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小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

奇跡のはじまり~小笠原発見のルーツを探る旅①

2025年02月23日 | 小笠原発見のルーツ
■物事を進める時、うまくトントンと事が進み、すべてがうまくいく事があります。
逆に、何をやってもうまくいかない時もあります。

この時はまさにすべてがうまくいき、奇跡が起きて、その波にうまく乗れたなと思った瞬間がありました。
それは2025年2月。
小笠原発見のルーツを探す旅で起こった出来事でした。

■あなたは「嶋谷市左衛門(しまやいちざえもん)」という名前の人を知っていますか?
小笠原諸島に関わっていれば「小笠原貞頼(おがさわらさだより)」という名前は聞いたことがあると思います。

小笠原諸島の名前の由来にもなっていますし、父島の扇浦には小笠原貞頼神社があります。
しかし、小笠原貞頼について、今は伝説の存在となっている説が有力で、その存在は定かではありません。

実は今から丁度350年前の江戸時代1675年(延宝3年)に江戸幕府の命を受け、
歴史上初めて小笠原諸島を巡検して、しっかりと記録を取り、幕府に報告したのが嶋谷市左衛門さんなのです。
その確かな記録のお陰で、小笠原諸島は明治9年に国際的に日本領土と認められることとなりました。 

↑長崎歴史文化博物館にあるレストランの壁に飾られた古地図

お陰で今は僕たちが住むことができていますし、
排他的経済水域はなんと世界で第6位にまでなっているのは、
小笠原諸島(硫黄島などの火山列島、沖ノ鳥島、南鳥島を含む)の存在がとても大きくなるのです。

↑レストランの古地図には小笠原も描かれてる?

■この重要な巡検はとある船乗りたちの漂流からの帰還がきっかけとなっています。
嶋谷が小笠原を巡検する5年前の1670年2月(寛文10年)、母島に漂着した船乗り達がいました。

彼らは徳島県海陽町浅川の船乗りで前年の11月に和歌山県有田市宮崎でみかんを積んで、江戸に向かう途中でなんと漂流してしまい、母島の海岸に辿り着いたのです。

↑徳島県海陽町の阿波海南文化村にある海陽町立博物館の玄関前にある冥福の碑
船頭の勘左衛門さんは、漂流の疲れからか、母島に着いた翌朝に亡くなってしまったそうですが、残りの船乗りたちは壊れた船を修復し、なんと自力で本土の下田に帰還しているのです。

その報告を聞いて、幕府は八丈島の遥か南に無人島があることを知ります。

↑描かれた母島
 東京都公文書館に所蔵されている江戸~明治期の小笠原の資料「小笠原島記事」より
 
■当時、バリバリの鎖国真っ只中で、遠洋航海も禁じられている時代でしたが、
30代まで遠洋航海をしていて技術を持っていた当時69歳の嶋谷市左衛門さんに、八丈のはるか南にある無人島への巡検という白羽の矢が立ったのです。

当時で69歳の船頭というのはかなり高齢だったとは思うのですが、
漂流して帰還した船乗りたちの情報のみで、八丈より700㎞南の小さな島を見つけて、
調べて帰ってくるのですから、すごい偉業だと思います。

↑描かれた母島列島
 東京都公文書館に所蔵されている江戸~明治期の小笠原の資料「小笠原島母島列島圖」より

■今回、2024年12月議会で小笠原諸島巡検350周年記念事業実行委員会が発足し、僕も委員に選ばれ、長崎に視察に行ってくることができました。
まさに小笠原発見のルーツを巡る旅です。
このカテゴリーではその報告をしたいと思います。


↑長崎から羽田に帰ってくる際の飛行機からの美しい景色

■まず、この嶋谷関係の小笠原発見のルーツを探る旅というものは、
沢山の奇跡と出逢いがありました♪
あまりに偶然が必然を呼んでいるので、これはもう神様の采配としか思えないほどです。

