ジェンダーからみるカンボジア

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1949年「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」

2012年08月19日 | 女性の自立

 

 

まだまだ続いてる、国連女性差別撤廃条約(CEDAW)の教科書作り。

CEDAWの6条は、人身取引についての規定。この条文は、超シンプル。

「締約国は、あらゆる形態の女子の売買及び女子の売春からの搾取を禁止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとる。」

教科書を作成するにあたって、この条文の策定背景を勉強していると、1949年の「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」の流れとその発展を踏まえた条文であることがわかって、今更ながら資料を読みつつ、人身取引、とくに買春問題について検討することに。超政治的な話題なので、表現の仕方ひとつをとっても、十分な配慮が必要ないのだ。

↓日本の夏、花火を楽しむ子ども

1949年条約の限界点としては、売春をひとくくりにして、売春は悪い、売春は被害者(女性)を生み出す社会悪だ、と断定しているところ。「売春は、人としての尊厳や価値に反するものであり、個人・家族および社会の福祉をそこなう」と前文でうたっているのだけれど、そういった偏見こそが女性に対する差別を生み出すのではないかと思うのだ。

なぜ問題かというと、そもそも「なぜ売春があるのか?」という点についての考察が抜け落ちているところ。買う側に着目しないで売る側だけを処罰・厚生の対象とするのは、どう考えても不公平な論点だろう。

CEDAWの偉いところは、こういった問題意識を十分に審議して、関係国の妥協点を見出して、超シンプルな条文に落とし込んだ点(CEDAWで女性に対する暴力に直接触れているのはこの6条のみ)。さらには、買春が女性に対する差別であると、国際法上では初めて差別の概念を持ち込んだこと。

↓線香花火、子どもにとっては珍しいらしい

カンボジアのセックスワーカーたちとの対話を通じてわたしが実感として感じるのは、彼女たちはもちろん社会の被害者であるのだけれど、アクセスできる女性の多くは家族を支えてるとか使命感を持って仕事に励んでいるところ。やる気もなくだらだら講義に来てる学生たちなんかよりも、よほど立派な精神と使命感をもった女性たちなのである。彼女たちを被害者としてひとまとめにはできないし、厚生の対象として収容とか研修を受講してもらうなんて、そもそも無理なのだ。暴力や差別を内包する社会構造そのものを改革していく方策を見出さないと、その中ではもちろん男性に対する多少はラディカルな対処も含みつつ、買春問題に取り組む素地ができたとは言えないのではないかと感じるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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