トラッシュボックス

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左翼批判者の左翼知らず

2010-11-09 10:58:10 | 「保守」系言説への疑問
 古雑誌を整理していて出てきた『週刊新潮』8月12・19日号に、「「菅総理」と「仙谷官房長官」の赤い系譜」という無署名記事が載っていた。
 この号は、以前新聞広告を見て、この記事目当てで購入したのだが、率直に言ってそれほど興味をそそられる内容ではなかった。この記事の言う「赤い」とは、菅と仙谷が松下圭一の思想的影響下にあるとか、仙谷が「戦後謝罪マニア」であるといったことで、それらは私が「赤い」と考えることと異なるからだ。読後、羊頭狗肉という言葉が頭をよぎった。
 ところで、その記事中に、次のような文章がある。

 そもそも、東工大で学生運動を展開していた菅氏は、社会党分派の社会民主連合から国会議員としての歩みを始め、一方の仙谷氏もやはり東大で学生運動をやっていて、元は社会党の代議士。後に両氏は92年に政治グループ「シリウス」を結成し、同輩となったわけだが、このシリウスの中心メンバーの1人が、前参院議長の江田五月氏だった。
 そのシリウスには五月氏の父で、社会党左派の大立者だった江田三郎氏(故人)の「遺志」が色濃く受け継がれていた。そして、三郎氏のブレーンだった人物が、菅、仙谷氏の思想の源流なのである。


 社会民主連合を社会党の分派だとしている。

 分派とは、正統派(と一般に見られている勢力)から何らかの理由で離脱して一派を成したものを指す。そしてそれは、往々にして、一般に言う正統派ではなく自らが真の正統派であると主張するものである。
 単に見解の相違を理由に分かれた勢力を指す言葉ではない。

 例えば、日本共産党には、親ソ派の志賀義雄らによる「日本共産党(日本のこえ)」など、様々な分派が存在した。

 社会民主連合の前身である社会市民連合は、社会党の元書記長である江田三郎が離党して結成した。
 しかし、社会党本体ではなく自らが真の社会党である、あるいは自らが真のわが国における社会主義勢力であるといった主張を展開していたわけではない。
 社会民主連合を「社会党分派」と表現することに私は強い違和感をもつ。
 それは、新自由クラブや新党さきがけ、新生党、国民新党などを「自民党の分派」などと呼ぶ者がいないのと同じことである。
 仮にそのような表現を用いる者がいるとしたら、その者は、「分派」という用語がわが国においてどのように用いられてきたかを理解していないのだと思う。


「五月氏の父で、社会党左派の大立者だった江田三郎氏(故人)」

 江田三郎が社会党左派だって?
 江田三郎は社会党右派である。
 右派であるが故に、左派主導の70年代の社会党において居場所を失い、ついには離党するに至ったのである。
 そんなことも知らずに、菅や仙谷の「赤い系譜」を説くこの記事の筆者、そしてそれを通す編集部の見識を疑う。

 この記事で、
「仙谷さんは、本当は真っ赤っかであるのに、ヴェールを被ってピンクに見せている。一方の菅さんは、仙谷さんほどには赤くなく、いわばショッキングピンクで、便宜主義的に政治を弄ぶのが趣味の左の政治オタクといったところ。」
と発言している遠藤浩一・拓殖大学大学院教授は、『文藝春秋』2009年9月号の「右から左まで「民主党の人々」」という記事で、菅直人の経歴について、

市民運動や、すでに引退していた市川房枝の擁立運動にも関わり、八〇年に革新政党の社民連から国会議員となった。


と書いている。
 しかし、社民連は、「革新政党」だろうか?
 社会民主主義を明言していたのであって、当時の分類で言うなら、中道政党ではないだろうか。

 西尾幹二が江田三郎の「江田ビジョン」について、社会党が「極端に観念的なことを言い続け、永遠に政治の世界のアマチュアであることを楽し」んだ、「誠に滑稽」な実例と不当な評価を下していることについては以前述べたことがある

 私は反共主義者である。
 左翼批判、大いに結構と思っている。

 しかし、誤った、あるいはうろ覚えの知識に基づく批判がまかりとおるのはいかがなものかと思う。
 ソ連崩壊から20年近く経ち、左翼の何たるかをろくに知らないまま左翼批判を展開する者が増えたということなのだろうか。


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