さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

ザダールの港にて

2008-03-25 18:52:34 | 海外旅行
全長2000kmものアドリア海沿岸は、入り組んだリアス式海岸沿いに美しい集落が点在している。青くすんだ海はほんとうに美しい。向こう岸はイタリア。マグロは日本に向け輸出している。
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プリトヴィッチェ湖群国立公園

2008-03-25 18:36:50 | 海外旅行
プリトヴィッチェ湖群国立公園は 世界遺産に登録されている(登録年 1979年)。大小16の湖が無数の滝によって階段状につながっている。数千年の時間をかけて自然が造り上げた景観は中国の九塞溝を連想する。(九塞溝ほど、観光客が殺到していないので、大自然をゆっくり満喫でき、ヨーロッパ人の人気のスポット。)1991年のクロアチア独立宣言のあと、反対するセルビア人勢力との間でおこった戦争の舞台となった。このとき、ヒグマなどの野生動物が姿を消してしまい、一時は、「危機に瀕する世界遺産」に登録された。この内戦は、1995年、クロアチア軍の電撃作戦で終結した。
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ドブロブニク

2008-03-24 17:11:29 | 海外旅行
ドブロブニク
「アドリア海の真珠」と讃えられるドブロブニクは、アドリア海南部に位置する美しい町である。「ドブロブニク共和国」は15~16世紀に最盛期を迎え、西岸のヴェネツィアと並ぶ貿易都市として栄えた。
1979年に世界遺産に登録されたドブロブニクの旧市街は、堅牢な城壁に囲まれている。1991年からのクロアチア独立戦争の際には、旧ユーゴスラヴィア連合軍とセルビア政府軍の攻撃により、旧市街もかなりの被害を受けた。そのため、一時は「危機にさらされている世界遺産リスト」に挙げられていたが、終戦後、修復が進み、1994年に改めて世界遺産に登録された。

城壁の長さは1925m。幅は約3~6m、高さは最も高いところで25mにもなる。城壁の上は遊歩道になっており、約1時間で一周することができる。城壁に沿って、旧市街の入口となる4つの門がある。城壁の建設は8世紀から始められた。オスマントルコが勢力を拡大した15世紀には、改修工事が何度も行われ、城壁と要塞の強化を図った。また16世紀にはヴェネチア海軍の襲来に備えて、港に面した要塞を新設した。

ピレ門をくぐると、目抜き通りのプラッツァ通りである。13世紀末に水路を埋めて造られたもので、 ピレ門からスポンザ宮殿のあるルジャ広場まで、東西におよそ200mのびている。

総領は50歳以上の貴族が、1ヶ月交代制で任じられた。これは、共和国を保つための制度である。在位中は、館から一歩も出ることができなかったとか。
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世界遺産「スプリット市街」

2008-03-24 16:54:38 | 海外旅行
人口20万人、アドリア海沿岸では最大の町

□スプリットの歴史

スプリットは古い町で、歴史は約1700年前始まった。300年頃、有名な ローマ皇帝Diokletian(ディオクレティアヌス)が生まれ故郷スピリットに自分の引退後の住まいとなる宮殿を作った。ディオクレティアヌスはローマ帝国を大規模に改革して、その上303年以来行ったキリスト教徒迫害の皇帝として有名。
皇帝が亡くなった後、宮殿は荒廃してしまったが、615年頃より市民たちは厚い外壁に囲まれている宮殿の中へ定住した。それ以来、スプリットは段々発達した。14世紀から1797年まで ベネチアの領地。その後、オーストリア・ハンガリー帝国、続いて世界第一次大戦の後にユーゴスラビアの中のクロアチアの領域になった。
 ディオクレティアヌス宮殿全体は1979年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
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首都ザグレブにて

2008-03-24 16:23:57 | 海外旅行
クロアチアの首都ザグレブで、オプショナルの夕食(料金/2,800円、メニュー/野菜スープ・サーモン焼・デザート)、ツアーの約半数が参加、満員のビアホール風のレストラン。65才の誕生日(3月14日)を皆がハッピーバースデー!で祝ってくれた。生ビール(大ジョッキーで10クーナ=230円は安い、水は一杯6クーナ=138円)がおいしかった。
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クロアチア旅行

