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「禅譲」とは単に譲ることではない

2007-01-26 00:12:20 | マスコミ
08年非常任理事選、日本出馬の意向 モンゴル「譲る」(朝日新聞) - goo ニュース

 今日の『朝日新聞』朝刊紙面上では、上記の記事の見出しが、

《「非常任理事国 日本に」 モンゴルが〝禅譲〟》

というもの。
 現在モンゴルが非常任理事国で、それを日本に譲るというのかと思いきや、

《大統領は、08年秋の国連安全保障理事会の非常任理事国選挙への立候補を辞退する考えを伝え、日本に出馬を要請。》

《非常任理事国の任期は2年間で、毎年半数が改選される仕組みだが、2期連続しては選出されない。》

単に立候補をとりやめて、日本の立候補を支持したということだそうだ。
 ならば、「禅譲」ではないだろう。
 記事中には「禅譲」の文字はないので、見出し付け係の人(何て言うのかな)が思いこみで間違えたのかな。しかし誰もチェックしないのか。

 ウィキペディアによると、禅譲とは、

《一般的には、天子(ほとんどの場合、皇帝)が、その地位を血縁の者でない徳のある人物に譲ることである。しかしながら、歴史上「禅譲」と称されても、譲られる側が強制して行われることが多い。このような場合を簒奪(さんだつ)という。また、天子に限らず、比喩的に地位を平和裏に譲ることを禅譲、無理やり地位を奪うことを簒奪ということがある。言い換えれば、中国の歴史で「禅譲」が行われてきたことを踏まえ「首相や大統領、社長などの地位を他の有力な人物に譲ること」を指す。》

とある。
 日本の政治では、中曽根が後任に竹下を指名したケースなどが禅譲と呼ばれている。

 立候補すること自体は「地位」ではなく、どの国でもできることだから、「禅譲」はふさわしくないだろう。
 単に「譲渡」、あるいは「モンゴルが辞退」とでもすればよいのだから、敢えて高級な表現を試みようとしなくてもよいものを。

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