玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アルフレート・クビーン『裏面』(9)

2022年03月13日 | 読書ノート

 つまりエピソードは、不整合が表面化しないうちに、あるいは整合性が問われる前に、重ね書きされていくのだと言ってもよい。『百年の孤独』におけるエピソードの連続は重ね書きされたエピソードの波状攻撃のようなものであり、それによって不整合との批判を逃れていく。
『百年の孤独』に一体いくつのエピソードが書かれているのか数えたことはないが、そこでは波状的な重ね書きが必要とされ、その結果として膨大な量のエピソードが続いていくのである。『裏面』の場合、異変のエピソードは小説の最初から出てくるわけではないから、それほど多くのエピソードが書かれてはいない。しかし、「第3章 地獄」で最も重要なのは、『百年の孤独』の場合と同じように、エピソードの重ね書きであり、波状的生起なのである。
 ここでもう一度思い出してほしいのは、異変のエピソードが多くの幻想物語の場合のように、個人的な幻想体験に留まるのではなくて、共同体全体の集団的幻想体験であるということである。『裏面』と『百年の孤独』の最も重要な共通性はそこにある。
 だから二つの小説に共通するものとして、エピソードの連続だけを指摘して済ますことはできない。まず『裏面』の場合、夢の国パルレはパテラによって人工的に創建された閉鎖空間としての町であり、『百年の孤独』のマコンドも、マルケスが生まれたコロンビアの小村アラカタカをモデルにしている。その村は19世紀末に建設され、バナナブームで一時的に栄えたが、時代の流れの中で衰退していった村なのである。
 二つの町が人工的に建設された閉鎖的な場所であるところも共通している。パルレは西ヨーロッパの建造物を運んできて、中央アジアのあるところに建設された町であり、周囲からは隔絶した地として閉鎖的である。マコンドもまた周囲から疎外された町であり、外からの情報は時たま町を訪れる旅人によってもたらされるだけである。クビーンもマルケスも、そうした閉鎖空間に物語の場を設定し、一つの共同体の発生から滅亡までの年代記を書こうとしたのである。
 それが年代記であるということは、二つの小説とも時間が過去から現在、現在から未来へとリニアーに流れるという結果を生む。ある共同体の盛衰を書こうとしたら、時間が前後したり、輻輳したりすることは避けなければならないことになるからである。だから二つの小説は奇怪なエピソードの波状的生起はあっても、説話の時間的構造は至ってシンプルになるという共通性も持っているのである。
 さて、先回掲載したクビーン自身の挿絵を見ても分かることだが、ペルレの崩壊と没落は完全に戦争のイメージとして描かれている。大寺院の湖への沈降、教会での略奪と修道女の虐殺、アルヒーフの爆破と消滅、市街地での暴動と殺戮、住民たちの集団自殺……といったように血なまぐさい場面が続いていく。
 ここまで読んで私は、これはヨーロッパ崩壊のイメージそのものだということに気付くのである。単にユートピアの変質と没落というのではない。この小説が書かれたのが1909年であり、第一次世界大戦の勃発が1914年である。まさにクビーンはオーストリアにあって、不穏な歴史の動きの中に、世界大戦によるヨーロッパの崩壊を予見したのである。
 なぜ夢の国ペルレの町が、ヨーロッパの建造物を移築し、ヨーロッパからの移民たちを集めて創建されなければならなかったのかが、そこに示されている。夢の国はヨーロッパのイメージを強固に持つことによって、現実のヨーロッパの写し絵となっているのである。


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