さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

日本舞踊の「おさらい会」

2010-05-16 16:28:24 | 閑話休題
阿見町かすみ公民館で、坂東流師範:坂東泰緒(ばんどう ゆきお)の指導による日本舞踊の教室を受講しました。
5月16日(日)の「おさらい会」に講座生の代表4名で、2曲の舞踊を発表。1年間の練習でしたが、見事な発表が出来、レークサードから駆けつけた応援の人たちは、感心していました。
□端唄 紅葉の橋
”小唄を舞踊用に編曲したもので三味線のほかに洋楽器を加えた楽しい曲で舞踊小唄ともいわれています。”
♪♪♪
紅葉の橋の  たもとから
袖をかきねの 言伝てに
ちょっと耳をば かささぎの
霜もいつしか 白々と
つもるほど 尚ふかくなる
雪をめぐらす 舞の手や
よい よい よい よい よいやさ

□端唄 松づくし
”本来、上方唄ですが江戸でも古くからお正月等によく舞われました。”
♪♪♪
うたひはやせや大黒、
一本目には池の松、
二本目には庭の松、
三本目には下(さが)り松、
四本目には志賀の松、
五本目には五葉の松、
六つ昔は高砂の、尾上の松や曽根の松、
七(ひち)本目には姫小松、
八本目には浜の松、
九ツ、小松を植ゑならべ
十で豊久能の伊勢の松、
この松は芙蓉の松にて、情(なさけ)ありまの松が枝(え)に、
くどけばなびく相生の松、
又いついつの約束も、日をまつ、時まつ、暮れをまつ、
連理の松に、契りをこめて、
福大黒を見さいナ。
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雀の親子

2010-05-16 16:22:34 | 閑話休題
書斎の窓から見えるバルコニーの巣箱に今年も雀が雛を孵しました。子供が、親から餌をもらっています。
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7回忌の法要

2010-05-15 15:15:29 | 閑話休題
兄:俊允が亡くなってから、満6年の7回忌の法要が平成22年5月9日(日)に姫路で執り行われ、故人の思い出を語り合いました。
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国内最後の空港?茨城空港

2010-05-14 15:49:05 | 閑話休題
自宅から空港まで、約1時間、成田へ行くのと同じくらいのところ、茨城県小美玉市に「茨城空港」が平成22年3月11日、開港した。国内98番目の空港、国が新規空港建設を抑制していることから「国内最後の空港」と言われている。航空自衛隊百里基地との共用。定期便は韓国・アシアナ航空のソウル便1往復(茨城 → ソウル(仁川) 13:00-15:20 ソウル(仁川)→ 茨城 10:00-12:00)、4月16日より、スカイマークが神戸便1往復(茨城→神戸 10:35-11:55 神戸→茨城 8:20-9:35)しかなく、最初から赤字覚悟のスタートとなっている。
5月8日(土)姫路で法事があり茨城→神戸便を初乗り、料金は一人片道8,800円で新幹線より相当安かった。もの珍しさもあり、空港ターミナルビルには多くの見物人が詰めかけていた。

 
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BBQを楽しみました。

2010-05-05 12:23:09 | 閑話休題
今年のゴールデンウイークは、好天に恵まれ、萌える若葉の香りを満喫しました。
めぐる季節のなつかしさと確かさ
       必ず春がくる    
          あるがままに楽しむ
(習志野市 香澄公園にて、お嫁さんの実家の皆さんとバーベキュー
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信太入子ノ台遺跡の出土品

2010-05-02 09:54:09 | 閑話休題
縄文時代~平安時代の住居址の遺跡を発掘したら、当時の暮らしが分かる多くの土器、石器がでてきました。
美浦村の信太入子ノ台は、北の霞ヶ浦と、この霞ヶ浦に南から流入する小野川に挟まれた台地上に所在しており、古代の人々にとって、暮らしやすい村だったようです。
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美浦村の遺跡発掘

2010-05-02 09:18:41 | 閑話休題
「信太入子ノ台(しだいりこのだい)遺跡」
美浦村教育委員会は、JRA美浦トレーニング・センターの工事に伴い、遺跡の発掘調査を行っている。この集落を発掘したところ、今から、約12,000年前、人々が土器を作り始、狩猟の暮らしをしていた縄文時代4軒、日本に稲作が伝わり、米を食べる習慣に変わった弥生時代3軒、古墳時代8軒、約1200年前、西暦794年平安京に遷都、嵯峨天皇が即位した平安時代17軒、時期不明1軒、合計33軒の古代の住居址が発掘されている。縄文時代から平安時代にかけての集落跡であることが分かった。食事をしたカマドの跡、土器類など多く見つかり、周辺の遺跡の調査成果と比較しながら分析を進めている。
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