8日㈮、午前中は来客。午後は京都銀行に行った後、グンゼ集蔵での日本画「遊の会」展を訪問した。
綾部には中丹文化会館やグンゼ集蔵など、一般の文化芸術愛好者の方々が発表する場がある。それが市民の文化度を高めていると感じる。私はそういった素養が全くないが、展覧会や発表会等にお誘いがあるので、文化芸術に触れる機会に恵まれている。
会場に行ってみるとお知り合いの方がおられたり、知り合いが出品しておられるので、そういった方々のいつもとは違う側面を知ることもできる。
コロナでこういった機会も失われていたが、そろそろ始めていただければと思っている。
午前中に梅原哲史市議が来られて、議員の「ネット活動」について話をした。
先日は小源太とも、そんな話をした。今の高校生はFacebookはやらない。LINEは連絡用で、Twitterが多いようだ。
議員活動として使うにはどのツールが一番良いのだろうか?
議員になるよりずっと前、一番最初は「ホームページビルダー」というソフトで「源太郎高校(夜間部)」というホームページを初めて作り、そこに「源太郎日記」をアップし始めた。1998年頃だろうか。
2004年にはOCNの「ブログ人」というブログ(weblog)を使い始めた。メールマガジンをしばらく出した時期もあるし、ミクシィとかteacup(掲示板)も使った。
2000年頃には「ⅰネット・あやべ」というメーリングリストを運営していて、約200人の登録者があった。山崎善也市長と最初に縁ができたのは、市長がまだ東京で銀行員をしておられた時に、ここに登録していただいたからだったと思う。
自民党府連の青年局長の時、当時の学生部長から「Facebookは大学生は使いませんよ。議員さんみたいに日常生活でアップすることがありませんから。Twitterなら《お腹すいた》《あっ、救急車が通った》とか、それだけでいいんで。若者はTwitterしか見てませんよ」と教えられて、2010年5月に設定だけしてほぼ放置していたTwitterアカウントを多少は動かすようになった。
Twitterはブログの更新時に、それを飛ばしていただけだったが、コロナ禍になってから、もう少し動かそうと努力している。時折「炎上」しながらも、内容がブログと一緒では面白くないと本音を書く場として使っている。災害や選挙、スポーツの結果などの情報を取るにはTwitterが一番便利だ。
当然、ネットだけでなく、議員活動における最も重要な広報手段は、A4サイズ4頁の「げんたろう新聞」であり、これは議会ごとに発行している。
ブログは、毎日は書けないが、週に3回以上は更新するようにしている。Facebookはブログ更新を飛ばす程度。Twitterはブログ更新の他にも気が向いたら、様々なことをつぶやいている。Instagramはあまり手が回っておらず、「きれいな写真が撮れたな」という時に、時々アップするくらい。
ブログの前の「ホームページビルダー」時代の日記はさすがに消えてしまっているが、ブログのデータは残っている。
2004年5月7日の深夜2時13分10秒、下記のように、最初の投稿をしている。
「あやこ」というのは「綾部コミュニティ」というグループで、綾部市全域に光ファイバー網を導入するための方策について、話し合いをしていたような気がする。アナログの記憶は時と共に消えるが、デジタルの記録は明確に残る。
タイトル「ブログ人に…」 05/07/2004 02:13:10 AM
今日は、夜に「あやこ」の例会があった。
長岡さんに「ブログ人」になるよう勧められた。ホームページを始めたときは、輝くんに勧められて始め、メーリングリストは小谷寛さんに作ってもらった。今回はブログだが、ちょっといじってみて、これは「最高の武器だ!」と感じ、少し興奮している。自分の日記が世界とつながったような…そんな気もする。これからは、ブログで日記を書いていきたい。
午前中は、あちこちに連絡を入れた後、哲史さんも来られた。
12時半に星原の星の宮神社で、尼崎から来られたソラの方に会い、少し話をした後、志賀郷の藤波神社、大江町の才の神にお送りした。その帰りに、物部の諏訪神社と奈須波伎部神社と私市円山古墳に立ち寄った。
やはり、綾部は重要な土地なんだなあと思っていた。その方は、昨年の夏に初めて綾部に来られて以来、今日で4回目らしい。綾部に住みたいとおっしゃっていた。