これらの過去の出来事、先人たちの暮らしがなければ、
今私たちが幸せに島暮らしをすることはできていないと思うので、
関係してきているすべてにリスペクトの気持ちを込めて書いていこうと思います。

元々、嶋谷市左衛門については小笠原貞頼に比べて有名ではありませんが、
過去に出版された本や展示で時々触れられていました。

↑国立公文書館に所蔵されている江戸~明治期の小笠原の資料「小笠原島記事」

しかし、それだけではこの巡検350周年の事業には至ってなかったと思うのです。
まず、事のきっかけは父島の郷土研究家でのある延島さんが、
2024年の5月に滋賀県東近江にある博物館「西堀榮三郎記念 探検の殿堂」の企画展「小笠原諸島の探検家・嶋谷市左衛門」を見に行ったことが大きなきっかけだと思います。

延島さんはインターネット上でこの企画展の情報を発見し、上京時に行く計画を立てます。
しかし、行く予定の日を都合により1日ずらしたそうですが、この予定変更のお陰で、奇跡の出逢いが発生します。

その日、博物館に長崎から「嶋谷市左衛門を顕彰する会」のメンバーがたまたま来ていたのです。
そこで偶然にも延島さんに出会い、挨拶と情報交換を行ったのです。

↑咸臨丸と父島
 東京都公文書館に所蔵されている江戸~明治期の小笠原の資料「小笠原島記事」より

その後、小笠原の渋谷村長も延島さんから話を聞いて、企画展を見に行き挨拶を行い、僕も5月の内地出張の帰りに船の中で延島さんにこの出会いの話を聞くことになり、そのご縁もあり9月議会での嶋谷に関する一般質問に繋がっていきます。

そのやり取りの中で、僕も嶋谷市左衛門を顕彰する会の方と繋がることができました。
そして12月議会で小笠原諸島巡検350周年記念事業実行委員会が発足の補正予算が認められました♪

僕も実行委員を務めることになりました。

↑アウトリガーカヌーが描かれています。
 東京都公文書館に所蔵されている江戸~明治期の小笠原の資料「小笠原島記事」より

そして、今回2月に実行委員会の事業部会メンバーが長崎視察に行ってきたのですが、
そこでも沢山の奇跡が起こりました!

まずは長崎行きまでに東京到着から土日などがあり、
日程に空きがあったので、
僕は個人行動で最初に漂着したみかん船の徳島県海陽町に行くことにしました。

ほぼ5日前に行く事を決めて、いきなり行った強行スケジュールだったのに、
なんとそこでは母島に漂着した船頭・勘左衛門さんのご子孫さんに逢うことができたのです!
さらには長崎でも逢えると思っていなかった嶋谷市左衛門さんのご子孫にまで逢うことができたのです!

 
→詳しくは続き②をどうぞ
 ※ゆっくりアップしていきます。

※参考文献、HP
小笠原島記事21(眞景図)
小笠原島記事22(島真景図)
小笠原島記事26(嶋谷市左衛門覚書)
小笠原島記事27(無人嶋漂流記)
小笠原ゆかりの人々/田畑道夫・著(小笠原村教育委員会)

島のビン、ガラスの行く末を追って(ごみ処理レポ⑤)

2025年02月10日 | ゴミ問題

■2023年に議員になってから、小笠原村が回収しているリサイクル資源の行く末を追って、
様々な処理工場を視察してきました。

今回は埼玉県にある「中村ガラス」さんを訪ねました。
浦和レッズのホームである埼玉スタジアムの近くに工場はありました。

中村ガラスさんはガラス瓶を集めて処理し、
破砕して、不純物を取り除き、
ガラス材料として搬出している業者さんです。

処理されたビンたちは、
白(透明)、茶、色ビンの3種類に分けられています。

これまで見てきたプラやペットボトルと違い、
ビンの扱いは長い再利用の歴史があります。

思えばひと昔前、僕が子供の頃の仙台では、空いた瓶を酒屋さんに持って行って、
一瓶10円くらいで引き取ってもらい、子供の小遣い稼ぎになっていました。
全国的にも同じだったと思います。

