は、東京の「山の手」気分。アスレチックジムにあるような運動器具が整備。海老原龍夫さんも一緒に自転車こぎ。


オルドス市「チンギスカン陵」にて



チンギス・カンは、モンゴル帝国の初代皇帝(在位:1206年 ~ 1227年)。大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を統一し、中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服して、最終的には当時の世界人口の半数以上を支配、人類史上最大規模の世界帝国、『モンゴル帝国』の基盤を築き上げた。
彼の死後その帝国は百数十年を経て解体されたが、その影響は中央ユーラシアにおいて生き続け、遊牧民の偉大な英雄として賞賛されている。特に故国モンゴルにおいては神となり、現在のモンゴル国において国家創建の英雄として称えられている。



モンゴル騎馬軍の会戦


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地球倫理の森に「ハヤブサ」

2011-06-22 16:58:54 | 海外旅行
第49次緑化隊は640本のポプラを植林。


野鳥確認:17種
カササギ、ハヤブサ、ヤツガシラ、アカゲラ、カッコウ、ホオジロハクセキレイ、モズ、スズメ、ツバメ、ムクドリ、ホオジロ、シジュウカラ、オオヨシキリ、コアジサシ、シラコハト、カワセミ、カラス


朝6時より、朝礼ミーティング


羊の飼育場


沙漠のトカゲ。
冬は零下20度、夏は摂氏50度という過酷な自然環境に耐えて、いろんな生物が棲息。


故遠山正瑛は、「緑色友好使者」として、「廃寝忘食」(夜も寝ない、食べるまもなく沙漠の緑化につとめた)と、石に刻まれている。
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沙漠の緑化は心の緑化

2011-06-13 21:16:20 | 海外旅行
クブチ沙漠は、中国の内蒙古自治区に広がる、砂で覆われた荒地。クブチ沙漠は、中東などの「暑い沙漠」ではなく、比較的「寒い沙漠」で、年間200㎜の雨が降るため、少し人の手を加えることで、植林が可能。


とかげ
自然による沙漠化に加え、森林伐採、焼き畑農場、家畜の放牧等、地球場で年間600万ヘクタール、日本の九州と四国を合わせた面積が砂漠化している。地球の全陸地の25%が砂漠化している。中国の砂漠化は更に深刻、全国土の27.3%が砂漠化、1年間に東京都の面積が沙漠化していると言われている。
黄砂となって日本まで来たり、温暖化や食糧問題を引き起こす原因となっている。
クブチ沙漠は、地下30メートルほどのところに水脈があり、根がそこに到達すれば、3年ほどかかるが、植物はぐんぐん育つ。植えた後に、剪定(せんてい)や、水やりなどの人の手を加える。



ボランティアの石堂さん(23才、加古川市)は、平成23年4月から2ヶ月間の活動中
「これまではすぐに成果を求め、結果がでないと才能がないとか自分はダメな人間だと悩んでいたことが、本当に小さく思えました。・・・・生きているのは自らの力ではありません。太陽、水、動植物、自分のことを思ってくれる人たちの大きな愛によって支えられています。そして、私も人や地球のために力を発揮できることが必ずあるのだ、と信じられるようになったのです。・・・・」(石堂みずき)


植林をする場合、元からその土地にあった木を植えることが一番よい、そうしたほうが根付きやすい。クブチ沙漠では、現地で育てたポプラの苗木を植えて成功している。
活着率は80%以上、ポプラは、元々丈夫で、冬は零下20度、夏は摂氏50度という過酷な自然環境、沙漠での強風にも耐えることができる。




砂地にホースで水を撒いて掘りやすくし、1メートル位、深く掘り、ポプラの苗木を掘った穴に入れ、砂を戻してたっぷり水をやる。
植えた後、根がしっかり伸びるまで、余分な葉を落としたり、枯れた木の補植、必要な水やりなど手入れをする必要がある。


時には、突然襲ってくる土石流のため全滅。

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沙漠緑化隊7日間

2011-06-13 08:22:54 | 海外旅行
2011年6月5日(日)~2011年6月11日(土)中国内モンゴル自治区「恩格貝(おんかくばい)のクブチ沙漠」植林ボランティアに参加。
 沙漠緑化第49次隊
   関東4+関西4+九州・沖縄12+倫理研究所7=27名
 中国では、雨の少ない乾燥地域のことを「沙漠(さばく)」と呼んでいる。 日本のNGO「日本沙漠緑化実践協会」が1991年から現在までクブチ沙漠に300万本以上の木を植林。同協会は、日本は中国に恩返しすべきだと85歳の高齢で立ち上がった故・遠山正瑛氏によって設立。植林しているのは、ポプラの木など。
 社団法人倫理研究所は、この活動に賛同、倫理研究所の創立55周年の記念事業として「55000本の木を植えよう」という趣旨でスタート。1991(平成3)年の第一次緑化隊から翌年9月迄、第19次隊を派遣、およそ1年半で、55000本のポプラの木からなる「地球倫理の森55」を完成。その後も、活動が継続され現在の植林は30万本以上。


故・遠山正瑛氏は1906(明治39)年、山梨県富士吉田市生まれ、京都大学農学部卒、鳥取大学農学部教授時代砂丘の研究。日本で始めてスプリンクーラーを導入、鳥取砂丘にてスイカ・ラッキョウ等の栽培に成功。退官後、85才のとき、志を立て、NGO「日本沙漠緑化実践協会」を設立。


「慌てない、焦らない、諦めない」
中国の砂漠化は深刻。全国土の27.3%が砂漠化、今も、毎年、東京都の面積位が拡大している。


2002年に96才の時、NHKプロジェクトXに登場、翌年97才で亡くなった。(夫人は、その半年前に亡くなった)


6月5日(日)中国国際航空CA-182便、北京空港に16:30到着


旅友は、龍ヶ崎市の海老原龍夫氏


北京空港から、国内線で包頭(ぱおとう)空港に23:00到着、ホテルに泊まった翌朝、青空市場で果物を買った。
左より、隊長:田形健一氏(研究所総務局 常任理事)、海老原龍夫氏(龍ヶ崎バードウォッチングクラブ名誉会長)、古田洋子氏(東京都江戸川区倫理法人会専任幹事、株式会社千成社長)
□包頭(ぱおとう)
人口200万人の都市、内モンゴル自治区の中央になる。戦後、毛沢東が鉄を生産する町に変えた。将来600万人が住める都市へ。


途中、バスから降りて、黄河を渡る。


恩格貝(おんかくばい)到着後、白酒(パイチュウ)でモンゴル式歓迎挨拶。ホテル(恩格貝賓館)は、全館停電やテレビが写らないなどあったが、結構、快適。

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