さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

アフリカのモロッコ王国へ

2008-11-09 16:42:32 | 海外旅行
08.10.24~08.10.22(8日間)アフリカ北西部のモロッコを大学時代の仲間の大西さんと珍道中の旅に行ってきました。阪急交通社(ガイド:庄野さん、現地ガイド:フブドゥーラさん)
1日目 エールフランス航空に乗り成田発空路パリへ、所用時間12時間30分。パリにて乗りかえカサブランカへ、所用時間3時間。
2日目 貸切バスで、モロッコ王国を左まわりで1800kmの旅の始まり。最初は、世界遺産:マラケシュのメディナ、フナ広場を見物。
3日目 マラケシュを出発、写真のアント・ベン・ハッド゛ゥを見物、ワルザザード泊
7世紀にアラブ人が進入してきたため、元からいたベルベル人が逃げ出し、アトラス山脈を越え、オアシスに城砦(カスバ)を築いて移り住んだ。『アラビアのロレンス』などの映画のロケ地になり有名。
4日目 ワルザザードを出発、「トドラ渓谷」を見物、エルフード泊
5日目 エルフードのホテルを朝4:40発、4WDにて、大砂丘のど真ん中へ、ラクダに乗って、砂丘を、丘の上から日の出を楽しむ。あと、ベルベル人のテントにてミントティの接待を受ける。フエズ泊
6日目 世界遺産:フェズのメディナを堪能、観光後、フェズ駅よりカサブランカ特急にてカサブランカへ。カサブランカにて2度目の泊
7日目 カサブランカ観光、ハッサン2世モスクやメディナを観光、午後3:55発、空路パリ経由成田国際空港を目指す。  
    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界一複雑な町、フェズ

2008-11-09 16:41:30 | 海外旅行
フェズは、モロッコで一番古い都です。
イスラム教の教祖であるムハンマドの血統である「ムーレイ・イドルス1世」が、8世紀末、モロッコに亡命。勇敢な彼は、現地のベルベル人の信頼を獲得して、この地にイスラム王朝を興した。城壁で囲んだ町の中心にモスクを作り、イスラム神学校を建設。やがて、ここを拠点に国のすみずみまでイスラム教が広がり、モロッコ王国はイスラム教(スンニ派)が国教となった。
「イスラーム」は「神への帰依」を意味すると解され、「ムスリム」(イスラム教徒)は「神に帰依する者」を意味する。また、「イスラム」という名称は、他の宗教のように創始者(または民族)の名称を宗教名に冠していない(即ち、ムハンマド教とならない)。この理由には諸説あるが、イスラムが特定の人間の意志によって始められたものではないこと、及び国籍や血筋に関係なく全ての人々に信仰が開かれていることを明示するためであるとしている。日本を含む東アジアの漢字文化圏では、古くは「回教」と呼ばれた。
ムスリムは、11億人の信徒があると推定され、世界で2番目に多くの信者を持つ宗教である。
ムスリムが取るべき信仰行為として定められた五行、次の5つとされている。
①信仰告白(シャハーダ)
②礼拝(サラー)
③喜捨(ザカート)
④断食(サウム)
⑤巡礼(ハッジ) 
これに、聖戦(ジハード)を6つめの柱として加えようという意見もあるが、伝統的には上の5つである。
これらの信仰行為は、礼拝は1日のうちの決まった時間、断食は1年のうちの決まった月(ラマダン)に、すべてのムスリムが一斉に行うものとされている。このような行為を集団で一体的に行うことにより、ムスリム同士はお互いの紐帯を認識し、ムスリムの共同体の一体感を高めている。集団の一体感が最高潮に達する信仰行為が巡礼(ハッジ)であり、1年のうちの決まった日に、イスラム教の聖地であるサウジアラビアのマッカ(メッカ)ですべての巡礼者が定まったスケジュールに従い、同じ順路を辿って一連の儀礼を体験する
公正の実現と不正の否定は、伝統的なイスラームの社会生活において特に重要視さた。ザカートなどの「喜捨の制度」によって弱者を救済することは、現世の罪を浄化し、最後の審判の後によりよい来世を迎えるために望ましい行為とされ、イスラーム社会を支える相互扶助のシステムとなっている。一夫多妻制のシステムも、建前の上では母子家庭の救済策であったとされている。品行を保ち、人間の堕落を防ぐためとして、女性に対して家族以外の男性に対して髪や顔を隠すよう求めている。酒は戒律上禁止され、それは飲酒が理性を失わせる悪行であると考えられているからである

