さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

春季舞踊発表会

2014-04-30 08:50:54 | 閑話休題

あやめ会「海の子 山の子 日本の子」
2014.4.27(日)午前10時開演、かすも公民館ホール
主催:阿見町文化協会  後援:阿見町教育委員会




佐保苑会「恋は根岸」


扇美会「山形流し歌」


扇美会「菖蒲浴衣」


さつき会「夜桜お七」


欽萃会「佐渡の恋歌」
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我が家の庭に咲く花

2014-04-22 20:05:21 | 閑話休題
牡丹
もともとは薬用として、奈良時代に弘法大師・空海が中国から持ち帰ったといわれる牡丹。原産地の中国では、古来から「花の王」として大切にされてきた。
牡丹の花言葉:「王者の風格」「高貴」「壮麗」
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」


セイヨウシャクナゲ 西洋石楠花
低木の女王がバラなら、王はシャクナゲといわれている。
原産地は、ヒマラヤ地方。ヒマラヤの山岳地帯は野生シャクナゲの宝庫とされ、ネパールの国花(ラリグラス)になっている。
日本ではかつて神霊が宿る木とされ、枝を門前に挿して家内安全を願う風習があった。
花言葉:「威厳」「警戒」「危険」「荘厳」


タイツリソウ(ケマンソウ)
茎先に、ハート形をしたピンクの花を垂れ下げてつける。この垂れた花を鯛に見立てて「タイツリ」と名づけられた。 別名を華鬘草(ケマンソウ)という。これは仏具の華鬘に見立ててつけられた名。華鬘は寺院のお堂の中にかける透かし彫りの飾りのこと。
花言葉:「流れにまかせて」「恋心」「魅惑する勇ましさ」
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美浦菜園かたくりの花

2014-04-19 13:59:06 | 閑話休題










2014.4.13、美浦菜園にて「かたくりの花」
カタクリの花は「春の妖精」とも「春の女王」ともいわれ、春を呼ぶ花。
ユリ科に属し、根はりん茎となり良質のでんぷんがとれる。現在の片栗粉はジャガイモのでんぷんで作られるが、昔はその名の通りこのカタクリの根が使われていたとのこと。
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外大野のしだれ桜

2014-04-18 16:02:31 | 閑話休題






2014,4.11(金)奥久慈方面の桜と温泉へ
「外大野のしだれ桜」
住所:大子町大字外大野1312
樹齢320年、幹周囲3.5m、樹高20mのしだれ桜、茨城県指定天然記念物に指定。水戸藩主・徳川光圀公のお手植え。「桜を守る会」が保護と管理、桜まつりが行われいて甘酒のサービス。


子安地蔵堂




生瀬地蔵桜
大子町小生瀬の八竜山地福寺跡に立つ樹齢500年ほどのシダレザクラ。かつてこの地には広大な寺屋敷があり、竜骨が秘蔵されていたとの伝説が残る。地域有志により、桜の近くには延子安地蔵堂が祀ってある。幹周り:約4m、高さ:約15m






沓掛峠のヤマザクラ群
大子町内の大生瀬と外大野を結ぶ標高400mの道筋の峠にあるヤマザクラ群。開花はソメイヨシノが葉桜になる頃から咲き始め、木によって見ごろが違う。
県が平成20年度から導入した森林湖沼環境税を活用した「身近なみどり整備推進事業」により整備している。
推定樹齢130年。樹齢:約130年、幹周り:3.6m、高さ:約20m
※桜の寿命は、ソメイヨシノ約60年、ヤマザクラ約700年と言われている。






桜の季節の「月待の滝」、ここで蕎麦、月居温泉
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台山公園の桜

2014-04-17 18:58:43 | 閑話休題


桜の下でお弁当




2014.4.10(木)、いきいきサロン開催(尺八、手打ち蕎麦)


