さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

クリスマス会2013

2013-12-25 17:41:53 | 閑話休題
2013.12.23(日)午前10時より、レイクサイド公会堂にて、さやっぽ歩会&こども育成会合同のクリスマス会





第一部 DVD「猫の恩返し」(ふれあい地区館出前講座)










料理を頂いた後、余興の部へ


育成会 日本舞踊「雨」「絵日傘」


かなめ会男組 日本舞踊「黒田節」
 酒は飲めのめ 飲むならば
   日の本一の 此の槍を
     飲みとるほどに 飲むならば
         これぞ真の 黒田武士

 峰の嵐か 松風か
     訪ぬる人の 琴の音か
        駒をひきとめ 立ち寄れば
           爪音高き 想夫恋

さやっぽ歩会 大正琴「おうま」「きよしこの夜」「人形」




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心配ごと相談員研修会

2013-12-25 17:34:02 | 閑話休題
2013.12.20(金)午後3:00より、町総合福祉会館にて、相談員研修会
平成25年度演題
第1、相続問題
①民法900条4号但し書きについての、平成25年9月4日最高裁判決について
②遺産分割
第2,離婚問題
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーケストラと歌おう in Ami

2013-12-20 09:26:44 | 閑話休題
               





レイクの歌姫は、右から2人め、9人め。


レイクの歌姫は、前から二列目の左から6人め

第4回 オーケストラと歌おう in Amiコンサート
2013.12.15(日)本郷ふれあいセンターにて、主催:阿見町・阿見町教育委員会
  花は咲く(3.11支援曲)     
  川の流れのように        
  『アイーダ』より「凱旋行進曲」      
□ 佐藤ひろゆき
オーケストラ指揮者・声楽家・オペラ歌手。阿見町在住、武蔵野音大器楽科卒業後、ブルガリア、イタリアに留学。


オープニング
INASHIKI少年少女合唱団;クリスマス・メドレー




マリンバ、ソロ:原嶋寛実
 チャルダッシュ       モンティ
 熊ん蜂は飛ぶ        リムスキー=コルサコフ
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第32回輪投げ大会優勝

2013-12-15 17:28:19 | 閑話休題







2013.12.11(水)、阿見町町民体育館にて、阿見町シ連主催の「第32回輪投げ大会」
(参加クラブ数 29クラブ、チーム数 63チーム)にレイクより3チーム出場、松チームが、午前の予選を切りぬけ、午後の決勝トーナメントに出場。熱戦の末、優勝(6チームが受賞)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲葉ゼミ三河ツアー(1)~東海道五十三次(御油宿~赤坂宿)

2013-12-14 07:33:15 | 稲葉ゼミ


2013.11.21(木)、稲葉ゼミ13回生、品川から数えて35番目に当たる東海道の御油宿(現豊川市御油町)から赤坂宿(現豊川市赤坂町)まで1.7KMの松並木を散策、弥次さん、喜多さんの往事を偲んだ。
□御油の松並木
江戸時代の滑稽本『東海道中膝栗毛』のなかで、弥次郎兵衛と喜多八がここでキツネに化かされた話が描かれている。
赤坂宿と御油宿との間隔は、東海道の宿場の中で最も短く、関川神社(豊川市赤坂町字関川)には、「夏の月 御油より出でて 赤坂や」という松尾芭蕉の句碑があるが、この句は地理的に極めて近い両者の関係を詠んだもの。
□旅籠大橋屋
東海道筋で唯一営業を続けている旅籠。創業は慶安2年(1649年)、現存の建物は正徳6年(1716年)の建築。赤坂宿には、享保18年(1733年)時点で83軒の旅籠があったが、大橋屋はその中でも大旅籠に属していた。
宿泊は一人10500円、二組限定(要予約 0533-87-2450)






西浦温泉(株式会社デンソー 晴海荘)




万葉の小径(蒲郡市西浦町)
晴海荘から2-3分の所に万葉歌人が詠んだ三河湾に関する歌の石碑が点々とたっている情緒あふれる散歩道、展望台から三河湾を一望できる。


くしろつく 答志の崎に
  今日もかも 大宮人の
    たま藻かるらむ     柿本人磨(かきのもと ひとまろ)
訳:答志の崎で、今日も、大宮人が美しい藻を刈っているだろうか。


妹も我も 一つなれかも
   三河なる 二見の道ゆ 
      別れかねつる    高市連黒人(たけちのむらじ くろひと)
訳:あなたも私も、一つ身であるから、
   三河の国の二見の道を別れかねたことよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲葉ゼミ三河ツアー(2)~殉国七士廟

