産経ウォッチャーの黙然さんが、こんなことを言っている。
「たとえ消費税増税がどんなに必要な政策であったとしても」、先の総選挙ではそれを掲げず、掲げたのはマニフェストであった以上、小沢の方がスジが通っている、民主党政権は4年間マニフェストを実行すべきだったと言うのである。
小沢自身や同調して離党した議員を含め、こういう人々に私は問いたい。
では、どうやってそれを実現するのか?
だって ねじれ国会なんだよ?
野党がそろって反対すれば 法案一本通せないんだよ?
そうなれば、国政は停滞するばかりだ。
仮にそうした事態に陥ったとしても、
「わが党はマニフェストの実現に邁進しましたが 残念ながら野党の抵抗のために実現できませんでした。責任は挙げて野党にあります」
とでも弁明するのだろうか。
それは政権党として無責任というものではないか。
民主党政権とは何だったのか、結局何もできなかったではないかと総括する向きにも同じことを言いたい。
一昨年の参院選でねじれ国会となってしまった以上、できることは限られていた。
仮に参院選で過半数を確保できていれば、また違った展開が見られたことだろう。
だからといってマニフェストが着々と実現できたとは限らないが。
高支持率の下で発足した安倍政権が、1年足らず後の参院選で大敗し、以後自民党政権がねじれ国会で苦しんだのと同様の構図だ。
こんなに国政選挙がひんばんにあり 国民の振幅が激しければ、安定政権は望むべくもない。
だから、参院は廃止するか、その権限を大幅に弱めるべきだと思うが、それはさておき。
ならば、いたずらに国政を停滞させるよりも、マニフェストを棚上げしてでも、野党の主張を取り込んででも、合意できることは合意し、なすべきことをなすのが、当然の選択ではないのだろうか。
もちろん、消費税増税に反対だから、野田の変節は支持できないというなら、それはそれでいい。
しかし、消費税増税が「どんなに必要な政策であったとしても」、選挙の洗礼を経ていない以上それは採るべきではなく、あくまでマニフェストに固執すべきなどという言説には呆れるほかない。
私は、今のわが国に消費税増税は「必要な政策」だとかねてから考えているので、マニフェストに反しようが、菅・野田両政権の消費税増税路線と自民・公明の協力を支持する。
たとえ消費税増税がどんなに必要な政策であったとしても(わたしはそうは思いませんが)、筋論で言えば、「4年間(政権維持中)は議論のみにとどめ、増税は国民の信を問うてから」としたマニフェストがある以上、筋論としては小沢氏の方が通っています。そもそも小沢氏が反主流派になったのも、マニフェスト維持をあくまで唱えイタタためです。彼については批判が多く、特にその政治手法については指示できないという人が多いのは承知の上で、あの09年総選挙では有権者の多数が民社国三党マニフェスト「コンクリートから人へ」を圧倒的に支持し、その政権が続いている以上、スジは小沢氏にあると考えます。バラマキといわれようがやるべき政策を通して、その結果を4年間待つべきで下。
「たとえ消費税増税がどんなに必要な政策であったとしても」、先の総選挙ではそれを掲げず、掲げたのはマニフェストであった以上、小沢の方がスジが通っている、民主党政権は4年間マニフェストを実行すべきだったと言うのである。
小沢自身や同調して離党した議員を含め、こういう人々に私は問いたい。
では、どうやってそれを実現するのか?
だって ねじれ国会なんだよ?
野党がそろって反対すれば 法案一本通せないんだよ?
そうなれば、国政は停滞するばかりだ。
仮にそうした事態に陥ったとしても、
「わが党はマニフェストの実現に邁進しましたが 残念ながら野党の抵抗のために実現できませんでした。責任は挙げて野党にあります」
とでも弁明するのだろうか。
それは政権党として無責任というものではないか。
民主党政権とは何だったのか、結局何もできなかったではないかと総括する向きにも同じことを言いたい。
一昨年の参院選でねじれ国会となってしまった以上、できることは限られていた。
仮に参院選で過半数を確保できていれば、また違った展開が見られたことだろう。
だからといってマニフェストが着々と実現できたとは限らないが。
高支持率の下で発足した安倍政権が、1年足らず後の参院選で大敗し、以後自民党政権がねじれ国会で苦しんだのと同様の構図だ。
こんなに国政選挙がひんばんにあり 国民の振幅が激しければ、安定政権は望むべくもない。
だから、参院は廃止するか、その権限を大幅に弱めるべきだと思うが、それはさておき。
ならば、いたずらに国政を停滞させるよりも、マニフェストを棚上げしてでも、野党の主張を取り込んででも、合意できることは合意し、なすべきことをなすのが、当然の選択ではないのだろうか。
もちろん、消費税増税に反対だから、野田の変節は支持できないというなら、それはそれでいい。
しかし、消費税増税が「どんなに必要な政策であったとしても」、選挙の洗礼を経ていない以上それは採るべきではなく、あくまでマニフェストに固執すべきなどという言説には呆れるほかない。
私は、今のわが国に消費税増税は「必要な政策」だとかねてから考えているので、マニフェストに反しようが、菅・野田両政権の消費税増税路線と自民・公明の協力を支持する。
ご指摘の件ですが、結論から言えば、「マニフェストを通す」べきです。ただ、ねじれ国会のもとでは「押し通す」ことはできません。言葉遊びのようですが、それだけの話です。あとは、ねじれていようがいまいが、衆参両院における多数派が、「少数意見の尊重」という民主主義の大原則を思い出すだけのことです。具体的には、与野党があくまでも話し合って着地点を決める、その際には民意を尊重する、ということになるかと思います。理想論と言われそうですが、まず理想がなければ現実の着地点も決められません。
ご指摘の件ですが、結論から言えば、「マニフェストを通す」べきです。ただ、ねじれ国会のもとでは「押し通す」ことはできません。言葉遊びのようですが、それだけの話です。あとは、ねじれていようがいまいが、衆参両院における多数派が、「少数意見の尊重」という民主主義の大原則を思い出すだけのことです。具体的には、与野党があくまでも話し合って着地点を決める、その際には民意を尊重する、ということになるかと思います。理想論と言われそうですが、まず理想がなければ現実の着地点も決められません。
>わたしのハンドルネームはpr3であって黙然ではありません。
ああ、そうでしたね!
うっかりしてました。失礼をお詫びします。
マニフェストについての私の考えは記事に述べたとおりなので繰り返しません。
>与野党があくまでも話し合って着地点を決める
のは当然のことですが、ならば「バラマキといわれようがやるべき政策を通」すなどということは不可能だと申し上げたつもりです。
ついでに言えば、「コンクリートから人へ」は民社国3党のマニフェストではなく、民主党単独のマニフェストです。
また、「有権者の多数」は民社国3党を「圧倒的に支持」してなどいません。民主党の得票率は小選挙区で47.4%、比例区で42.4%に過ぎず、過半数すら獲得していません。小選挙区で大勝したために「圧倒的」に見えるだけです。社民党は現状維持で、国民新党は議席を減らしています。
小沢の歴史を洗いざらい調べてみては如何ですか?
わたしは角栄信者でしたから創世会を作って角栄を裏切った小沢らは敵でしたからよく調べました。
それから参院の勢力図を菅政権時で見ると自公で過半数ではありませんから菅・野田両政権が言ってきた「自公の協力無しでは法案が通らない」云々が嘘で有った事は明確で、この辺も分かっていらっしゃらないのでしょうか?
こんな初歩的な事から調べらられれば良いと思います。
見える風景は180度変わると思いますよ。
では、マスコミによる洗脳だと批判する人は、そう主張するオピニオンリーダーによって洗脳されていると言えるのではないですか?
「洗脳」などという言葉は無意味です。私は使いたくありません。
>小沢の歴史を洗いざらい調べてみては如何ですか?
小沢の歴史はひととおり存じ上げているつもりですが、それが本記事の話と何の関係があるのでしょうか?
具体的に指摘してください。
>参院の勢力図を菅政権時で見ると自公で過半数ではありませんから菅・野田両政権が言ってきた「自公の協力無しでは法案が通らない」云々が嘘で有った事は明確
私は、
《野党がそろって反対すれば 法案一本通せないんだよ?》
と書きました。
「自公がそろって反対すれば」
とは書いていません。
自公が過半数を確保していないことは承知しています。
では自公に依らずしてどのような組み合わせで民主党は過半数を確保できたのか教えていただけますか?
仮に社民党が連立に復帰したとしても足りません。みんなの党は反民主です。たちあがれ日本にも協力を持ちかけましたが拒否されましたよね。
初歩的な事をわかっておられないのはどちらなのでしょうか。
そして、そんなあなたにはどんな風景が見えているのでしょうか。
しかし、選挙で掲げたマニフェストを捨てることに何の問題もないとしたら、国民は選挙の時に、何を基準にして投票する人を決めればいいんだろう? という疑問は湧くわけです。
“必要な政策”とか“正しい政策”とかが最初から決まっていて、どんなマニフェストを掲げてる政党に投票しても結局それに行き着くとすれば、選挙の意味ってなんだろう?
これだと、ますます投票率なんて下がる一方じゃないだろうか、とか思ってしまいます。
本来、何が“必要な政策”なのか、“正しい政策”なのか、それを国民が決めるのが民主主義とか国民主権とかいう政治体制の意味なのではないでしょうか?
そこには、“必要な政策”“正しい政策”を選ばなかった場合の責任や被害も国民が引き受けるという覚悟が必要なのでしょうけれども。
そんなのは理想論だ、政治の停滞を招くだけだと言われれば仰るとおりですが、民主主義ってもともと非弾力的な意思決定形態であって、それこそが戦前に全体主義が盛行してしまった理由ではないでしょうか。
現実の問題に対処することに注力するあまりに民主主義の根本を忘れてしまうことは、どうも良くないんじゃないかという思いがあります。
そういう理想と現実の天秤をうまくとってくれるのが良い政治家だと思うんですが、どうも最近、一方に傾きすぎてるような気がして仕方ありません。
まぁ、選挙しか直接的に国民の意思を示す方法がないっていうのが、そもそも問題なのかもしれないですけれども。