数日前に発覚した3歳と1歳の子ども二人が、置き去りにされて亡くなった事件のことを考えるたびに、やりきれない思いになる。
うちの涼子と温二郎と同じ年頃の姉弟だったので、その状況を想像するのが恐ろしい。
涼子は温二郎の世話を焼き、可愛がっているので、きっと亡くなった子ども達もそうだったのだろう。
なんで、日本人はこんなにも人の死に無関心になってしまったのだろう。戦争をしていないことを誇っても、こんなことで命を落とさなければならない幼子がいるのなら、日本は全く平和ではない。
公務員が立ち入り調査を臆するのなら、NPOに委託してもらえばいい。僕らがドアを壊して飛び込んで行きたい。ドアは弁償できるが、命は取り返しがつかない。
今日の市民新聞に、昨日の平和塔での合唱イベントに小源太と涼子が参加していたと記事掲載していただいていた。
綾部から世界に訴えるのは、子どもが子どもでいられること。それが“平和”ではないかと思う。