玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アルフレート・クビーン『裏面』(10)

2022年03月16日 | 読書ノート

「第4章 幻影――パテラの死」は、この小説の大きな山場となっていて、おそらくE・T・A・ホフマン以外の作家には到底書けないような幻想場面のオンパレードとなっている。ペルレの町の破壊の後に残された「私」は、なぜか不思議な爽快感に浸っている。この章は次のように始まる。

「かつて感じたことのない軽やかな気持が私の身内にやどっており、甘味のある淡い香りが私の内側からこみあげてきた。私の感情は根底から変化をとげていたし、私の生命は目覚めた小さな?以外のなにものでもなかった。」

 この破壊の後の生命の高揚感はいったいどこから来るのであろうか。また何を意味しているのだろうか。すべてが無へと潰え去った後の爽快感は、破滅を前にした一種の開放感に似ているのかも知れない。あるいは、これから展開されていくパテラの断末魔の闘いに備えて、清澄な意識を用意しようとしているのかも知れない。
 この直後にパテラの最後の大変身が始まるのであり、そしてその変身は前に取り上げた相貌の変化に留まることなく、最大限の巨大化と、最大限の凶暴化を伴う。恐るべきメタモルフォーゼがこれから繰り広げられていくのだ。

「――巨大な足でもって彼は街路をおし分けると、停車場のうえに屈みこんで、一台の機関車を手に?んだ。彼はそれを、まるでハーモニヵを吹くような具合に吹いたのだが、彼の姿は見る見る四方八方へ向けてどんどん大きくなっていったので、彼にはじきに、この玩具が小さすぎるようになってしまった。そこで彼は例の大きな塔をへし折って、それを喇叭のように口にあてると、ものすごい音を響かせて、大空へ向けて吹き鳴らした。体をはだけた彼の姿は見るも恐ろしい光景だった。今度は果てしなく伸びあがっていって、火山を一つ掘じくりだしたが、その火山の尻には、花崗岩が蝸牛のように巻きついた大地の腸がぶらさがっていた。この巨大な楽器を彼は唇にあてた??宇宙もふるえるかと思われる音が鳴りとどろいた。

 引用が長くなることを許してほしい。この場面は『裏面』という作品の幻想的場面の白眉ともいうべき部分であり、私が真に驚いたのはこの場面だったからである。クビーンの恐るべき想像力の破天荒を理解してもらうには、どうしても長い引用が必要になる。
 ここにはホフマンでさえ及びもつかないほどのスケールの拡大がある。その想像力の拡張はたぶん、空間認識の拡大によっている。それは近代物理学の空間認識が、宇宙の大きさにまで拡がっていったことに対応しているだろう。だから、クビーンの描く幻想場面は、ほとんどSF的なスケールにまで達していく。

「パテラとアメリカ人は一つの不格好な塊となって互につかみ合っており、アメリカ人はパテラの体のなかへめりこんだようになっていた。無様でなんとも見極めのつかない一つの物体が四方八方に転げまわっているのだった。形体を失ったこの存在はプロテゥスの天性をそなえていて、小さな変化する何百万もの顔がその表面に形づくられ、それが互に入り乱れて喋ったり歌ったり叫んだりしては、またどこかへ引きあげていった。しかし突然、この怪物に休息がおとずれて来たと見る間に、それは廻転しながら巨大な球体となり、パテラの頭蓋になった。地球の大陸ほどの大きさをした眼は、千里眼をそなえた鷲のような目付きをしていた。やがて、それは運命の女神の顔つきになり、私の眼の前で数百万年も年とっていった。にわかに、その頭が飛散したかとおもうと、私はぎらぎらした不確かな無のなかを凝視していた……」

 私が引用した二つの場面には、ある種の滑稽さが伴っていることを再び付け加えておかなければならない。パテラが巨大化していって機関車を鷲づかみにするところや、巨大化したパテラが同じように巨大化したアメリカ人ハーキュリーズ・ベルと闘う場面などは、まるで怪獣映画のようではないか。この恐怖の中のユーモアは、ホフマンの幻想小説以外ではめったに見ることのできないものである。

 



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