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界遺産:マラケシュのフナ広場にて

2008-11-09 16:40:28 | 海外旅行
マラケシュの町は、大西洋沿岸の諸都市とサハラ砂漠との交易の中継地として発達した。モロッコでは、フエズに次ぐ古い町だ。ジャマ・エル・フナ(大道芸の広場)は、昔は”死者の広場”といって公開の処刑場だったが、今は蛇使い、大道芸などのお祭り広場になっており、日没頃から大賑わいになる。
お土産のサンダル100DH(約1300円)、ネックレス110DH(約1400円)、水のペットボトル6DH(約80円)、かたつむり一皿5DH(約70円)、大道芸の見物料・写真5DH(約70円)
 いくらですか?     シハハール
 高いよ、まけてくれ。  ガリガリ
 あなた、兄弟!     アンタ アフォヤ
 OKですか?       ワッハッ
 いらない        ラー

◎ モロッコの歴史
B.C 146年 第3次ポエニ戦争でローマの支配下に入る
A.D 788年 イドリス王朝成立 ― 首都がフェズに決まる
A.D1055年 ムラビト朝成立 ― 首都をマラケシュに
A.D1130年 ムワヒド朝成立
A.D1269年 マリーン朝成立 ― 首都が再びフェズに
A.D1549年 サアード朝成立 ― 首都がマラケシュに
A.D1666年 アラウィー朝成立(アラビア半島からの移民によりエルフード近くに起る)           ― メクネスに王都が移る
A.D1912年 フェズ条約、フランス保護領になる
A.D1956年 アラウィー朝、フランスから独立(独立後、約50年)
A.D1961年 ハッサン2世即位
A.D1993年 ハッサン2世モスク完成

◎メディナ
「マグレブ」と総称されるモロッコ、アルジェリア、チュニジアの三国や中東の旧市街は「メディナ」と呼ばれている。マラケシュのメディナはモロッコで一番の賑わい。城壁に囲まれたメディナは、迷路になっている。
先住民ベルベル人は、アラブ人の侵入から逃れるため、高い塀で町を囲み、方向感覚を鈍らせるため複雑な路地を作った。
この複雑さが、その後の開発を逃れ、1000年以上前を風景を残すことができたゆえん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アトラスの化石「アンモナイト」

2008-11-09 16:39:22 | 海外旅行
 モロッコの大地を東西に横切るアトラス山脈。総延長2400Km、1000m級の山並み「アンチアトラス」2000m級の山並み「モワイヤンアトラス」、3000~4000m級の山並み「オートアトラス」からなる。最高峰のトゥブカル山の標高は4165m。 地中海からの空気はここで、一旦、雪になってとどまり、溶けてモロッコの大地(太平洋側)を潤している。アトラスの北側(太平洋側)は「地中海植物帯」、南側(アフリカ側)は「砂漠帯」となり、サハラ砂漠が広がっている。
アトラス山脈は、もともと海底だったので、化石の宝庫。そもそもアンモナイトは、約5億年前の古生代のオウムガイ類から進化したもので、陸で恐竜が栄えた中生代という時代には、海ではアンモナイトが大いに栄えた。 しかし、永い間栄えたアンモナイトも、中生代の末(約6500万年前)には、陸の恐竜たちや空の翼竜、海の首長竜・魚竜などと共に、謎の絶滅を遂げてしまった。
恐竜絶滅の原因について、色々な説はあっても未だにはっきり解明されていないように、アンモナイトの絶滅についても、原因は分かっていい。只、恐竜もアンモナイトも、ほぼ同時期に繁栄の頂点を迎え、同時期に滅んでいることから、両者の絶滅には何か共通の原因があると考えられている。
恐竜・アンモナイトの絶滅については100以上もの説があって、正に諸説紛々。中で最も有名なのが、「隕石衝突説」だ。
巨大隕石が地球に衝突して地球環境が激変、空は闇に覆われ氷河期が到来し、激しい地殻変動が起こる。 その中で、恐竜やアンモナイトを始めとする様々な生物達が滅んでいったとする説。では何故、恐竜以外の爬虫類、例えばワニやヘビは絶滅しなかったのか? アンモナイトは滅んだのに、何故ごく近縁のオウムガイは生きのびたのか? 隕石衝突説に限らずどの説も、“生きのびた生物の理由”がちゃんと説明しきれていない。