しかし、現代は細かく展開していた地域の酒屋さんが減って来ていて、
大きなショッピングモールなどが展開してきている時代なので、
ビンを集めてリユースするよりは、
ビンを集めて砕き、リサイクルするのが主流になってきているそうです。

ペットボトルの登場で、瓶は減って来てはいるそうですが、
まだまだその存在意義は大きく、
ペットボトルの処理も歴史ある瓶の処理工程が参考になっており、
この視察はその歴史を感じながら拝見させてもらいました。


 

■さて、島では週に一度、ビン・ペットボトルとして同時に回収しています。

回収されたビンはセンターで仕分けされ、
フタや不純物を取り除き、3種類の色に分けて貯められます。

なので、捨てる際にはちゃんとフタを外し、中身はサッと洗って捨ててもらう事で、
その後の処理が格段に楽になっていきますので、
きちんと各家庭、事業者で丁寧に回収へのご協力をお願いします!

そして同じ日に集めるビン・ペットボトルの日には、
空きビン以外のガラス製品、お皿などの陶磁器が含まれています。
それらは、今回のガラス瓶とは成分が違うので、別にしています。

耐熱ガラス製品、陶磁器、照明のガラス、ガラス食器、薬品ビンなどが、
別扱いとなっています。
これらは島で僕たちが仕分けしています。

その後、3種類に分けられた瓶が貯まると、
貨物船・共勝丸で内地に運ばれ、
今回視察させてもらった、埼玉の中村ガラスさんに運ばれます。

そこからが今回の視察の段階になります☆
 



■まずこちらに着いたビン達はストックヤードに置かれます。

その後に、重機で運ばれ、まず機械にかけられて、
50㎜以下に破砕されます。

その後、ラベル剝離機でラベルがはがされ、
バキューム集塵機で軽量物を吸引除去されます。

そして、セラミック除去機で石や陶磁器類が除去されます。

次は金属検出器で金属が除去され、
水洗いされて、最後に人に検査選別されて、
ガラス瓶の原料、製品カレットになって原料として出荷されて、
またガラス瓶に生まれ変わります。

この工程の中でも、不純物を極限まで取り除くために、
何度も行き来する場合もあれば、
センサーで色分け仕分けされたりと、
様々な細かな選別作業で綺麗に分けられていきます。

さまざまな個所でこうした不純物が除去されていきます。
不純物が混入すると、再利用時の質が下がってしまうので、
工夫されてしっかりと取り除かれています。



最終段階の茶ビン
すっかり綺麗です♪


こちらが最終の白(透明)ビン
人の技術ってすごいなぁ!と感心するばかりでした♪


下記ホームページでガラスびんカレット工場の工程が紹介されています☆
良かったらどうぞ!


■小笠原から搬出される空き瓶の量は令和3年度は38トン、令和4年度は44トンになります。
年数回搬出していますが、1回あたりのビン処理はものの数十分で処理されてしまいます。
今のところ、父島のクリーンセンター、母島のリレーセンターからの空きビン資源からは、
あまりに困るようなものの混入はないそうで、聞いてホッとする自分がいました(#^.^#)

ガラス瓶はいわゆるリデュース(発生抑制)、リサイクル(再資源化)、リユース(再利用)の3Rに対応しており、
5000年前のエジプトのお墓からガラスを作る絵が見つかっている長い歴史もあります。

100%天然素材でありますし、
特に日本の現代のビンの品質はすごく高品質です。
ペットボトルやプラ容器など、
軽くて便利な容器が増えてきている現代ですが、
ビンの持つ歴史と有用性は揺るぎのないものであると感じました。
(ビールも缶よりもビンが美味しいと感じています♪)

頂いた資料によると、
今でもリユースやリサイクルされないビンは年間40万トンもあるそうです。
小笠原村が令和4年に搬出したビンの量は44トンになります。

これらのビンが太平洋を1000㎞渡り、さらに陸送を経て、
中村ガラスさんで処理されていることになります。

今回の視察を通して、処理している人たちの顔が見えたおかげで、
回収する、仕分けする、搬出する時にも活かせるものがあると感じました!
ゴミステーションに捨てる際にも、
しっかりとキャップを外し、中身をサッと洗って出してもらうことで、
後の処理で大変助かります!
ぜひよろしくお願いします★

中村ガラスの皆さん、貴重な時間を割いて、ご紹介いただきありがとうございました!

