ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『時計というのはね、・・・

2020-08-18 06:09:14 | 日記
暑くてお休みにしていた散歩へ夕食の後に出かけました。
我が家の普段の夕食は5時をちょっと回った時刻です。
長女や孫は、「病院より早い」と、半ば呆れ顔をしています。
台所の後片付けは後にして出かけました。
田んぼの中の農道を歩くコースです。
稲は殆どが出穂していました。
あぁ、コロナがあっても豊作だな、と生産者ではなくとも嬉しくなった私です。
暑い日差しの中で、グングン穂を伸ばし実って行く様子を眺めただけで、明日の食べ物が約束された様な安心感を抱きます。
私の感覚では主食は「米」、お米さまさま、ですから。
「お米は その字の通り八十八回手がかかる お米を粗末にしちゃぁいけないよ」
そんな祖父の言葉も思い出されます。
お日様は西の山の端近くで今日最後の輝きを見せていました。
ウロコ雲が日暮れの色合いで散らばっています。
「暗くなるから もう帰りなさい」
風が、そう囁きましたので戻り道へ。
本当は小さな秋を見つけたかったのです。
草むらの虫の音が、
「もうすぐ 秋よ」
と応えてくれました。
短かった時間ですが、いい時間を、汗を少しかきながら歩いた私です。

8月期の【NHK 100分de名著】は、ミヒャエル・エンデの『モモ』です。
もう一度読み返そうと本棚を探しましたが見当たりません。
図書館へ行くのも億劫でしたので、アマゾンで取り寄せました。
大島かおり訳の岩波少年文庫です。
漢字に付されたルビが少々じゃまになりましたが、一晩で読み終えました。
私の読書歴では「いい本」のランクに入っている本でしたが、83歳で読み返してみますと、またまた新たな発見がありました。
カシオペイアと言う名のカメに案内されて「時間の国」の〈どこにもない家〉にやってきたモモは、不思議な老人(?)・マイスター・ホラーに会うのです。
マイスター・ホラーのモモへの語りかけです。
『時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。
光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。
そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。・・・・・・』

改めて、時計が在って時間を覚える生活のあり様は、かなり不自然かも・・・そんなことを考えながら、
夜が更けました。
                          〈ゴマメのばーば〉

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