朝の街頭演説5日目。まだまだ先は長い。
夜には、後援会役員をお願いに行き、その町内に“げんたろう新聞”を全戸配布していただくことをお引き受けいただいた。
『国家の品格』を書かれた数学者の藤原正彦教授が、週刊新潮に書かれたコラム『管見妄語』のコピーを送っていただいた。
“円高”をテーマに書いておられる。
円高で日本は大騒ぎだが、私はなぜ騒ぐのか分からない。円高による長期不況を経験したことがないが、円高下の好況なら覚えている。
1973年のオイルショックから立ち直った日本経済は、77年から3年間で1ドル250円から190円への円高になったが、その間、平均約5%の成長をした。
1985年のプラザ合意の後、1ドル250円から120円へと円高が進む中、87年から90年にかけて、平均約6%の成長を遂げている。
円高はわが国製造業にとって、結果的には神風であったとさえ言える。
急激な円高は輸出産業にしばらくの間、一定の打撃を与えるが、日本は高くても買わざるを得ない優れた商品を生み出すことで危機を乗り越えてきた。
優秀な商品を作れば、円高により原料を安く輸入できるのだから、儲けはかつてより大きくなる。
なのに、輸出型大企業は下請けにしわ寄せするための地ならしなのか、法人税減税を狙ってのことか円高のたびに「危機」と騒ぐから、株が一斉に下がってしまう。これが一番の被害だ。
しかし、これも円高下の株安なので、日本円で株安でも、国際的にはドル換算で日本株はさほど下がっていない。自国通貨が下がり、株安にも見舞われている諸外国とは全く違う。
彼らは国富を急激に失っている。
世界のどの国も、自国の富を増やすことに命をかけている。
円高になるということは、「日本の財政は破綻寸前」という外国発のフレーズが日本政府による強力な財政出動を牽制するための情報操作にすぎないという証拠。
破綻寸前であるならば、その国の通貨を金に命をかけている連中が買うはずない。
ゆるやかな円高はわが国にとって理想的。
原料や資源がないという最大の弱点をカバーしてくれる。
技術開発への強い動機をもたらしてくれる。
輸出だけに頼らなくてもよいよう内需型産業を育成するチャンスを与えてくれる。
海外の高技術企業や資源企業の買収を容易にしてくれる。
輸入品や海外旅行を手軽に楽しませてくれる。
そして、それは十年以上もの間、超低金利により預金を目減りさせてきた庶民へのささやかな償いでもある。
政府は、円高に狼狽するより、十年来の不況克服のため、都市の電線、ガス、上下水道を共同埋設したり、地方の老朽化した学校や病院を建て直すなど、波及効果の高い事業への大々的な財政出動に乗り出すべきなのだ。