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母島の桜さくらの時期~高校受験を終えて

2025年02月03日 | 母島 暮らし 子供
■1月の末、次女の高校受験が終わりました。
お陰様で第一希望の高校に受かる事が出来て、
今度の春からは親元を離れて、小笠原を巣立ち、
新天地で頑張っていく事になりました♪

沢山の応援と励まし、フォローをありがとうございました!

そんな今、母島は寒緋桜が満開です。
卒業式にはもう散ってしまっている桜の花は、
受験生たちを祝福してくれていました。

母島に帰って来て、合格発表の結果を聞いて、
嬉しくて飛び上がって頭をぶつけた次女(笑)と、桜を見に行きました。
去年の今頃は「私は小笠原高校(父島)でいいから」そんな話をしていたと思います。
別に小笠原高校が悪いと思っているのではなく、
その決め方がどうかなぁと思ってはいました。
しかし、次女の人生は本人のもの。
自分で決めて、自分で受け止めていくものです。


そんな中、夏休みに内地の高校見学の話をしていた時に、
5月か6月ごろのある日、
「私は知っている環境の高校を選んでしまったら、
 卒業後に環境の変化にすごく自分は苦労してしまう気がする。
 だから、高校から知らない環境に飛び込んで頑張っていきたい!」
そんな決意の言葉を言ってきました。

今思えば、そこから動きが急に変わったと思います。
地域みらい留学などから、希望の学校を見つけ出し、夏に見学する予定を立てます。
面談の時も先生が「顔つきが変わった。君のこの瞬間を待っていた!」と嬉しそうに言ってもらっていました。

中2の頃から、親は色んな高校見学の気持ちはありましたが、
なかなか本人はそのリアリティに追いつけず、
でも母島を離れる現実が近づいているのも分かっていて、
その中で思春期の葛藤もあり、色々悩ましかったと思います。

考えてみると、
自分が中学生の時は、すでに仕事をしていて社会に関わっている僕でしたが、
地元仙台以外の高校に行くなんて、選択肢にすらありませんでした。

そう思うと、当たり前に高校のない母島の中学生の意識は、
なかなか想像しがたいものはあります。

6年前、姉の長女は中学を卒業し、色んなご縁がつながり、
その選択肢も十分ビックリしたものです。

あまり人見知りのしない僕や長女の性格とは違い、
外の世界に自ら飛び込むのに大きな決意がいる次女にとって、
内地の高校に進学するという選択は
自身にとってとても大きな事だったと思います。

しかし、敢えてその選択をした娘を、精一杯応援したかったのです。
受験をする、ここまでのプロセスにも十分に意味がありました。

受験後にもちろん不安いっぱいだったけれど、
「結果はどうであれ、本当にいい経験が出来た!
 面接がすごい楽しかった!
 受験させてくれて、ありがとう!」
と言って来ました。

そんな気持ちに至っただけで、親としてはもう十分でした。
無理せず、自然体で挑んでみて、あとは任せる。

でもだからこそ、その結果の合格がなお嬉しかったのです。
このスタートラインに立てるといいなぁ、
ご縁が繋がるかなぁと思っていたら、見事に繋がったのです♪


■沢山の方に支えられて、
1月11日出港のははじま丸~おがさわら丸に乗り、
受験会場現地の近くに滞在し、
受験を終えて、1月29日の船で母島に帰って来ました。
何と長い受験期間でしょう。

