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アルフレート・クビーン『裏面』(11)

2022年03月22日 | 読書ノート

アルフレート・クビーン『裏面』(11)

 一方、巨大化したアメリカ人ハーキュリーズ・ベルの変身の方は、グロテスクの極致ともいうべき相貌を見せていく。以下のような幻想場面を生理的な嫌悪感なしに読むことは難しい。

「今度は私は、遙か向こうの方に、いまやパテラの恐ろしい大きさを自分のものにしたアメリカ人の姿をみとめた。ローマ皇帝を思わせるその頭は、ダィヤモンドの閃光をはなつ両眼を見ひらいていたが、彼は悪鬼につかれたような痙攣を起こしながら、自分自身と闘っており、途方もなく彎曲しふくれあがった血管が、首筋のあたりでうねうねと青味をおびた網目をえがきだしていた。彼はわれとわが首を絞めようとしていたのだ、――だが無駄だった! あらんかぎりの力で、彼は自分の胸を打ちたたいた。まるで鋼鉄のシンバルのような音響がして、その轟音は私の耳を聾するばかりだった。やがて、この怪物は急速に溶けてなくなっていったが、そのセックスだけは一向に小さくなろうとせず、結局は彼の方がみすぼらしい寄生動物よろしく、この途轍もなく大きな男根にへばりついているような形になった。――それから、この寄生動物が干からびた乳首のように離れ落ちると、恐るべき男根はまるで大蛇のように地面を這っていき、毛虫かなにかのようにまるまったと見る間に、だんだん小さくなって、夢の国の地下の通路の一つに消えうせてしまった。」

 この後もまだまだグロテスクな場面が続くのだが、あまりに引用が長くなりそうなので、この辺で切り上げておく。グロテスクな幻想描写もホフマンが得意としたものであったが、ここまでおぞましい描写はさすがのホフマンにもない。こうしてクビーンの幻想描写はその現前性を最大限に増大させていくのである。
 しかし、このような描写の中に物語の意味を読み取ろうとすると、私の思考回路はすっかり錯綜してしまって、解読への道を閉ざされてしまう。なぜアメリカ人はパテラと同じように巨大化するのか? なぜ巨大化したアメリカ人は我とわが身を罰しようとするのだろうか? なぜアメリカ人の体は男根の付属物のようになって溶けていくのか? なぜ小さくなった男根は地下に潜むのだろうか?
 先の引用に続く部分で、それが地下に入って浸透し、触手を伸ばして街の至るところの住居に忍び込んでいくことから、最後の疑問に対してなら答えることができるかも知れない。それは戦争に対する不安の蔓延のようなものを、隠喩として指し示していると言うことができるだろう。他の疑問に対しては簡単には答えを導き出せそうにもない。
『裏面』という小説全体を壮大な寓話として読むこともできないことではない。ならば、パテラとアメリカ人が巨大化して戦う、その戦いも当時のヨーロッパにおける二つの勢力の衝突を寓意しているのだろうか。アメリカ人とはアメリカ合衆国そのものを寓意しているのだろうか。
 そうであれば、パテラは古き良きヨーロッパを寓意していることになるが、そう考えるべき根拠がないわけではない。最終的にアメリカ人は生き残るのに、パテラは死んでしまうのだからである。『裏面』が寓意によって成り立っている小説であると見なすならば、そういうことになるが、事はそんなに単純ではない。
 巨大化したアメリカ人が溶けていき、実体がなくなっていく時に、その巨大な男根だけは残るということは、アメリカ的なものの男性的欲望を寓意していることになる。それに対して死んでいくパテラは、ひたすら美化されて提示されていることに気づくのは、以下の描写を読めばたやすいことである。

「――この大きな両眼は今はうるんだ濃い青色 の光をはなち――われわれすべてを底しれぬ善意の眼差で包みこんだ。それから私はもう一度、考えうる最も美しい清純さをたたえた横顔が、光輝を発しながら背景から明るく浮きだしているのを見た。」

 さらに次のような一節もある。

「その体はある名状しがたい美しさをただよわせていた。私は形体の優美さと清純さにじっと見いっていたが、どうしてこのようなものがわれわれの地上へ現われて来ることが出来たのか、私には理解できなかった。」

 パテラの死体はこのように女性的とも言えるような美しさを纏っているのであり、ヨーロッパの女性的なイメージを示しているように見えるのである。
 この小説の最後の最後に記された「造物主は半陰陽(Zwitter)なのである」という言葉はしかし、別の見方を要求しているように思われる。アメリカ人とパテラは、衝突する二つの勢力というのではなく、神の二つの側面を代表しているのではないか。

 



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