阿見町霞帆の会(徳永宗玲社中、他)主催の第九回茶会が、11月28日(日)、君原公民館にて催された。濃茶席、薄茶席、立礼席の3席を満喫。
新町長の天田富司男氏も来場、茶道を楽しみながらスローな時間を体験、青山区長、江幡さん同行。
【濃茶】
濃茶(こいちゃ)はお茶事の中心。濃茶は「おこい」ともいう。その濃厚さは想像以上、色も味も濃厚、良質で上品な香りとまろやかさを持った、よい品質の抹茶。茶の湯の伝来時は、濃茶のみで、それも薬として伝わったので僧侶や武士などが飲んでいた。希少価値なので値段も高く、特権階級の御用達だった。
濃茶は基本的に、茶事などで客の人数分の濃茶を点ててひとつの椀に入っているものを主客より順に飲みまわすもの。今日は、3人が飲みまわした。自分に応分の量(だいたい3口くらい)をいただいたら懐紙の角で、飲み口を手早く拭い、次客へと送る。
この濃茶の飲み回しは「吸い茶」と言って、利休が始めたもの。
【薄茶】
薄茶は、茶の湯が庶民の中に浸透していくにつれて手頃な価格で飲みやすいということで薄茶用抹茶が愛飲されるようになり一般に定着した。大寄せの茶会に点てられる。
厳粛な雰囲気の濃茶のときと違って、薄茶は清談を交えながらなごやかな雰囲気で進み、一人のお客様に、一碗ずつのお茶が点てられる。
お茶をいただいた後は、器をすぐにもどさずに器の中、側面、裏面など、念入りにゆっくりと拝見して楽しむ。
「社中」の意味は?
本来は、同門の会(仲間)と言う意味。家元がいて、その直接弟子に当たる人達の集まりを、社中と称している。新しく会を作ると、まず会の名前を決めなくてはなりません、意見をとりまとめる際に、~保存会・~睦連・~社中、等意見の上がる中で、何となく決まってしまった名前が多い。
亀山社中(かめやましゃちゅう)は長崎で坂本龍馬によって1865年に結成された浪士結社・貿易結社・商社である。海援隊の前身。
新町長の天田富司男氏も来場、茶道を楽しみながらスローな時間を体験、青山区長、江幡さん同行。
【濃茶】
濃茶(こいちゃ)はお茶事の中心。濃茶は「おこい」ともいう。その濃厚さは想像以上、色も味も濃厚、良質で上品な香りとまろやかさを持った、よい品質の抹茶。茶の湯の伝来時は、濃茶のみで、それも薬として伝わったので僧侶や武士などが飲んでいた。希少価値なので値段も高く、特権階級の御用達だった。
濃茶は基本的に、茶事などで客の人数分の濃茶を点ててひとつの椀に入っているものを主客より順に飲みまわすもの。今日は、3人が飲みまわした。自分に応分の量(だいたい3口くらい)をいただいたら懐紙の角で、飲み口を手早く拭い、次客へと送る。
この濃茶の飲み回しは「吸い茶」と言って、利休が始めたもの。
【薄茶】
薄茶は、茶の湯が庶民の中に浸透していくにつれて手頃な価格で飲みやすいということで薄茶用抹茶が愛飲されるようになり一般に定着した。大寄せの茶会に点てられる。
厳粛な雰囲気の濃茶のときと違って、薄茶は清談を交えながらなごやかな雰囲気で進み、一人のお客様に、一碗ずつのお茶が点てられる。
お茶をいただいた後は、器をすぐにもどさずに器の中、側面、裏面など、念入りにゆっくりと拝見して楽しむ。
「社中」の意味は?
本来は、同門の会(仲間)と言う意味。家元がいて、その直接弟子に当たる人達の集まりを、社中と称している。新しく会を作ると、まず会の名前を決めなくてはなりません、意見をとりまとめる際に、~保存会・~睦連・~社中、等意見の上がる中で、何となく決まってしまった名前が多い。
亀山社中(かめやましゃちゅう)は長崎で坂本龍馬によって1865年に結成された浪士結社・貿易結社・商社である。海援隊の前身。