さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

古河公方公園の花桃

2024-03-18 09:04:01 | 地域
2024.3.7(木)、さやっぽ歩会春を求めて花桃ハイキング、車4台16名参加。園内のハナモモの8割を占める早咲きの矢口(やぐち)が3分咲きだった。矢口(やぐち)は、ひなまつりの切り花の代表種。
古河公方公園(古河総合公園)
古河は茨城の小京都と呼ばれ古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として、江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えた地。
古河公方公園では、約1,700本の6種類の桃花が美しく咲きそろう。
「第48回古河桃まつり」が3月16日(土)から31日(日)まで連日、歌謡ショーなどのイベントが開催される。
住所 茨城県古河市鴻巣399-1(圏央道境古河ICから約30分)


寒白(かんぱく)
▢ 桃林の由来
江戸時代のはじめ、徳川幕府の要職にあった古河藩主(16万石)土井利勝が、領地では、燃料となる薪が不足していたので、成長が早く、果実が食料にもなる桃が良いと思いつき、江戸で子どもたちに桃の種を集めさせ、それを俵に詰めて古河に送ったのが始まり。
昭和50年に開園した古河総合公園は、故事に習い花桃(花を観賞するための桃)を植え、江戸時代を偲ぶ桃林を復活させた。25ヘクタールの園内は、3月になると、桃源郷となる。


古河公方館跡
鎌倉公方 足利成氏(あしかがしげうじ)は1445年古河に移り、この台地に館を構えた。五代にわたり約130年間、北関東に勢力を拡大し、「古河公方」と呼ばれていた。
石碑の東西には、当時の御所沼の堀と土塁が、跡をとどめている。
石碑の向こうにある古民家は、旧中山家(県指定文化財)。この民家は、もと中山太郎氏(茨城県坂東市)の所有だったが、氏の寄贈により当地に移築したもの。中山家は、武士の出身で、江戸時代初めに、この村に帰農した。代々、村の組頭などを勤めた旧家。

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