2008-03-24 11:47:15 | 海外旅行
2008年3月9日(日)~16日(日)、大学時代の友人(株)アクティビジネス社長の大西啓義氏と二人で、クラブツーリズムのクロアチア・スロベニア スペッシャル8日間に参加した。
クロアチア共和国(通称クロアチア)は、東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和国。首都はザグレブ。面積は九州の1.5倍、人口444万人。民族構成 クロアチア人90%、セルビア人5% 宗教 ローマ・カトリックが88%。
西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアと国境を接している。南側は瀬戸内海を思い出す紺碧のアドリア海に面している。ドゥブロヴニクでは東にモンテネグロと接している。

□サッカーで有名
 ワールドカップ初出場となった1998年のフランス大会で3位に輝いた。このときクロアチアが入ったグループリーグで同じく初出場のジャマイカ、日本を破り2位でグループリーグを通過、セカンドラウンドに進出。セカンドラウンドではルーマニア、準々決勝でドイツを撃破した。特にドイツを3-0で打ち破った事は大きな驚きを世界にもたらした。
 続く準決勝でこの大会の優勝国となるフランスと対戦。1-2で逆転負けしたもの、3位決定戦ではオランダを2-1で破って3位入りを果たした。
□歴史
① クロアチア統一
  879年にローマ教皇ヨハネス8世から独立国家として認められた。
② 同君連合
  ハンガリー王ラースロー1世の介入、次のハンガリー王カールマーンが、1102年クロアチア・ダルマチアの王として戴冠を受けた。これによって、クロアチアはハンガリー王国との同君連合の枠組みの中に組み込まれた。ハンガリー王はクロアチアに広範な自治を認め、その際におかれた総督はバン(バーン)と呼ばれた。
③ オーストリア・ハンガリー帝国
 この後15世紀にはオスマン帝国に征服されその領域に組み込まれるが、18世紀末までに、オーストリア、ハンガリーによって回復されている。
④1918年ユーゴスラヴィアの建国
 1918年に第一次世界大戦の敗北からオーストリア・ハンガリーが崩壊。オーストリア・ハンガリーから離脱したクロアチアは、南スラブ民族による連邦国家の構成と言うセルビア王国の提案を受けて、セルビア・クロアチア・スロヴェニア王国の成立に参加。1929年は国名をユーゴスラヴィアに改名した。
 しかしこの連邦国家にはクロアチア人側から、セルビア人に対して政府をコントロールしているのはセルビア人であるとする反発、クロアチア人勢力は、クロアチアの独立を掲げる民族主義団体ウスタシャを設立。1941年反独クーデターによる親英政府打倒の為ユーゴスラヴィアに侵攻したナチス・ドイツの支援を背景として、クロアチア独立国を成立させる。以降、セルビア人勢力との間で凄惨な戦闘が繰り返される。
⑤1945年ユーゴスラヴィア連邦
 1945年に戦闘が終結するまでの4年の間セルビア人が強制収容所などで70万人が虐殺されたとセルビアは主張している。一方でクロアチアはその数はおおげさだとしており、ほぼ同数のクロアチア人がセルビア人によって虐殺されたと主張している。この論争は後のクロアチア紛争の火種となり、クロアチア紛争でも同じような論争が繰り返されることになった。
 ユーゴスラヴィアの混乱状態は、ユーゴスラヴィア共産主義者同盟が指導するパルチザンによって収束された。このパルチザン闘争を主導したチトーの巧みなバランス感覚と、カリスマ性によって多民族国家ユーゴスラヴィアは維持されたが、1980年にチトーが死去すると、それまでの民族、宗教の融合がかえって裏目となり、押さえ込まれていた各民族の不満が噴出しはじめた。
⑤1991年クロアチア独立(旧ユーゴスラヴィアの解体)
 1990年に戦後初の複数政党制による自由選挙が実施された。クロアチアではユーゴスラヴィアからの分離独立を掲げるスティエパン・メシッチが政権を掌握。以降ユーゴスラヴィア・セルビアとの関係は険悪化の一途をたどっていった。
 1991年3月、西スラヴォニアの帰属をめぐってユーゴスラヴィア連邦軍とクロアチア警察の間で睨み合う事態となり、3月31日にはプリトビツァで両者が衝突。死者を出す事態となった。クロアチアの独立を目指す準備は着々と進められており、6月19日には独立の可否を問う国民投票が実施され、78%の賛成。これを受けて6月25日、スロベニアと同日に独立を宣言した。
 一方で、ユーゴスラヴィア連邦軍は、クロアチア領内のセルビア人保護を目的にクロアチアに侵入。クロアチア軍は9月半ばにはユーゴスラヴィア軍との全面衝突となりクロアチア紛争の激化に繋がった。1995年に戦闘が終結するまでに大量の死者と難民を生み出した。

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