桜の苗1本を記念植樹
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歌舞伎

2014-04-16 13:32:28 | 閑話休題








2014/4/9、銀座にて、歌舞伎を生まれて初めての鑑賞。前から5列目の1等席(税込み、18,000円)でした。
□ 歌舞伎座の歴史
第一期 歌舞伎座
 1889年(明治22年)11月21日に開場。演劇改良運動に熱心だった福地源一郎が中心となって作った劇場。演劇のジャンルをそのまま劇場の名称としましたが、当時は市村座・新富座などのように座元の名前や地名をつけるのが普通だったので、「歌舞伎座」はその存在自体が大変斬新な劇場だった。
第二期 歌舞伎座
1911年(明治44年)に、純日本式の宮殿風に大改築され誕生。1914年(大正3年)からは松竹合名社(現在の松竹株式会社)が経営することになった。1921年(大正10年)10月、漏電による火災で焼失。
第三期 歌舞伎座
1924年(大正13年)12月、奈良朝に桃山様式を併せた大殿堂、第三期歌舞伎座が落成。時代は昭和に入り、歌舞伎座は黄金時代を迎える。新しい劇場を建設途中の1923年(大正12年)9月1日、関東大震災に遭い、工事が一時中断したが、3年の空白を置いて完成。しかし、戦時下の1945年(昭和20年)5月の大空襲により、外郭を残して焼失してしまった。
第四期 歌舞伎座
空襲により劇場の大部分が失われたが、戦後、破壊を免れた基礎・側壁・屋根の一部を活用し、修理工事を行、1951年(昭和26年)1月に再建された。2010年(平成22年)4月の興行をもって、建替えのため休館。
第五期 歌舞伎座
1年前に伝統を大切にし新した時代の劇場が誕生。瓦屋根、唐破風、欄干等の特徴的な意匠を踏襲、存在感ある和風意匠で歴史と景観の継承を図った。

□ 坂東三津五郎、復帰舞台
昨年9月に膵臓がんの手術を受け、療養を続けていた歌舞伎俳優、坂東三津五郎(58)が4月2日開幕する歌舞伎座新開場1周年記念「鳳凰(ほうおう)祭四月大歌舞伎」で昼、「寿靱猿」の猿曳(さるひき)寿太夫で本格復帰を果たす。
 療養を「天のくれた時間」と前向きにとらえ、昨年10月2日の退院後は、家族旅行や読書、ラジオ体操などをして、人生初の「予定のない日々」を過ごした。



昼の部
一、舞踊
   壽春鳳凰祭(いわうはるこびきのにぎわい)
 平安朝の優雅な雰囲気溢れる、華やかで荘重な舞台。

二、鎌倉三代記(かまくらさんだいき)
 絹川村閑居の場
 源頼家に仕える三浦之助は、北条時政との戦のさなか、病床の母長門の元を訪れます。出迎えたのは、敵 北条時政の娘であり三浦之助の許嫁でもある時姫。戦場を抜け出て来たわが子を叱責し対面を拒む長門に対し、時姫は父の使者藤三郎が迎えに来ても帰る様子も見せず夫婦の固めを願い出ます。
 しかし三浦之助は敵方となった姫に心を許さず、自分と夫婦になりたければ父親の北条時政を討てと命じ、時姫は迷った末に決意を固めます。
 
三、壽靱猿(ことぶきうつぼざる)
 鳴滝八幡宮の場
    猿曳寿太夫      三津五郎
    奴橘平        巳之助( 三津五郎の長男24歳)
    女大名三芳野     又五郎
 江戸時代、猿まわし(猿曳)は正月に大名屋敷をはじめとして武家や農家のう
まや厩へ馬の厄病除けにまわる一方、猿の芸をみせる大道芸としての両面があ
りました。
 鳴滝八幡宮にやってきた女大名・三芳野と奴・橘平は、靱にするための猿の皮を探しています。そこへ駆け込んできたのは、1匹の小猿と猿曳・寿太夫。猿曳は小猿を売ることを断りますが、三芳野が弓で狙うので、仕方なく自ら打ち殺すことを承諾します。語りかける猿曳に対し、健気にも習い覚えた芸を見せる小猿。その様子に感じいった三芳野が小猿を助けることにすると、皆でめでたく舞納め。  
 
坂田藤十郎一世一代にてお初相勤め申し候
四、曽根崎心中(そねざきしんじゅう)
    お初         藤十郎
    平野屋徳兵衛     翫 雀
    油屋九平次      橋之助
    天満屋惣兵衛     東 蔵
    平野屋久右衛門    左團次
◆二人の儚い命が紡ぎだす上方歌舞伎の名作
 大坂平野屋の手代徳兵衛は、天満屋お抱えの遊女お初と将来を約束しあう仲。しかし、徳兵衛は伯父久右衛門に返さなければならない持参金を、油屋九平次に騙し取られてしまいます。ほろ酔い機嫌で現れた九平次とその取り巻きとが徳兵衛を散々にこき下ろす様子を聞き、お初が縁の下に潜む徳兵衛に潔白を証明するため死ぬ覚悟を問うと、死の決意を合図する徳兵衛。やがて夜が更け、白無垢に着替え覚悟をきめたお初は、徳兵衛の手を取り曽根崎の森へとむかうのでした。  
 近松門左衛門の心中物の原作をもとに宇野信夫の脚色で復活。
 人間国宝・坂田藤十郎、お初上演1300回を越える屈指の当たり役。藤十郎が一世一代で勤める舞台に感動








屋上庭園にて

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