今年6月20日の朝日新聞社会面に「いま聞く A級戦犯の声 58年前のラジオ番組 DVDに」との見出しの記事が載っていた。
1956年に文化放送が流したラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」を録音したDVDを、大阪市のミニコミ紙「新聞うずみ火」が1枚1000円で頒布しているのだという。
そのA級戦犯とは橋本欣五郎、賀屋興宣、鈴木貞一、荒木貞夫の4名で、彼らは東京裁判で終身刑となり、独立後に釈放された。
記事はその発言を詳しく紹介し、彼らに聞き取りをした当時の文化放送のプロデューサー、水野肇(93)のインタビューも掲載している。
橋本欣五郎の
という発言、荒木貞夫の
という発言などは、昨今のわが国でもしばしば同様のものを目にするが、この頃からこの種の人々によってこうしたことが語られてきたのだろう。
また、橋本の
という発言は、ルーズベルト陰謀論を唱える荒木と相反しており興味深い。
中見出しに
「敗戦は我々の責任じゃない」転嫁する政治家ら
とある。
これは、賀屋や鈴木の次のような発言を受けてのものだ。
しかし、これは責任転嫁なのだろうか。
国民が欲しなければ戦争にならなかったというのは事実ではないのだろうか。
朝日新聞も、敗戦の年の9月6日付「天声人語」では、
と述べていたというではないか(江藤淳『忘れたことと忘れさせられたこと』文春文庫、1996、p.50-51、太字は引用者による)。
それに、賀屋が「我々の責任じゃない」と言った「我々」とは、記事ではA級戦犯あるいは政治家を指しているかのように扱っているが、果たしてそうなのだろうか。賀屋は大蔵官僚出身で次官まで上り詰め、大蔵大臣や貴族院議員を務めるに至った人物だ。また、そのあとで軍閥の責任が主だと述べている。「我々」とは賀屋が「力が薄い」と言う「財閥や官僚」のことではないのだろうか。
賀屋は東條内閣で大蔵大臣を務めたが、対米英蘭戦開戦前の大本営・政府連絡会議では、東郷茂徳外相と共にかなりぎりぎりの段階まで開戦に反対していたことをこの記事を書いた記者は知っているのだろうか。
また、橋本は、上で引用したように、「負けたということは、誠に僕は国民に相すまんと思っている」と発言しているのだが、こうした箇所に記事が着目しないのはアンフェアではないか。
ちなみに賀屋は、その後1958年から衆議院議員を5期、池田内閣で法相を務めたが、1975年に朝日カルチャーセンターで戦時財政についての講座を担当したときには、
と述べている(『語りつぐ昭和史 2』(朝日文庫、1990、p.121)。
そもそも、東條内閣で閣僚を務めた賀屋と鈴木はともかく、クーデター未遂事件を起こした後大佐で退役した橋本や、皇道派に担がれたが二・二六事件で予備役入りし第1次近衛内閣の文相を最後に表舞台から去っていた荒木は、果たしてA級戦犯すなわち「平和に対する罪」を問われるにふさわしい人物だったと言えるのだろうか。
彼らの発言をいっしょくたにして「A級戦犯の声」として評することに、私は違和感を覚える。
ところで、検索していると、このラジオ番組の音源については、既に昨年8月13日に高知新聞が報じていることがわかった。この頃水野が知人から託されたのだという。
A級戦犯 ラジオ番組で語る 57年前の音源発見 「敗戦 我々の責任でない」
そして、今年1月15日、高知新聞はこの記事を含む平和、人権、民主主義に関する一連の報道で第18回新聞労連ジャーナリズム大賞を受けたのだという。
高知新聞に新聞労連大賞 平和、人権、民主主義報道で
また、このラジオ番組は、高知新聞の報道と同日の昨年8月13日に高知放送ラジオで放送され、
「敗戦、我々の責任でない」A級戦犯ラジオ番組で語る~57年前の音源(高知新聞)/吉良佳子さんのFBから
昨年12月8日には大阪の毎日放送MBSラジオでも「A級戦犯の声~開戦の日に問う」と題する報道特別番組の中で流されたそうだ。
■2013年12月 6日【金】次週はスペシャルウィーク!
報道特別番組「A級戦犯の声~開戦の日に問う」(2013/12/8)
一応今回の朝日の記事は、DVDが頒布されているということを報じるかたちをとっているが、何故この時期にこんなニュースが報じられるのか、書きぶりに何となく不自然な印象を受けていたのだが、そういう事情か。
だったら、先行報道に敬意を表してもいいように思うが。
素材が同じだからやむをえないのだろうが、高知新聞のものと内容的にも非常に似通った記事になっているのだし。
(文中敬称略)
1956年に文化放送が流したラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」を録音したDVDを、大阪市のミニコミ紙「新聞うずみ火」が1枚1000円で頒布しているのだという。
そのA級戦犯とは橋本欣五郎、賀屋興宣、鈴木貞一、荒木貞夫の4名で、彼らは東京裁判で終身刑となり、独立後に釈放された。
記事はその発言を詳しく紹介し、彼らに聞き取りをした当時の文化放送のプロデューサー、水野肇(93)のインタビューも掲載している。
橋本欣五郎の
東京裁判はね、ひとつの「ショー」であると僕は思うね。見せ物。要するに、この日本を弱体化させようと思っとるんだね。
という発言、荒木貞夫の
この戦争はアメリカの(大統領の)ルーズベルトの野心による戦争への誘導に日本が落ちた。これ(日本)を侵略国などと言うのは私は当たらない。
という発言などは、昨今のわが国でもしばしば同様のものを目にするが、この頃からこの種の人々によってこうしたことが語られてきたのだろう。
また、橋本の
戦争をやるべく大いに宣伝したということは事実。そして、これが負けたということは、誠に僕は国民に相すまんと思っている。けれども、外国に向かって相すまないとは一つも思っておらない。
わっちら断然勝つと思っとったんだ。勝たんと思っとんのに戦する人はないですよ。誰でもね、みんな勝つと思っとった。誤算でしょうね、日本の国力が足らなかった。
という発言は、ルーズベルト陰謀論を唱える荒木と相反しており興味深い。
中見出しに
「敗戦は我々の責任じゃない」転嫁する政治家ら
とある。
これは、賀屋や鈴木の次のような発言を受けてのものだ。
元大蔵大臣・賀屋興宣 (1889~1977)
敗戦というものは誰の責任か。我々の責任じゃない。我々がけしからんと言って憤慨するのは少し筋違いじゃないか。おまえ、自分の責任が大いに原因してるぞ。
あらゆる責任はいわゆる軍閥(軍上層部)が主です。
財閥や官僚は戦争を起こすことについては、非常に力が薄い。むしろ、反対の者が相当にあった。主たるところは軍人の一部です。
元陸軍中将・鈴木貞一 (1888~1989)
国民が戦争を本当に欲しないという、それが政治の上に強く反映しておれば、それはそうできない。政治の力が足りなかった。
政治家は一人で立っているわけじゃないからね、国民の基盤の上に立っている。世論というものが本当にはっきりしていないということから(戦争が)起こっていると思う。
当時の政治家が軍に頭を下げるようなことをやっておった。軍人を責めるのは無理だ。
しかし、これは責任転嫁なのだろうか。
国民が欲しなければ戦争にならなかったというのは事実ではないのだろうか。
朝日新聞も、敗戦の年の9月6日付「天声人語」では、
▼東久邇首相宮殿下には、切々数千言をもって大東亜戦争の結末にいたる経過と敗戦の因って来る所以を委曲説述され、今後の平和日本創建の方途を示された▼『敗戦の因つて来る所は、もとより一にして止らず、今日われわれが徒らに過去に遡つて誰を責め、何を咎むることもないが、前線も銃後も、軍も官も民も国民尽く、静に反省する所がなければならぬ』▼この首相宮殿下の御言葉の通り敗戦の責任は国民斉しくこれを負荷すべきである
と述べていたというではないか(江藤淳『忘れたことと忘れさせられたこと』文春文庫、1996、p.50-51、太字は引用者による)。
それに、賀屋が「我々の責任じゃない」と言った「我々」とは、記事ではA級戦犯あるいは政治家を指しているかのように扱っているが、果たしてそうなのだろうか。賀屋は大蔵官僚出身で次官まで上り詰め、大蔵大臣や貴族院議員を務めるに至った人物だ。また、そのあとで軍閥の責任が主だと述べている。「我々」とは賀屋が「力が薄い」と言う「財閥や官僚」のことではないのだろうか。
賀屋は東條内閣で大蔵大臣を務めたが、対米英蘭戦開戦前の大本営・政府連絡会議では、東郷茂徳外相と共にかなりぎりぎりの段階まで開戦に反対していたことをこの記事を書いた記者は知っているのだろうか。
また、橋本は、上で引用したように、「負けたということは、誠に僕は国民に相すまんと思っている」と発言しているのだが、こうした箇所に記事が着目しないのはアンフェアではないか。
ちなみに賀屋は、その後1958年から衆議院議員を5期、池田内閣で法相を務めたが、1975年に朝日カルチャーセンターで戦時財政についての講座を担当したときには、
国民は、最も苦しいときには、所得の三分の一で生活してもらった。だから戦争に勝てばたいへんなことですが、戦争に負けて、せっかくの貯蓄もゼロになり、苦しい生活をされ、なんらいい結果にならなかったということは、私として、まことに国民に相すまないと、いまだに痛恨の念が残っております。
と述べている(『語りつぐ昭和史 2』(朝日文庫、1990、p.121)。
そもそも、東條内閣で閣僚を務めた賀屋と鈴木はともかく、クーデター未遂事件を起こした後大佐で退役した橋本や、皇道派に担がれたが二・二六事件で予備役入りし第1次近衛内閣の文相を最後に表舞台から去っていた荒木は、果たしてA級戦犯すなわち「平和に対する罪」を問われるにふさわしい人物だったと言えるのだろうか。
彼らの発言をいっしょくたにして「A級戦犯の声」として評することに、私は違和感を覚える。
ところで、検索していると、このラジオ番組の音源については、既に昨年8月13日に高知新聞が報じていることがわかった。この頃水野が知人から託されたのだという。
A級戦犯 ラジオ番組で語る 57年前の音源発見 「敗戦 我々の責任でない」
そして、今年1月15日、高知新聞はこの記事を含む平和、人権、民主主義に関する一連の報道で第18回新聞労連ジャーナリズム大賞を受けたのだという。
高知新聞に新聞労連大賞 平和、人権、民主主義報道で
また、このラジオ番組は、高知新聞の報道と同日の昨年8月13日に高知放送ラジオで放送され、
「敗戦、我々の責任でない」A級戦犯ラジオ番組で語る~57年前の音源(高知新聞)/吉良佳子さんのFBから
昨年12月8日には大阪の毎日放送MBSラジオでも「A級戦犯の声~開戦の日に問う」と題する報道特別番組の中で流されたそうだ。
■2013年12月 6日【金】次週はスペシャルウィーク!
来週9日(月)から一週間はMBSラジオの「スペシャルウィーク」!
〔中略〕
また8日(日)夜8時からは
報道特別番組「A級戦犯の声~開戦の日に問う」を放送します。
A級戦犯4人が、自らの戦争責任について語った、
貴重なインタビューをお聴き頂きます。
そして、情報が閉ざされていき、
戦争に至った過程を
ノンフィクション作家の保阪正康さんに伺います。
あの頃と、今が、どうリンクしているのか。
今こそ聴いて頂きたい番組です。
日曜夜8時です。
報道特別番組「A級戦犯の声~開戦の日に問う」(2013/12/8)
一応今回の朝日の記事は、DVDが頒布されているということを報じるかたちをとっているが、何故この時期にこんなニュースが報じられるのか、書きぶりに何となく不自然な印象を受けていたのだが、そういう事情か。
だったら、先行報道に敬意を表してもいいように思うが。
素材が同じだからやむをえないのだろうが、高知新聞のものと内容的にも非常に似通った記事になっているのだし。
(文中敬称略)