2013-12-14 07:31:56 | 稲葉ゼミ











殉国七士廟(じゅんこく ななし びょう)
愛知県西尾市の三ヶ根山山頂にある廟。東京裁判判決に従い、死刑執行されたA級戦犯の七名を祀っている。
七氏は、昭和23年12月23日未明、米国・英国・中国・ソ連の連合国代表が立ち会って、東京巣鴨で絞首刑を執行された。
12月25日夜半、東京裁判の弁護士を務めた三文字正平氏らが、骨捨て場から空き缶で拾いあげ、ひそかに持ち出し、遺骨は、万一を考え三文字氏の甥の名前で、熱海の興亜観音に安置された。
それから、約10年後、昭和35年に三文字弁護士らによって廟と墓碑が建立されたもの。
※靖国神社には、戦死者の遺骨は納められていない。神社は神霊を祭る社であり、靖国神社では国のため戦争・事変で命を落とした戦没者、およびその他の公務殉職者の霊を祭神として祀っている。
※1978年(昭和53年)A級戦犯も靖国神社に合祀された。2001年(平成13年)当時首相であった小泉純一郎が靖国神社に参拝したことをきっかけに靖国神社のA級戦犯分祀論が注目を集めている。

□ 被祀者(カッコ内は大東亜戦争期の肩書)
軍人
(1)東條英機(首相・陸軍大将)
「真珠湾を不法攻撃し、アメリカ軍人と一般人を殺害した罪」
 辞世の句は、
「今ははや心にかかる雲もなし 心豊かに西へぞ急ぐ」

(2)土肥原賢二(陸軍大将)
対中国の情報・謀略の中心人物、特務機関。満州事変当時に天津の土肥原(賢二)機関は溥儀(ふぎ)の脱出工作を行った。
上海,北京,南京,天津など各地に特務機関を配し,日中戦争による占領地の拡大にともない,占領地の政治工作,行政指導,経済謀略など暗躍。

(3)板垣征四郎(陸軍大将)
 関東軍高級参謀として満州事変を決行、第二次世界大戦においては第7方面軍司令官として終戦を迎えた。
※満州事変・・・1931年(昭和6年年)9月18日に中華民国奉天郊外の柳条湖で、関東軍(満洲駐留の大日本帝国陸軍の軍)が南満州鉄道の線路を爆破した事件に端を発し、関東軍はわずか5ヶ月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。
この軍事衝突を境に、中国東北部を占領する関東軍と現地の抗日運動との衝突が徐々に激化。満洲国の建国により中国市場に関心を持つ米国他の列強との対立も深刻化した。
※第7方面軍・・・所在地シンガポール

(4)木村兵太郎(陸軍大将)
 昭和19年(1944年)8月、ビルマ方面軍司令官。 昭和20年(1945年)、イギリス軍のビルマ侵攻が開始され、ビルマ防衛が危機に直面したとき、木村は恐怖で手が震え、何も話すことができなくなるほど動揺、作戦指導はほぼ不可能な状態に陥ったと言われている。
 4月23日、木村は幕僚とともに飛行機でラングーンを脱出、木村はこの逃避行の後に陸軍大将に昇進している。
 木村を含めたビルマ方面軍司令部の唐突なラングーン放棄により、方面軍の指揮命令系統は大混乱に陥った。イラワジ河西部でイギリス軍と激戦中だった第28軍は敵中に孤立してしまい、のちに脱出する過程で半数以上が死亡するという大きな犠牲を払うことになった。ビルマ戦役における日本軍の戦死者は約14万4千人に達するが、悲惨を極めたと言われるインパール作戦における戦死者は1万8千人と12.5%であり、戦死者の約52%がこの最終段階で発生している。
 
(5)松井石根(陸軍大将)
 名古屋市出身。陸軍士官学校、陸軍大学校(18期首席)を卒業。
 松井が司令官を務めた中支那方面軍が南京で起こしたとされる不法行為について、その防止や阻止・関係者の処罰を怠ったとして死刑の判決を受ける。
 中国共産党は松井を南京事件の責任者、日本軍による非道の象徴的人物と位置づけている。

(6)武藤章(陸軍中将)
1944年(昭和19年)10月に第14方面軍(フィリピン)の参謀長に就任した。これは第14方面軍司令官に任命された山下奉文の希望によるもので、フィリピンの地で終戦を迎えた。山下らが起訴されたマニラ軍事裁判では、逮捕起訴されないどころか、弁護人補佐として出廷し山下らの弁護につとめた。
東京裁判で捕虜虐待の罪により死刑判決を受けたが、武藤はフィリピン現地での、捕虜虐待などを取扱ったマニラ軍事裁判に訴追されることなく弁護人補佐としてかかわっており、この死刑判決はきわめて矛盾していると指摘されている。
辞世の句は、
「散る紅葉 吹かるるままの行方哉」

