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2013.9.7(土)、ABC倶楽部、りんかい線 品川シーサイド駅改札口集合、中央環状線品川線、地下40mのトンネル工事現場視察
徳川幕府によって敷かれた江戸の五街道(東海道、中山道、日光道中、奥州道中)を中心に発達してきた大都市 東京の道路網は、後藤新平の「帝都復興計画」を下敷きにして、地上から高架、今日では、地下深部へと延びて整備がすすんでいる。
□ 徳川家康の国土計画
1590年(天正18年)豊臣秀吉は小田原の役で北条氏を攻め滅ぼし、天下を統一した。新たに獲得した関東に徳川家康をおいた。
家康は、太田道灌が築いた江戸城を居城とし、ここから、徳川家康の江戸の都市づくりが始まった。
1600年、関ヶ原の戦いで豊臣家の総大将石田光成を討ち破り、
1603年、徳川家康は征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開いた。
1604年、全国統治にため、江戸と各地を結ぶ五街道の整備を開始(起点は日本橋)、四代将軍徳川家綱の時代に基幹街道として定めた。
□ 関東大震災の復興計画
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって、東京は壊滅状態になった。
震災後、後藤新平が、「帝都復興院総裁」に就任、「帝都復興計画」を立案した。
大規模な区画整理、公園・幹線道路整備の計画は、今日の東京の骨格になっている。
道路は、東京から放射状に延びる道路と、環状道路の双方の必要性を強く主張した。
□ 太平洋戦争の敗戦復興計画
1945年(昭和20年)の東京大空襲により、都市機能は壊滅した。戦後復興に当たって、後藤新平の「帝都復興計画」が下敷きとなり、戦後の環状道路の整備がすすんだ。
1065年(昭和39年)東京オリンピックに向けたインフラ整備として、「車の時代」の道路整備がすすみ、さらに高度経済成長を迎えた。
□ 大深度地下の公共的使用に関する特別措置法(2001年4月施行)
土木技術の革新と法整備によって、地下40m以下のトンネル建設、道路づくりが可能となった。
・地権者が一般的に使わない地表から40~100mの地下
・過密化した都市部で、道路や鉄道など公共性の高い事業を施工
・東京、大阪、名古屋の三大都市圏が対象
・用地買収や補償が不要
・工期短縮
・建設費の削減
□ 中央環状品川線
湾岸線から国道246までの、地下40M、距離9.4KMの高速道路。平成27年3月開通、これにより、中央環状線(全長約47キロ)が完成する。
「シールド工法」・・・直径12mを超える断面のトンネルを1台のシールドマシンで掘削していく、スピードは分速50mm。
「2020年の東京」へのアクションプログラム2013事業
本件は、東京都の取組み「2020年の東京」へのアクションプログラム2013において、以下の目標・施策に指定し、重点的に実施している事業である。
目標4 陸と海と空を結び、東京の国際競争力を引き上げる
施策10 陸・海・空の高度な交通ネットワークを形成し、国際競争を勝ち抜く
(I 首都圏を支える幹線道路ネットワークの整備)
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□「3環状9放射」とは?
東京圏の交通機能の骨格となる考え方。
中央環状(首都高速中央環状線)、外かん(東京外かく環状道路)、圏央道(首都圏中央道路自動車道)が、都心環状(首都高速都心環状線)の外に作られ、9本の放射方向道路とリンクすることにより、道路間を自在に連絡させ、交通の都心への分散導入を図る。