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平成5(1993)年12月、姫路城はユネスコの世界遺産委員会で日本で始めて「世界文化遺産」に登録された。国宝の犬山城、彦根城、姫路城、松本城の4城のなかでも、最も壮麗な完成された城郭建築。
現在の姫路城は安土桃山時代の末期、1601年(慶長6年)から8年の歳月をかけて建てられたもの。城主は池田輝政。江戸時代に入って、1618年(元和4年)に西の丸が増築されて現在の形がほぼ完成した。この時の城主は本多忠政。
■「平成の大修理」
姫路城は平成21(2009)年10月9日から外壁の塗り直し、屋根瓦の葺きなおしを中心に大規模な改修工事に入った。工事期間は平成26年まで約5年、事業費は約28億円。
大天守は鉄骨と鉄板でできた「素屋根(すやね)」で上からすっぽり覆われた。見学者用のエレベーターで海抜100mの見学スペースへ。ガラス越しに、間近に修理のようすを見学。
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千姫ゆかりの西の丸
江(ごう)が三度目に結婚した二代目将軍徳川秀忠との間に生まれた長女千姫は、大坂落城の後、本多忠刻(ただとき)に再婚し、姫路城西の丸で幸せに暮らした。
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お菊井戸『播州皿屋敷』
永正年間(つまり現在の姫路城が出来る前)、姫路城第9代城主小寺則職の家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし鉄山の計略を探らせた。そして、元信は、青山が花見の席で則職を毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出、家島に隠れさせ再起を図る。
乗っ取りに失敗した鉄山は家中に密告者がいたとにらみ、家来の町坪弾四朗に調査するように命令した。程なく弾四朗は密告者がお菊であったことを突き止めた。そこで、以前からお菊のことが好きだった弾四朗は妾になれと言い寄った。しかし、お菊は拒否。その態度に立腹した弾四朗は、お菊が管理を委任されていた10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿のうちの一枚をわざと隠してお菊にその因縁を付け、とうとう責め殺して古井戸に死体を捨てた。
以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。
やがて衣笠元信ら小寺の家臣によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、則職の元に返った。その後、則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、お菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。
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