(7)文官
広田弘毅(首相)
 東京帝国大学法学部政治学科、大学卒業後の1905年(明治38年)に外交官試験を受けたが、英語が苦手で失敗、翌年1906年(明治39年)、首席で合格して外務省に入省した。同期に吉田茂らがいる。
広田は55の訴因で訴えられていたが、そのうち「侵略戦争の共同謀議」、「満州事変以降の侵略戦争」、「戦争法規遵守義務の無視」の三つの訴因で有罪と判定された。
 初期の日中戦争について、「広田はこれらの計画をすべて十分に知っており、そしてこれを支持した」「外交交渉で日本の要求が満たされるに至らないときは、武力を行使することに終始賛成していた」とした。また南京事件に関しては「かれがとることができた他のどのような措置もとらなかったということで、広田は自己の義務に怠慢であった」と指摘し、「彼の不作為は、犯罪的な過失に達するものであった」としている。

※城山三郎『落日燃ゆ』
 広田弘毅が外相・首相を務めた期間は、日中が散発的な衝突を繰り返しつつ、やがて全面的な戦争に突入していく時期と重なっている。広田が強硬な大陸政策を取る軍部の方針に反対でありながら抵抗出来ず、東京裁判で文官でありながら唯一絞首刑となった点をとらえ、悲劇の外政家としての側面を描き出した。広田弘毅に対する同情的な見方が広まるのに一役買っている。


「お町も日本の女でございます。此の目玉の黒い間は、あながたを滅多に餓死させるものではありません。お町は唐人お吉ではございません。お町には国府も八路もございません。日本人の為に生き、死ぬばかりでございます。時を経て、一顧だにされないだろうことは覚悟の上でございます」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲葉ゼミ三河ツアー(3)~長篠の戦い

2013-12-14 07:31:07 | 稲葉ゼミ




国指定史跡 長篠城址
住所:愛知県新城市長篠字市場22-1

長篠の戦いは、「織田の鉄砲隊vs武田騎馬隊」の決戦で日本の歴史が大きく動いた戦であった。
その歴史
□1573年(元亀4年) 野田城攻め~武田信玄最後の戦い~
 武田信玄は野田城を落としたが、直後喀血。軍を甲斐に引き返す道中で死す。信玄を失い、勢力が弱まった長篠城を家康が支配下にいれた。
□1575年(天正3年) 長篠の戦い~武田軍1万5千の猛攻に耐える~
 長篠城奪回を目指した「武田勝頼29才」は、1万5千の軍で包囲。亀山城から移った新城主の「奥平貞正21才」以下500が危機に瀕して落城寸前となった。
 鳥居強右衛門(すねえもん)が伝令として、夜半に抜け出し、岡崎の家康に急を告げることに成功。織田信長3万、家康8千の援軍が設楽原に到着、陣を張った。
武田軍の軍議で、信玄の頃からの重臣たちが、敵軍が優勢なことから撤退するよう進言したが、激論の末、勝頼はこれを却下。決戦の意志が強く出撃が決定。設楽原が主戦場となった。
□1575年(天正3年)設楽原の決戦~織田・徳川軍の歴史的大勝利~
設楽原に進撃し、連吾川(れんごがわ)に沿って陣地を築いた連合軍は、「火縄銃」という新兵器を使用、「馬防棚(ばぼうさく)」と鉄砲隊という戦術で圧勝。
長篠の戦いは、斬新さ・合理性を追求した信長と、伝統に固執した勝頼との激突であり、新時代と旧時代の対決であった。
その意味で、「関ヶ原の戦い」「小牧長久手の戦い」とともに日本史史上大きな意味を持つ。
※「小牧長久手の戦い」・・1584年(天正12年)に、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。結果は、豊臣軍の戦略的勝利。徳川・織田連合軍の戦術的勝利。
※「関ヶ原の戦い」・・・安土桃山時代の1600年(慶長5年)関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われた。東軍の勝利(徳川家康、他)、 西軍の石田三成ら斬首

□1576年(天正4年)新しい城「新城」~奥平信昌が城主になる~ 
長篠の戦いで功績を挙げた長篠城主・奥平貞正は信長から「信」の一字をもらって、「信昌」と改名、家康からは長女「亀姫」をめとり、「新城城」を築城した。これが新城市の由来。


鳥居強右衛門(とりい すねえもん)磔刑(たくけい)の図
1575年5月14日、武田軍が総攻撃をしかけた、城中の食料はあと4,5日分だけ。その夜、救援を求める使者として、城を抜け出た鳥居強右衛門は、岡崎に走った(長篠~岡崎50Km。家康、信長に城の危急を訴えることが出来た。使命を果たして、長篠城の対岸まで戻ったところで、厳重な警戒中の武田軍に捕らえられる。
武田軍より、「援軍はこない。城を開け、武田は厚くもてなしてくれる!」と叫べと説得されたが、鳥居強右衛門は「援軍は来る。この眼で見てきた。あと2,3日!堅固に守れ!」と叫んだ。・・・・・武田軍は、彼を磔にした。彼の行動は、三河武士の模範として、今も語り継がれている。




