
26日㈬、自民党府議団の管外視察2日目。朝8時前にホテルを出て、高知市から1時間半ほどバスを走らせて徳島県三好市へ。
三好市は歴史的には室町時代末期に畿内にも進出して勢力を誇った三好氏の拠点があった地域で、現在の人口は2万人ちょっと。
高校野球で一時代を築いた池田高校が立地する旧池田町を中心に、平成18年(2006年)に4町2村が合併して市制施行された。四国では最も面積が広い市であり、721.42平方キロ(綾部市は347.1平方キロ)もある。
今回はその三好市の中の旧東祖谷村を訪ねた。ここには有名な「祖谷のかずら橋」があり、外国人を含む、多くの観光客が訪れていた。
観光施設である「かずら橋夢舞台」で大型バスから小型バスに乗り換えて、さらに30分ほど走り、奥の集落を目指した。
三好市と近隣の美馬市、つるぎ町、東みよし町の2市2町は徳島県では「にし阿波」地域と区分されている。
平成20年(2008年)には「にし阿波」観光圏としての認定を受け、平成30年(2018年)には「にし阿波の傾斜地農耕システム」が「世界農業遺産」に認定された。
三好市の職員の方と急傾斜農地で農業をしておられる東祖谷雑穀生産組合の組合長さんと事務局長さんが私たちを案内し、丁寧に説明して下さった。小型バスの運転手さん方も地元在住で、熱心に地元のことを説明していただいた。
平家の落人伝説も残る標高100~900mの山間地域に約200の集落が点在し、急峻な山の中腹に傾斜地そのままの農地を作り、独自の技と知恵で自然と共存して食文化、農文化、景観を400年以上守ってきておられる。
「全く利益は出ない。でも、昔から守られてきたものを私たちの世代で絶やさず、何とか続けていきたい」と組合長さんらはおっしゃっていた。
この地域で生産されている「ヤツマタ」という雑穀のお菓子も試食させていただいた。生産量は少なく、注文に応じてのみ販売されているとのこと。
説明を受けた後はさらに近くの集落に移動した。長靴に履き替えて斜度20度の農地に降り、実際の作業方法や道具の説明を聴いて作業を体験した。
一番きつい傾斜の農地は40度を超えるそうだ。
これは「綾部市の中山間地くらいで泣き言を言っている場合ではないな」と感じるほど、急峻な急傾斜地にへばりつくようにして農地が守られていた。
土が雨などで流れ落ちていくので、鍬で引っ張り上げる作業も手作業でされるそうだ。傾斜がきつくて乗用のトラクターなどは使えないそうだ。
カヤを刻んで、それを農地に撒くことによって、土を安定させると共に肥やしにしておられるとのこと。
これはジャガイモの種芋を植えるための溝を掘る道具。
貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。
この地域の方々は京丹波町の旧和知町の方々と、太鼓を通して交流しておられるとも聞かせていただいた。
昼食後、JR土讃線の大歩危駅で私は視察団から離脱し、明日の定例監査委員会議に出席するため、京都に戻ることにした。
大歩危駅は無人駅だが特急も停まる。線路は「四国三郎」と呼ばれる吉野川沿いの渓谷を走って香川県、そして瀬戸大橋を渡って岡山県に向かった。
岡山駅で新幹線に乗り換えて、京都駅、そして山陰本線の特急で17時半に綾部駅に戻ってきた。
夜は18時半から、綾部ライオンズクラブ(辻建作会長)の3月第二例会に出席した。
「ゲスト交流例会」として、7月からの新年度に綾部ライオンズがどういった活動(アクティビティ)をしていくのか?について、外部からの意見を聴きたいという趣旨で銀行の支店長や社会福祉法人理事長、新聞社の社長らと共にお招きいただいた。
次年度は原田商店の原田直紀社長が2度目の会長に就かれるそうで、ライオンズクラブが綾部市にどう貢献するか、意義ある活動に改革し、会員増強にもつなげていきたいと考えておられる。
私は綾部市のためには「教育」、特に「論理教育」や「キャリア教育」へのご支援をいただければありがたいという話をさせてもらった。
約1時間半、ゲストや会員の皆さんと意見交流を行った。