★「化石」と「遺跡」のちがい
「化石」と呼べるものには、次の2つの条件がある。
①自然に地中に埋没したもので、人が埋めたものではないこと
②地中に埋まって1万年以上経っているもの
では、貝塚は化石でしょうか??・・・答えはNo
 「貝塚だって1万年以上前のものが有るじゃないか!」と思うが、古代人が、食べた貝を捨てたものだから、①の条件に外れる。貝塚は「化石」ではなくて、「遺跡」と呼ぶべきものです。
★「化石」は石とはかぎらない!?
 「化石」とは、ギリシャ語のFossil="地中から掘り出した物"という言葉を和訳したものです。ですから、先程の2つの条件さえ満たしていれば、必ずしも石とは限りません。例えば石油。石油は液体ですが、数億年前の動物や植物が地中に埋まり、油に変化したものですから、れっきとした「化石」です。
 それから、100年ほど前にシベリアの永久凍土から発見されたマンモス。生身の氷漬けマンモスですが、数万年前に自然に凍って、出土したものですから石になっていなくても「化石」と呼んでOKです!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルズーカ砂丘のラクダ

2008-11-01 13:26:27 | 海外旅行
エルフードのホテル「サラーム」を早朝4時30分出発し、メルズーガの大砂丘に向った。砂漠で見る星は一段と大きく見え、月が美しい。星座を見ながら暗闇の中を約1時間30分走る、砂丘で、ラクダにのり、午前6時38分日の出を見た。(ラクダ一頭/300DH)。
◎ ベルベル人
「ベルベル人」とは、モロッコの原住民をさす名称。国民の約40%がベルベル人である。他民族の侵入を受け、そのときイスラム教は受け入れたが、原始的な形態をもつ社会組織は変えなかった。11世紀には、ムラービット朝、12世紀にはムワッヒド朝を建設した時代もある。「ベルベル」とは、アラビア人がつけた名称で「バルバロス」(わけのわからない言葉を話す野蛮人)という蔑称として云った言葉のようである。
◎サハラ砂漠
「荒れた大地」を意味する「サハラ」。世界最大級、面積はアメリカ合衆国とほぼ同じ約1千万K㎡

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハッサン2世モスク

2008-11-01 13:07:44 | 海外旅行
カサブランカのハッサン2世モスク
 カサブランカの人口は354万人でモロッコ最大の都市=経済の中心の都市である。街の建物は、白が基調となっている。カサブランカ=”白い家”といわれる所以である。(モロッコの総人口約3324万人、首都はラバト)
ハッサン2世モスクは34,000人の職人を総動員して、1986年から1993年まで8年の歳月を費やして完成させた。敷地面積9ヘクタール、ミレナット(尖塔)は高さ200mで世界最大、モスクの地下1階は参拝客のために設けられたアブルーション(清めの泉)、回廊の地下には浴室、カフェ、神学校、図書館、博物館が併設されている。
● 物価
モロッコの1DH(デラハム)=日本円で約13円。
(ビール(小)350ml:40DH(ホテル、レストランでの価格)、マクラチップは5~10DH、トイレチップ1DH、ハガキ切手15.6DH、ラクダ引きのチップ20DH)
● 結婚
一夫多妻制(4人まで)が許されているが、二人目からは前妻の承認が必要。日本の男性が結婚する場合、出身国が一夫一婦制なので日本の制度に従わなければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする