高校の日本史教科書の検定で、沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が削除されたことに対し、検定意見の撤回を求める県民大会が開かれ、主催者発表で11万人が参加したという。9月30日付『朝日新聞』は1面トップにこの記事(ウェブ魚拓)を掲載した。
2面に掲載された「沖縄県民大会決議(要旨)」には、こうある。
《沖縄戦における「集団自決」が、日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、今回の(日本軍による命令・強制・誘導などの表現の)削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである。
文部科学省は〔中略〕検定意見の撤回と「集団自決」に関する記述の回復を拒否し続けている。
〔中略〕
沖縄県民は、県民の総意として国に対し今回の教科書検定意見が撤回され、「集団自決」記述の回復が直ちに行われるよう決議する。》
あれ?
「関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」って、何?
「強制なしに」じゃないの?
そういえば従軍慰安婦の報道でも、軍の「関与」の証拠があったとしきりに言われていたなあ。
そりゃあ関与はあるだろう。軍のための慰安所なんだから。「民間業者が勝手に連れ歩いていただけ」などという言い訳は通用しない。しかし、軍の関与があったことと、軍が人さらい同然に朝鮮半島で若い女性を狩り集めて慰安婦に仕立てたということとは違う。
自決用に手榴弾が配られたのなら、手榴弾の出所は軍だろうから、そりゃあ関与があったとは言えるだろう。
関与があったことと、強制されたこととは違う。
同じ2面の記事によると、
《自民党幹事長になった伊吹文明・前文科相は8月の会見で、検定に介入できないとする一方、沖縄県議会が、意見書で「軍命」という言葉を避け「軍の関与」でまとめたことに触れ、沖縄の国会議員らに「さすがに一つの政治の知恵だ」と述べたことを明らかにし、〔深沢注・訂正への〕含みを残した。》
という。
そんな、慰安婦問題の解決みたいなことはやめてくれ。
私はこの集団自決の問題についてほとんど何も知らない。
しかし、この大会決議が「強制」でなく「関与」という語句を用いていることに、強い不信感を覚える。
同日の朝日社説「集団自決 検定意見の撤回を急げ」(ウェブ魚拓)は言う。
《集団自決が日本軍に強制されたことは、沖縄では常識だった。「沖縄県史」や市町村史には、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の証言が紹介されている。
その事実を文科省が否定するのなら、改めて証言を集めよう。そうした動きが沖縄で起きている。
そのひとつが、県議会による聞き取り調査だ。意見書の再可決に先立ち、住民の集団自決が起きた慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島で新たな証言を得た。
ことし80歳の宮平春子さんは45年3月25日夜、当時の村助役だった兄が父に「(敵の)上陸は間違いないから軍から玉砕しなさいと命令が下りた。潔く玉砕します。死にましょう」と伝えるのを聞いた。軍隊用語の「玉砕」が使われていること自体が軍のかかわりを物語る。
84歳の上洲幸子さんの証言は「もしアメリカ軍に見つかったら、舌をかみ切ってでも死になさい」と日本軍の隊長から言われた、というものだ。
こうした生々しい体験を文科省はどう否定できるというのか。》
これも、何だかおかしくないか。
「自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の証言が紹介されている。」
「強いられたとしか読めない」ということは、「自決せよ」と口頭や文書ではっきりと命じられた証言がないということではないか。明確に命じられてはいないが、手投げ弾を渡すといった行為をもって、強制されたと読み取れるということではないか。
「軍隊用語の「玉砕」が使われていること自体が軍のかかわりを物語る。」
こんなことよく言うなあ。
戦時中の朝日の紙面にも「玉砕」の文字が踊っていたではないか。
「舌をかみ切ってでも死になさい」
これは命令なのか。強制なのか。従わなかったらどうなったのか。
本土でも戦争末期には、そのようなことが広く言われていたのではないか。
《そもそも、教科書の執筆者らは「集団自決はすべて日本軍に強いられた」と言っているのではない。そうした事例もある、と書いたにすぎない。それなのに、日本軍のかかわりをすべて消してしまうのは、あまりに乱暴というほかない。》
これは違う。前にも書いたが、朝日の以前の報道を読む限り、「そうした事例もある、と書いた」ようには見えない。
「軍に集団自決を強いられた」と書き、「軍に強いられない集団自決もあった」とは書かないのなら、読者は「集団自決はすべて日本軍に強いられた」と当然受け取るではないか。詭弁もいいところだ。
《沖縄戦をめぐっては検定が変わったことがある。82年の検定で、日本軍による「住民殺害」の記述が削られたが、当時の文相が「県民の心の痛手に対し、十分な配慮がなされなければならない」と答弁し、記述は復活した。
問題の教科書は来年度から使用される。ことは急を要する。渡海文科相はただちに検定意見を撤回すべきだ。》
自決の強制はあったのか、なかったのか。あったとすればその実相はどうだったのか。そしてそれは教科書に載せるべきものなのか。
これは、そうした観点から検討すべきことであって、県民が反発しているからと、安易に「軍の強制」を復活させるべきではない。
2面に掲載された「沖縄県民大会決議(要旨)」には、こうある。
《沖縄戦における「集団自決」が、日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、今回の(日本軍による命令・強制・誘導などの表現の)削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである。
文部科学省は〔中略〕検定意見の撤回と「集団自決」に関する記述の回復を拒否し続けている。
〔中略〕
沖縄県民は、県民の総意として国に対し今回の教科書検定意見が撤回され、「集団自決」記述の回復が直ちに行われるよう決議する。》
あれ?
「関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」って、何?
「強制なしに」じゃないの?
そういえば従軍慰安婦の報道でも、軍の「関与」の証拠があったとしきりに言われていたなあ。
そりゃあ関与はあるだろう。軍のための慰安所なんだから。「民間業者が勝手に連れ歩いていただけ」などという言い訳は通用しない。しかし、軍の関与があったことと、軍が人さらい同然に朝鮮半島で若い女性を狩り集めて慰安婦に仕立てたということとは違う。
自決用に手榴弾が配られたのなら、手榴弾の出所は軍だろうから、そりゃあ関与があったとは言えるだろう。
関与があったことと、強制されたこととは違う。
同じ2面の記事によると、
《自民党幹事長になった伊吹文明・前文科相は8月の会見で、検定に介入できないとする一方、沖縄県議会が、意見書で「軍命」という言葉を避け「軍の関与」でまとめたことに触れ、沖縄の国会議員らに「さすがに一つの政治の知恵だ」と述べたことを明らかにし、〔深沢注・訂正への〕含みを残した。》
という。
そんな、慰安婦問題の解決みたいなことはやめてくれ。
私はこの集団自決の問題についてほとんど何も知らない。
しかし、この大会決議が「強制」でなく「関与」という語句を用いていることに、強い不信感を覚える。
同日の朝日社説「集団自決 検定意見の撤回を急げ」(ウェブ魚拓)は言う。
《集団自決が日本軍に強制されたことは、沖縄では常識だった。「沖縄県史」や市町村史には、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の証言が紹介されている。
その事実を文科省が否定するのなら、改めて証言を集めよう。そうした動きが沖縄で起きている。
そのひとつが、県議会による聞き取り調査だ。意見書の再可決に先立ち、住民の集団自決が起きた慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島で新たな証言を得た。
ことし80歳の宮平春子さんは45年3月25日夜、当時の村助役だった兄が父に「(敵の)上陸は間違いないから軍から玉砕しなさいと命令が下りた。潔く玉砕します。死にましょう」と伝えるのを聞いた。軍隊用語の「玉砕」が使われていること自体が軍のかかわりを物語る。
84歳の上洲幸子さんの証言は「もしアメリカ軍に見つかったら、舌をかみ切ってでも死になさい」と日本軍の隊長から言われた、というものだ。
こうした生々しい体験を文科省はどう否定できるというのか。》
これも、何だかおかしくないか。
「自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の証言が紹介されている。」
「強いられたとしか読めない」ということは、「自決せよ」と口頭や文書ではっきりと命じられた証言がないということではないか。明確に命じられてはいないが、手投げ弾を渡すといった行為をもって、強制されたと読み取れるということではないか。
「軍隊用語の「玉砕」が使われていること自体が軍のかかわりを物語る。」
こんなことよく言うなあ。
戦時中の朝日の紙面にも「玉砕」の文字が踊っていたではないか。
「舌をかみ切ってでも死になさい」
これは命令なのか。強制なのか。従わなかったらどうなったのか。
本土でも戦争末期には、そのようなことが広く言われていたのではないか。
《そもそも、教科書の執筆者らは「集団自決はすべて日本軍に強いられた」と言っているのではない。そうした事例もある、と書いたにすぎない。それなのに、日本軍のかかわりをすべて消してしまうのは、あまりに乱暴というほかない。》
これは違う。前にも書いたが、朝日の以前の報道を読む限り、「そうした事例もある、と書いた」ようには見えない。
「軍に集団自決を強いられた」と書き、「軍に強いられない集団自決もあった」とは書かないのなら、読者は「集団自決はすべて日本軍に強いられた」と当然受け取るではないか。詭弁もいいところだ。
《沖縄戦をめぐっては検定が変わったことがある。82年の検定で、日本軍による「住民殺害」の記述が削られたが、当時の文相が「県民の心の痛手に対し、十分な配慮がなされなければならない」と答弁し、記述は復活した。
問題の教科書は来年度から使用される。ことは急を要する。渡海文科相はただちに検定意見を撤回すべきだ。》
自決の強制はあったのか、なかったのか。あったとすればその実相はどうだったのか。そしてそれは教科書に載せるべきものなのか。
これは、そうした観点から検討すべきことであって、県民が反発しているからと、安易に「軍の強制」を復活させるべきではない。