2023.3.15~16 関東の小京都、鯉のいる街、蔵の街とちぎ
栃木市の人口:156,000人、世帯数:66,600世帯
「とちぎ」のルーツ: 栃木県の南部にあって、東に筑波山、西に太平山、北に日光連山にかこまれ、市内中央に巴波川が流れる静かなたたずまいの街。
江戸時代1717年、家康の霊柩が日光に改葬され、その後、朝廷からの勅使が日光東照宮へ毎年参向するようになった。その勅使を例幣使(れいへいし)ということから、通る道は日光例幣使街道と呼ばれた。栃木はこの街道の宿場町となり、また、巴波川(うずまがわ)の舟運により江戸との交易が盛んとなり商人町として賑わった。土蔵が軒を連ね政治、経済、文化の中心として栄えた街。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/b3/75749fa4b76868cde1fd5f33f30bb94d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/92/687da4aa2d89261bdc9715834afddfd6.jpg)
小江戸の街並みを見ながら船で巴波川(うずまがわ)遊覧。カルガモ、ヒドリガモ、マガモが餌を求めてついてきた。カモたちに圧倒され、大きな鯉たちは、川底を静かに泳いでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/3f/8c8dd20634f690800f8007aeb2cd3994.jpg)
ハーヴェスト那須にて
栃木市の人口:156,000人、世帯数:66,600世帯
「とちぎ」のルーツ: 栃木県の南部にあって、東に筑波山、西に太平山、北に日光連山にかこまれ、市内中央に巴波川が流れる静かなたたずまいの街。
江戸時代1717年、家康の霊柩が日光に改葬され、その後、朝廷からの勅使が日光東照宮へ毎年参向するようになった。その勅使を例幣使(れいへいし)ということから、通る道は日光例幣使街道と呼ばれた。栃木はこの街道の宿場町となり、また、巴波川(うずまがわ)の舟運により江戸との交易が盛んとなり商人町として賑わった。土蔵が軒を連ね政治、経済、文化の中心として栄えた街。
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小江戸の街並みを見ながら船で巴波川(うずまがわ)遊覧。カルガモ、ヒドリガモ、マガモが餌を求めてついてきた。カモたちに圧倒され、大きな鯉たちは、川底を静かに泳いでいた。
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ハーヴェスト那須にて