さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

ツリーハウス

2021-02-22 14:02:43 | ファミリー
キャンプ吉原にてツリーハウス2021.2.21(日)
木の上にある家、ツーバイ工法・ツリーハウス。爽やかな風を感じながら、木の上のツリーハウスから見る景色♪ いつものキャンプとは一味違うアウトドア体験









土台部分が完成2020.12


屋根用パネルが完成
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大室城跡

2021-02-10 11:55:45 | 地域

1. 大室城跡の立地及び歴史地理的環境
(1) 大室城跡の立地
JR土浦駅より霞ヶ浦湖岸の国道125線にそって、江戸崎方面行きのJRバス関東に乗り住宅下停留所にて下車。本遺跡はそのバス停の上の山王台地にある。眼下には霞ヶ浦が一望のもとに見下ろされ、左には筑波山が仰がれて、まさに絶景。平安時代初期の頃まで黒潮が台地の下まで押し寄せ、台地には集落が営まれていた。
(2)大室城構築~廃城まで
室町時代から戦国期にかけて、大室城が構築され、この地域の支配、霞ヶ浦の水上権益を守っていた。この地域(信太莊)は、美濃(今の岐阜県)からきた江戸崎土岐氏が約200年間にわたり、支配した。土岐氏は、1590(天正18)年の豊臣秀吉による小田原の陣の際は北条方につき、秀吉方についた佐竹氏と対立。大室城は江戸崎城の出城として、湖面を佐竹軍が押し寄せてくる事態に備え、緊張状態のなか、大軍団を待機させていた。
北条氏の滅亡に伴い、土岐氏も滅び、大室城の城としての役割は終った。
(3)宅地開発
時代は、仙台伊達藩の領地(飛び地)であった江戸時代から明治・大正・昭和へと続く。1989(平成元)年頃に住宅団地として開発(昭和57年6月9日、日本中央地所(株)が宅地造成申請)。その際、発掘調査が行なわれ城の構造が明らかになった。大室城跡にあった「山王神社」はレイクサイド公会堂に移設された。
2.『大室城跡発掘調査報告書』(昭和59年1月、大室城跡発掘調査会)
大室城に関する城主や城郭に関する史料、伝承は、この調査報告書のみ。しかし、戦国時代に作られた茨城県内の1100以上の城跡の調査研究が進んでおり、大室城跡の史実も明らかになることが期待される。
民間研究団体「茨城城郭研究会」による調査成果『図説 茨城の城郭』(2006.7)『続 図説 茨城の城郭』(2017.7)

山王神社、大室城の山王廓から移設された。


本廓(右手梅林)と西廓(左手畑)、奥の林は古屋敷


西廓と古屋敷(右手の竹林)
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