12月におがさわら丸の係船機器故障による、緊急欠航があったので、
その心配もあり、1便早めたという背景もありました。

今回の受験は“総合選抜”という、あまり聞き慣れないもので、
言わば、学校からの推薦ではなく、
自分自身が自分自身を推薦し、挑戦するという新しいスタイルの挑戦でした。

2日間の試験で、
1日目は1時間に3教科の学科試験+面接。
2日目は面接というもの。

2日間の試験の為に、慣れない寒い気候の中、長~い本土滞在をして、
特に体調を崩すことなく、無事に受験を終えて帰ってきて、
まずはそこでホッとしました。
島に帰って来た翌日が合格発表の連絡でした。

総合選抜は学科試験はあれど、面接に2日間かけるものでしたので、
面接の重要性は大きいと思います。
1日目は失敗して落ち込んだようですが、
2日目は手応えがあったらしく、いい顔で帰って来たようです。
妻から送られてきた次女の写真は、
満足気な顔をしていました。

僕は島でせっせと仕事をして待っている立場でしたので、
どんな様子だったのかドキドキでした。
“人事を尽くして、天命を待つ”ではありませんが、
親としてできることは大してないので、最後は神頼み☆

合格発表の日、僕は午前の仕事を少し抑えて、
発表直前に月ヶ岡神社に参拝。

青空があまりに綺麗で、ふと、うまくいく気がしました。
続けて、妻のお腹に次女がいた時に無事の出産を祈って、
毎日通った御嶽神社へ向かいました。
厳かで、大丈夫、心配ない。そういわれた気がしました。

もちろん、合格発表後には次女とお礼に参りに行きました。

幾度となく小さな島をドライブし、親子で色んな話をしてきたドライブ。
不安でいっぱい、受験の重圧から解放された次女はずっとニコニコでした(#^.^#)

思えば、6年前の長女の時はカナダ留学は希望して、
オンライン面談して、手続きをしてもう決まっていたので、
特にこうした緊張はなかったですし、
1学期だけ小笠原高校に行くために受験をしましたが、
あまりこうした緊張感はありませんでした。
(都立高校は母島で受験できます)

我が家にとっても初めての娘の内地高校の受験だったのです。

過疎地域の生徒数を支える取り組みとして、
この数年、地域みらい留学が活発になり、
寮付きの公立高校が日本中に増えているのは本当に有難い流れでした。

母島の様に、中学までしかない離島の保護者にとっては、
有難い事ばかりの制度です。
6年前の長女の高校進学時はあまり聞こえてこなかった制度でした☆

今回、この制度を学んだことで、島の保護者にも説明できる事になりましたし、小笠原側の受け入れも考えていきたいと思ってます(#^.^#)


■母島の中学3年生の内地希望受験生のほとんどが1/11出港の内地行きの船に乗ったのですが、その時の見送りも感動的でした。

先生方が港に見送りに来てくれて、うちわに「がんばれ!」や、
長い横断幕を用意してくれました。
「最後の瞬間まで諦めるな!まだまだ伸びる!
 当日の朝まで学力は伸び続ける!でも睡眠は削るな!
 自信をもって!平常心!体調管理!
 病気・ケガに注意!がんばれ~~!!」
と先生方らしい愛のある言葉が並んでいました。

これまで勉強はもちろん、何度も面接練習などをしてくれていました。
みんなの想いが嬉しくて、思わず涙が溢れてきました♪
受験生たちも
「ありがとうございます!いってきま~す!!!」
と大声で応えていました。

島のみんなも応援の声でいっぱい!
母島の子供達であることがとても誇らしかったです。
このご時世ですので、内地に行ってからもオンラインで授業は受けれるし、
オンラインで面接練習もしてもらっていました。

実際の面接でも、想定の質問が出てきたと言っていました。
島を離れる前日、次女が
「はやく面接がやりたい!楽しみ過ぎるっ!」
と言っていて、本番強さも感じたし、この気持ちになれている事に凄さを感じました。