当時の様子が再現された馬防棚




火縄銃
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲葉ゼミ三河ツアー(4)~紅葉と歴史散策

2013-12-14 07:30:13 | 稲葉ゼミ









2013.11.21(木)~11.22(金)、2年に一度のゼミ旅行。10名中、8名参加(幹事:河合さん・木下さん)
□ 行程
11月21日(木)正午 集合場所 新幹線豊橋駅
 ・昼食はB級グルメ 豊橋カレーうどん(同駅構内の店)
 ・旧東海道五十三次散策(名鉄で御油まで行って、御油宿から赤坂宿まで1.7kmを歩く)
 ・名鉄で豊橋までもどりJRで蒲郡へ、バスで西浦温泉へ 
 ・午後5時すぎ宿舎「晴海荘」着
11月22日(金)終日レンタカーで移動(9時に出迎え)
 ・朝食後、万葉の小路散策
 ・三ヶ根山「殉国七士の廟」A級戦犯 東條英機、板垣征四郎、広田弘毅ほか
 ・鳳来寺山 利修仙人 真言宗古刹 徳川家康誕生ゆかりの地 鳳来寺東照宮参拝
 ・鳳来寺山 自然科学博物館
 ・昼食  名物五平餅とそば  
 ・長篠城址記念館、設楽原決戦場および資料館
          織田・徳川連合軍の馬防柵と鉄砲隊VS武田騎馬隊
 ・豊橋駅着16:20 上り ひかり16:43→18;10(東京)

□ 鳳来寺山(ほうらいじさん)
 愛知県新城市鳳来寺にある山。標高は695m。「声の仏法僧(ブッポウソウ)」(コノハズク)が棲息している。紅葉の名所。
□ 鳳来山東照宮(ほうらいさんとうしょうぐう)
 正式名称は「東照宮」。日光・久能山と並ぶ三大東照宮の1社。
 江戸幕府3代将軍家光が、慶安元年(1648年)4月、日光東照宮へ参拝した折に『東照社縁起』を読み、徳川家康の出生と三河国設楽郡の鳳来寺との縁に感銘を受け、鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建を発願、それにあわせて新たに東照宮の創祀を計画し、阿部忠秋や太田資宗に命じて造営事業を進めた。跡を継いだ4代将軍 家綱が完成した。
 将軍家綱から、家康が関ヶ原の戦いで帯刀したという太刀が神刀として奉納されたほか、諸大名からも太刀や灯篭などの奉納。
 ※家康の父母である松平広忠と夫人は、子のできないことを憂い、祈願のために夫妻そろって領内の鳳来寺に参篭したところ、間もなく家康を懐妊したという。
 当神社境内を含む鳳来寺山は国の名勝及び天然記念物に指定されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はつらつ一座『裏店(うらたな)ものがたり』

2013-12-12 09:44:16 | 閑話休題
2013.12.8、本郷ふれあいセンターにて、阿見町教育委員会主催
脚本・演出:小島和馬、主演・演技指導:高尾ミト史




第一場 長兵ヱの家
腕のたしかな左官職人長兵ヱは、ばくち三昧で、女房おかねとは、いさかいが絶えなかった。




第二場 裏通りにて
反省した長兵ヱは、悪友から賭場への誘いを受けたがなんとか断る・・・?


第三場 二日後、長兵ヱの家
娘のお久が家出、夫婦は大げんか。




第四場 角海老楼の奥座敷
お久は父親の立ち直りを願って、内緒で女主人を尋ね、自分の体をカタに借金をいたのんだ。
事情を知った女主人は長兵ヱを呼びつけ、こんこんと意見をした上で、3年期限で、50両を渡した。
ひとまずお久を預かり、行儀作法を教えるが、約束のお金を返さなかったら、お久を店にだすと温情ある計らいであった。


第五場 帰り道の大川端にて
大金50両を落としてしまい、身投げをしょうとした近江家の手代分七を引き止め、「人に命には、替えられねえ」と、借りたばかりの懐の50両を文七にくれてしまった。


長兵ヱは、その一部始終を、女房に話したが、日頃の行状が悪いので、まったく受け付けてもらえず、またまた大げんか・・


第六場 大詰め、長兵ヱの家
そんな中、近江家の主人、手代文七がやってきて・・・




第一部 幕開けは「白鳥歌舞伎」舞踊ショー


観客席 
懐かしい、人情喜劇を楽しみました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

N40Cクラシック会

2013-12-03 14:23:57 | 閑話休題
開催日:2013.11.29(金)
コース:AMI GOLF CLUB 優勝=S.Murakami、準優勝=M.Turu0
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする