さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

MOA美術館「光琳屋敷」で茶の湯体験

2018-05-21 09:38:47 | ファミリー
2018.5.16、エクシブ湯河原離宮のイベントツアーに参加




MOA美術館は、標高265mの高台にあり、相模湾の絶景を一望。日頃は見ることが出来ない「光琳屋敷」は尾形光琳が1712年(正徳2年)に自ら描いた図面と大工の仕様帖を起こして、作り上げた光琳こだわりの屋敷を詳細に復元したもの。
MOA美術館 学芸員/企画担当の上榁(かみむろ)さんに案内していただき、鮮やかな新緑の世界、涼しい風を感じながら江戸時代にタイムスリップ。






この光琳屋敷の2階のアトリエで、光琳晩年の最高傑作、国宝「紅白梅図屏風」を描いた。 屋敷の中は光琳の芸術家としてのこだわりとお客様を迎えるおもてなし精神が満ちている。








「茶の湯体験」お茶の先生が茶の湯の歴史から茶筅の種類や持ち方など丁寧に教えてくれた。

□尾形光琳
万治元年(1658年)、京都の呉服商「雁金屋」の次男として生まれた。光琳30歳の時、父宗謙が死去し、光琳の兄が家督を継いだ。生来遊び人であった光琳は遊興三昧の日々を送って、相続した莫大な財産を湯水のように使ったが、貴族的・高踏的・都会的な芸術家としてのプライドは生涯忘れずにいた。44歳の元禄14年(1701年)には法橋の位を得ている(「法橋」は本来は高僧に与えられる僧位のひとつだが、後に絵師、仏師などにも与えられるようになった)。
彼が本格的な絵画を制作したのは法橋位を得た44歳以後、59歳で没するまでの十数年間だと推定されている。

光琳は5年ほど江戸に滞在した後、宝永6年(1709年)に京都へ戻った。正徳元年(1711年)、京都の新町通り二条下ル(二条城の東方)に新居を構え、ここで制作した。この屋敷については建築当時の図面等の資料が残されており、静岡県熱海市のMOA美術館構内に「光琳屋敷」として復元されている。



湯河原温泉「エクシブ湯河原離宮」
4種の露天風呂。この地に湧き出る4つの泉質を生かした4種の露天風呂の湯めぐり。
■岩風呂:ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉(アルカリ性)
やけど・切り傷・慢性皮膚病・鎮静・美肌・神経痛・関節痛・慢性消化器病・冷え性・疲労回復
■月見の湯:アルカリ性単純温泉
神経痛・関節痛・慢性消化器病・冷え性・美肌・疲労回復
■竹林の湯:単純温泉
神経痛・関節痛・慢性消化器病・冷え性・疲労回復
■壺湯:ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉(弱アルカリ性)
やけど・切り傷・慢性皮膚病・鎮静・美肌・神経痛・関節痛・慢性消化器病・冷え性・疲労回復





万葉公園
湯河原温泉街の中心部、千歳川沿いの緑地公園。“日本の歴史公園100選”に万葉公園が認定された。万葉集の中でも唯一温泉についてうたわれた湯河原を象徴する公園で、文人墨客や多くの人々が訪れていることが認定の理由。
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バーベキュー

2018-05-05 06:58:01 | 地域











2018,4.29(日)、ツツジ、ジャーマンアイリス等が満開、公園里親の会バーベキュー
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