面接後の不安な様子を先生に伝えると、
「大丈夫です!いっぱい練習したし、勉強はできているので!」
とハッキリ言われて、なんだかすごく有難かったです。

そして、やはり結果はどうであれ、
何をするにせよ、
そこまでのプロセス、スタンスが結果以上にとても大事と思いました。


■合格発表があってから、島で色んな方に声をかけてもらい、
有難い気持ちでいっぱいです♪

まだ母島の受験生全員が決まったわけではないので、
他のみんなの応援も忘れずに、
残った母島の生活を楽しんで行ければと思います。

島の方からは美味しいイチゴをお祝いに頂き、
あまりイチゴが得意ではなかった次女が、
何とこの日からイチゴが大好きになりました(笑)

去年くらいから、先入観で決めたりせずに、
果敢に挑戦する様になってきた気がします。

合格おめでとう!!
そしてこれが新しいスタートライン。
今後に期待します♪

親父も今年は色々挑戦するぞ~~!!

最後に今回の高校受験で利用させてもらった、
「地域みらい留学」
これは生徒数減少を解決すべく、寮やホームステイを駆使して、
全国から生徒を募り、新しい地域とのみらいの出逢いを得る、
新しい形の進学スタイル。
そのPVはこちら↓
"やりたいこと"と"自分らしさ"が見つかる。地域みらい留学PV 2024 | 地域みらい留学【公式】

南の島のPTA活動~ホエールウォッチング!!

2025年02月02日 | ザトウクジラ
■昨日の日中は母島小中学校PTA校外部の活動である「PTAホエールウォッチング」がありました。

沖縄座間味や奄美、八丈、伊豆諸島などでもザトウクジラは見れるので、そちらもでもこんなPTA活動はしているのかな?

我が家にとっては最後のPTAになるので、最後の参加でしょう。
保護者でもある漁師さんの2隻の船に分かれて、みんなで冬の母島の海を楽しみました♪


■一番贅沢なのは次女です(#^.^#)
「もうクジラは十分見てるからいいよ~」ともう受験も終えて、自由の身になった中3だというのに、そんな贅沢な一言。

最後なんだから見に行こうよ~という、親の言葉は空しく、我が家は夫婦のみで参加しました(笑)。
一緒に乗ったもう一つの家族も、中三娘は欠席(#^.^#)
なんて贅沢な…(苦。笑)

さてさて、今回のザトやんは、まったり土日のザトやんでした♪

出発してすぐにハシナガイルカの群れにあったり、ブリーチング(ジャンプ!)は見れましたが、今回圧巻だったのは透明度の良い日だったので、漁船の横で海中でず~っと静止しているペアのザトウクジラの存在です。

■大型バス1台分の大きな存在がすぐ横にいるという、この存在感。
とても静かで、息継ぎの時に大きな「ブシュ~~~!!」という音以外は静かな状況なのですが、その急な存在に「おおお~~!!」と歓声が上がります。
やっぱり、すごい迫力です!

母島沖港を出発して2km圏内にいっぱいいる母島は、やっぱりすごいなと感じました。

いつもはサップやカヌーで出逢う事が多いので、その存在感にいつも恐怖を抱いているのですが、こちらが大きな船に乗っていると、安心感が全然違っていて、やっぱり時々畏敬の念を抱く機会というのは大事だと再確認しました。
私達はあくまで大自然にお邪魔している、そんな気持ちを忘れてはいけません。

1988年4月から日本で初めてのホエールウォッチングが母島で始まっています。
国際的な情勢で捕鯨を中止した翌年に開始している母島なのです。
今回もわずか1時間で数え切れないほどの沢山のクジラ、イルカを堪能したPTA活動でした☆

沢山の予備日を設定したり、ライフジャケットの準備、安全な乗船や下船、船酔いにも気を遣ってくれる優しい航行など、沢山の方々のお陰でホエールウォッチングを楽しむことが出来ました♪
どうも有難うございました!!