さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

日本舞踊 ゆかたざらい

2017-06-20 20:55:49 | 地域
泰緒会(ゆきをかい) 指導:坂東流師範 坂東泰緒
2017.6.18(日)正午開演、かすみ公民館




端唄 桃太郎


端唄 松づくし


端唄 春雨


清元 神田祭
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根ラリック美術館

2017-06-17 20:20:48 | 閑話休題










箱根ラリック美術館
箱根仙石原、ルネ・ラリック(1860-1945、フランス)の作品コレクション。ラリックはフランスを代表する宝飾とガラスの工芸家、オリエント急行、豪華客船ノルマンディ号などの装飾で活躍。美術館のオーナーは、ラリックのカー・マスコットが始まりで、コレクションを始めたとのこと。


「湯葉丼」直吉 箱根湯本駅から徒歩3分


2017.6.7~8、エクシブ箱根離宮にて
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の下町クルーズ

2017-06-16 11:11:25 | 閑話休題

2017.6.3(土)「三浦屋」の舟を貸切り、江戸の下町クルーズ
参加者:24名
 今回のクルーズは全部で50数基の道路橋・鉄橋・人道橋の下をくぐった。出航まもない神田川では、明治44年、国鉄・中央本線の起終点として造営された万世橋駅(その後、路線が移り駅は廃止され、関東大震災では洋風の立派な駅舎部分が焼失し、残された一部が交通博物館として利用され、更に今ではJR東日本が経営する“マーチエキュート神田万世橋(10店舗が入る商店街)”となった)の土台部分がレンガ造りの美しさを今に残しているのが圧巻。
 日本橋川はかつては江戸城の外濠の役目を担い、当時の石垣が残っている。また日本橋は1603年に架橋、1911年に架替えられた。江戸時代、五街道の起点として、また魚河岸として陸路・水運の中心として賑わった。関東大震災を機に東京の台所はここから築地に移った。この川は今では頭上をずっと首都高速道が通っている。
 小名木川(オナキガワ)は徳川家康の命により掘られた運河。隅田川と中川とを結び、地方の産物を江戸に運び入れることが目的。
 中川の氾濫を防ぐために中川の水位を人為的に下げたと同時・昭和52年に川の途中に閘門を完成。その扇橋閘門を通過体験するのが今回クルーズの見せ場。
 隅田川では、見上げると、スカイツリーやアサヒビールの本社ビル。



日本橋
慶長8(1631)年架橋。五街道の起点として「陸路の中心」であると同時に、「水運の中心」として賑わった場所。






小名木川の扇橋閘門



永代橋


アサヒビールのガラスに写った「東京スカイツリー」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸上水・東京水道のあゆみ

2017-06-06 10:23:41 | 閑話休題

東京都水道歴史館
住所:文京区本郷2ー7ー1 電話:03ー5802ー9040
江戸の上水道は1590年に徳川家康の命により小石川上水(後の神田上水)が開設されたことに始まります。三代将軍家光のとき参勤交代制度が確立すると江戸の人口は急増、1652年に幕府は多摩川の水を江戸に引き入れる計画を立て翌年工事に着手。その翌年には羽村から虎ノ門まで地下に石樋、木樋による配水管を布設し江戸城やその周縁の台地にも給水しました。この工事に尽力した兄弟は、褒賞として「玉川」の姓をもらったのです。それに端を発し現在にいたる約400年にわたる江戸→東京の発展の流れを創った水の道について、映像・パネル・配水管の実物など貴重な資料がいっぱい。


江戸時代の水道管
昭和60年代に発掘された神田上水遺跡の一部を移築・復元している。


発掘された上水井戸や木桶の実物

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする