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日々の思いをたまに綴るブログ。

高山正之への疑問(3) ベトナムとビルマ(ミャンマー)について

2013-11-28 07:37:25 | 珍妙な人々
(前回の記事はこちら

 高山は、マレーシアに続いて、

 その他の国々もこの植民地の負の遺産に苦しめられ、その処理の仕方で彼らの戦後が決まった。


として、ベトナム、ビルマ、インドネシア、フィリピンを例に挙げる。
 これらについての高山の記述は、著しくバランスを欠いた、誤解を招きやすい表現だと思う。

 例えばベトナムはマハティールと違ってひたすら戦った。戦後も植民地支配を続けたフランスを倒し、さらに南ベトナムに頑張る米国と戦ってベトナムの統一を果たすと、ここでも白人支配の手先を務めた華僑の追放を断行した。財産没収を恐れた華僑は次々と小さな船で海に逃げ出した、世にボートピープルと呼ばれる現象だ。

 支那は怒り、ベトナムに軍事進攻した。七九年の中越紛争だ。幸いベトナム軍は侵略する人民解放軍を徹底的に叩き潰した。あまりの惨敗に小平は色を失ったと言われる。


 仮に華僑が「白人支配の手先を務めた」として、それで財産を没収され、小舟での出国を余儀なくされることに問題はないのだろうか。
 ボートピープルの流出をベトナムは止めようとはしなかった。事実上の棄民政策だった。当時国際社会は人道的見地からそれを批判した。
 しかし、ベトナム戦争に反対したわが国のいわゆる進歩的文化人は、当初ボートピープルに対して、南ベトナムでいい思いをしていた階層が社会の変化に適応できず逃げ出しているだけだと、極めて冷淡な評価をしていた。
 高山正之は進歩派を非難してやまない立ち位置のはずだが、ことポートピープルに限っては同類であるらしい。

 ベトナムは歴史的に支那の勢力圏に組み込まれており、文化的影響も受けてきたが、一方それに対する反発も著しいものがあった。それが統一後の華僑の排撃や中越関係の悪化に影響していることは間違いないだろう。
 一方、ベトナムもまた、隣国であるラオスやカンボジアには、大国然として振る舞ったという。松岡完『ベトナム戦争』(中公新書、2001)には次のような記述がある。

 一九世紀、グエン朝のベトナムはラオス・カンボジアを属国ないし朝貢国として扱った。ベトナム人官吏が派遣され、官職名も服装も税制も行政単位もベトナム風になった。プノンペンはナムバン(南栄)と改名された。仏教寺院は破壊されて儒教廟となり、僧侶は黄衣をはぎ取られ、仏像は大砲に改鋳された。フランスもラオス・カンボジア統治にベトナム人下級官僚を登用し、ベトナム語を第二の公用語とし、ラオス人・カンボジア人を劣等人種扱いした。


 だから、華僑が白人の手先、ベトナム人は搾取された哀れな被害者と簡単に決めつけられるような話ではない。

 また、ボートピープルは中越紛争の主因ではない。中国は、ベトナム軍がカンボジアに侵攻し、中国が支持していたポル・ポト政権を打倒してヘン・サムリン政権を樹立したことに対する「懲罰」としてベトナムに侵攻したのだ。
 ベトナムはカンボジア侵攻の理由に国境地帯での挑発やポル・ポト政権の非道性を挙げているが、だからといってベトナムにポル・ポト政権を打倒してヘン・サムリン政権を樹立する正当性があるわけではない。
 ベトナムと友好関係にあったソ連やその衛星国を除き、多くの国がベトナムを非難した。ヘン・サムリン政権は大多数の国から承認を受けることができず、国連に議席を占めることもできなかった(当初はポル・ポト政権が、のちにはポル・ポト派とシアヌーク派、ソン・サン派が結成した3派連合政府が正統政権と見なされた)。またベトナムは侵攻に対する経済制裁に苦しみ、戦後の復興が遅れた。
 一方、中国が「懲罰」と称して侵攻する正当性もまたないのだが、もともと中国はベトナムの政権打倒や国土の占領を目的としていたわけではない。
 人民解放軍はたしかに予想外の敗北を喫したと言われているが、戦争の目的自体が限定されたものだった。前出『ベトナム戦争』によると、国境から50キロ程度しか進まず、約1か月で全部隊が帰国したそうだ。
 一方ベトナム軍は、中ソが和解しカンボジアの和平気運が高まった1989年にようやく撤退するまでカンボジアに居座り続けた。
 「侵略」の名にふさわしいのはどちらだろうか。

 ミャンマーは英国が入れた大量のインド人、華僑を追い出すのに平和的な手法を執った。自ら鎖国し貿易をやめ、自給自足経済は二十年余も続いた。商売もない。カネも動かないでは儲けがないと華僑も金融業を握るインド人も国を去っていった。


 インド人や華僑を追い出す目的だったのかどうかは知らないが、ビルマが鎖国政策をとったのは事実だ。その結果、高山が言うような事態が生じたのかもしれない。
 しかし、国民生活はそれでどうなったのだろうか。

 私は、独裁が絶対悪だとは思わない。近代化を進める上で独裁が有効な場合も有り得るだろう。
 かつての韓国の朴正煕や台湾の蒋介石・経国父子、シンガポールのリー・クアンユー、インドネシアのスハルトなどのいわゆる開発独裁は、国家を発展させ、国民生活を向上させた。その点は大いに評価すべきだと思う。
 しかし、必然性もないのに自ら鎖国し、国民の生活を貧困にとどめるままの独裁などに、存在する意義があるのだろうか。

 ビルマは1962年のネ・ウィン将軍のクーデター以来、軍人による独裁が続いている。1988年には民主化デモが全土に広がり、ネ・ウィンは退陣したが、軍が再びクーデターを起こし、それから20年以上も軍政を続けた。近年のティン・セイン大統領の登場により、ようやく民主化が進められている。

 ネ・ウィン政権下のビルマから亡命した新聞人ウ・タウンは、『将軍と新聞』(新評論、1996)という本で、ネ・ウィンの独裁をこう批判している。

 独裁者にとって最も強力な武器は恐怖である。世界中の独裁者は人民を恐怖で支配してきた。恐れられる専制君主になろうとすれば、彼は人民を殺さなければならない。独裁者のほとんどは流血によって権力を奪取したのである。権力を手に入れるには敵を殺し、邪魔者を殺し、恐怖を持たせるために人民を殺す。しかしネ・ウィンは敵を殺さないというビルマ式のやり方を採用した。
 ネ・ウィンは敵の命も人民の生命を奪わなかったが、そのやり方は殺人よりも残酷であり効果的でもあった。彼は人民の糧道を断ってしまったのである。〔中略〕
 もし人民を殺せば、その家族は悲しみ、やがて敵意を抱くだけで、恐れおののいたりしない。ネ・ウィンがクーデターを起こした時、首相も閣僚も殺さずに投獄し、しばらくして釈放した。政治家だった大臣たちは糧道を断たれてしまった。政府の公務員、国営企業従業員を解雇して軍人に取って代わらせるのも同じ手口であり、失業した人々は生計を失った。民間企業の国有化も同じことで、所有者の糧道を断ってしまうことだった。
 糧道を断たれてしまうと、人民は人倫を忘れ、性格は破壊される。人民は節を曲げて独裁者に忠節を誓わなければ、生き延びられない。国民は独裁者にペコペコするほかはなかった。いい生活がしたいばかりに民間人の友人を裏切った者がどんなに多いことか。中には肉親すら裏切った人も少なくないのである。
 仕事が欲しい。ある事をして収入を得る機会が欲しい。そうなると国民は恥も外聞も投げ捨てた。国家全体が羊の国となり、独裁者と国軍の意を得ようとして、互いにいがみ合うようになってしまった。これこそ永久権力を望んだネ・ウィンが生んだ悲劇である。
 国と国民の糧道を断って、生き延びるには軍に依存する以外にはないようにしてしまう。これこそネ・ウィンのビルマ式独裁への道であった。


 かつては豊かだったビルマは、ネ・ウィン政権下で最貧国に転落したという。
 これが印僑や華僑を追い出す代償としてふさわしいものだったのだろうか。

 また、1988年のクーデター後の軍事政権は、西側諸国による制裁に対抗して中国に接近し、国内の華人の処遇も改善したという。
 とすれば、ますます何のためのクーデターだったのかということになるはずだが。


続く

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高山正之への疑問(2) マレーシアとマハティールについて 

2013-11-26 00:13:10 | 珍妙な人々
(前回の記事はこちら

 支那を盟主と仰ぐ鳩山に「東南アジアを理解させるにはマレーシアを旅させればいい」と高山は述べる。
 英国の植民地時代に作られたプランテーションによってマレー半島本来の植生は破壊しつくされた、人々はゴム園で働かされ、監督に当たった華僑から疲れを癒すと阿片を売りつけられた、そんなマレー半島で日本軍が白人を打倒し、華僑は善良な市民を装って揉み手をして生き残ったと高山は語る。
 続いてマレーシアのマハティール首相の業績をこう高らかに語る。

 戦後マハティールが首相になったとき耕作地の大半は英国人の不作地主の所有だった。地主に代わってプランテーションを管理する華僑は収益から手間賃を取り、残りを英国に送金された。華僑が副収入にと売り捌いた阿片売買による中毒患者は十二万人もいた。
 マハティールは阿片を売った者を死刑とする法案をつくり、中毒患者を隔離収容した。
 次に国家予算の大半を使って英国の不在地主から土地を買い戻した。マレーシアの土地はマレーシアの人々の手に戻った。
 そして最後に英国人とともにマレー人を搾取してきた華僑に出国を促した。ただ追い出すのではなく、国土の一部のシンガポール島を彼らに与えた。リー・クワンユー〔引用者註:シンガポール初代首相〕もこのとき移り住んだ一人だった。
 マハティールはこうして植民地時代の負の遺産を全て除去した。


 しかし、ちょっと現代史の知識があれば、「シンガポール島を彼らに与えた」などということが有り得ないことがすぐにわかるだろう。
 マハティールがマレーシアの首相になったのは1981年のことだ。シンガポールがマレーシアから独立したのは1965年。マハティールが華僑にシンガポールを「与え」ることなどできるはずがない。

 だいたい、シンガポールは英国人ラッフルズが建設した交易都市で、マレー人の都市を英国が奪ったのではない。英国統治時代から、華人が人口の大半を占めていた。リー・クアンユーは1959年からシンガポール自治政府の首相を務めている。
 マレーシアの前身であるマラヤ連邦は1957年に英国から独立した。その時点ではまだ英国領であったシンガポールとサバ、サラワクが1963年にマラヤ連邦に加わって国名が「マレーシア」となった。しかし、華人優位のシンガポールとマレー人優位の他の地域との関係がうまくいかず、シンガポールは1965年にマレーシアから分離独立したのだ。
 「移り住んだ」とは大嘘である。

 また、アヘン対策と土地の買い戻しについての記述にも疑問がある。
 私はマレーシアやマハティールに関する本をいくつか読んでみたが、全くそんな記述はなかった。

 マレーシアにおけるアヘンについては、マレーシアで発行されている日本語フリーペーパー「セニョ~ム」のサイトの「錫鉱山開発の影で―アヘン産業の盛衰」という記事にこんな記述がある。

アヘンは中毒性が強く、死に至らせることがよく知られるが、19世紀の植民地政府官僚もこのことについては十分認識していた。シンガポールを「発見」したラッフルズは、歳入増加を目的としてアヘンを販売することに反対していたとされる。19世紀初めからアヘン撲滅の声はあったが、1874年に英国で「アヘン貿易廃止協会」が設立され、インド―中国間のアヘン貿易廃止運動が盛り上がった。海峡植民地政府にも圧力がかかるが、同政府はアヘン撲滅で密輸の横行や中国人の離散などを引き起こすとしてこれを拒否。実際はアヘンなしでは、経営できないことから強く反対した。

 しかし、1906年に米国がフィリピンでアヘン取引の全面禁止の決定をしたことが、躊躇する英国に態度を改めさせた。同年に英国はインド―中国間のアヘン貿易を10年以内に廃止することを目的とし、年間10%ずつ取引量を削減することで清王朝と合意。これを受けてか、ペナンやクアラルンプールでもアヘン撲滅の運動が盛り上がった。

 そして、1910年から植民地政府は、取引量削減目標を達成するためアヘンを専売品に切り替えたが、清王朝との取り決めは反故にした。しかし、不況などで1925年までにはアヘン関連からの歳入は激減。日本軍によるマレー半島占領後の1943年になってやっと英国は国際的な撲滅運動に押された形で、同国内とその植民地、保護領でのアヘン売買を全面的に禁止する措置を出し、戦後はマレー半島からアヘンの姿が消えていった。

 このように見ていくと、錫産業の発展に伴い、アヘンは植民地政府と労働者にとって生きていく上での「必需品」であった。マレー半島ではアヘンなくしては大規模な錫産業の発展はなかったと言ってもいいだろう。


 また、同じ記事にこんな記述もある。

マレー半島には当時、胡椒やガンビールを栽培する中国人が渡来し、1840年代以降には錫鉱山の人足として年間数万人以上がやって来た。農作業や鉱山のいずれの仕事をするにしても、町から離れた山奥で炎天下のなか毎日未開のジャングルを切り開いて農耕や採掘をした。妻子や娯楽もない環境のなかで中国人たちは、心身を癒すためにアヘンに手を出していった。また、労働環境は最悪で、すぐに病気になる労働者も多く、アヘンを吸うことで病気から身を守る薬としても利用されていた。このため、当時の中国人労働者のうち10人に8人はアヘンを常用していたと記録されている。死亡率も年間当たり1000人中200人前後に上っていた。

 アヘンの購入者は主に低賃金の中国人労働者であったが、常用していたためにアヘン産業は多くの利益が出た。このため、農業や鉱業への中国人投資家は、アヘン販売も同時に行い、労働者を「薬漬け」にして巨額の富を得ていた。ちなみに、アヘン販売店は銀行の役割も司っており、東南アジアで20世紀以降に銀行を開設した起業家の多くが、元アヘン業者であったのは偶然ではない。


 この記事に限らず、錫鉱山やゴム農園の労働力として華人やインド人が導入されたという記述は、マレーシアに関する本にはごく普通に説明されている。
 高山はマレー人を最下層の労働者、華人を白人の下での中間搾取者として描いているが、そんな単純な話ではないのではなかろうか。

 そして、仮に高山の言うようにシンガポールに華僑を追い出したとして、ではマレーシアには華僑はいなくなったのだろうか。

 わが国外務省のホームページのマレーシアの項を見ると、現在の民族構成は、

マレー系(約67%)、中国系(約25%)、インド系(約7%)


となっている。
 マレーシアはブミプトラ政策と言われるマレー人優遇策を採っている(これはマハティールではなく、その先々代の首相の代に開始されたもの)。これが中国系やインド系の不興を買っているであろうことは容易に推測できる。
 それでも、これだけの中国系とインド系の国民が存在するのである。

 したがって、華僑については、マハティールは「植民地時代の負の遺産を全て除去した」などとは到底言えない。

 「国家予算の大半を使って英国の不在地主から土地を買い戻した」という話にしても、大半とは8割だろうか、9割だろうか。そんなことをしたら国家が破綻してしまうような気がするのだが。

 以前インターネットで検索した時にあるサイトに転載されていたものを見た(現在は見当たらない)のだが、高山のコラム「異見自在」の「外務省スキャンダル “操り”大臣は要らない」という回に、次のような記述があるという。

 マレーシアが直面したもう一つの難題は英国による経済支配だった。彼らは国に帰ったものの、ゴム園や鉱山などの株をもったままだった。そして、遠くロンドンにいて利益を吸い上げていた。

 マハティールはそういう状況下で首相になった。彼にはいくつかの選択肢があった。イランのモサデクのように外国企業の国有化宣言をするか、ベトナムのように戦争するか、または黙って英国の経済植民地に甘んじるか…。

 で、彼が選んだのはロンドン市場に上場されていたマレーシア企業株を「マレーシアのもつすべての資金をつぎ込み」(大前研一・UCLA教授)買収することだった。一滴の血も流さず、恨みも買わず、「植民地のくびき」を実に鮮やかに脱した。

 英国に学び、その奸智を知り尽くしたマハティールだからこそできた芸当だった。


 似たような話だが、企業買収と土地の買い戻しでは話が違う。

 彼の自伝『マハティールの履歴書』(日本経済新聞社、2013)を読んでいると、本書に収録された日経本紙での「私の履歴書」(1995年11月)の第19回「英国との確執――ゴム園会社電撃買収」に、こんな記述があった。

 私が首相に就任したころ、マレーシアにはまだ英国人が所有するゴム農園やスズ鉱山の会社が数多くあった。これらの会社はマレーシアが保有すべきだと考えていた私は、その株式をロンドン証券市場で買い占め、経営権を握るというアイデアを承認した。
 対象企業の一つがマレーシアにゴムやパーム、ココナツなど二〇万エーカーの広大な農園を持つガスリー社だった。事前に情報が漏れれば株価が上がり、多大の出費を余儀なくされる恐れがある。我々はロンドンのエージェントを通し周到に準備した。 


 買い占めは1981年9月7日に決行され、3時間で50%強、数日後には100%近くの株式を取得したという。これに対抗して英国当局は市場の取引ルールを変えたという。
 
 しかし、これにしたって買い占めに成功したのは「対象企業の一つ」であって、全ての対象企業を買い占めたというわけではない。高山のように「「植民地のくびき」を実に鮮やかに脱した」とは言えないのではないか。

 そして、このエピソードがいつの間にか土地の買い戻しにすり替わった、あるいは土地についても似たような話があって、それを高山が「「国家予算の大半を使って」「マレーシアの土地はマレーシアの人々の手に戻った」と大げさに吹聴しているだけのではないか。
 そんなふうに思えてならない。

(続く)

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高山正之への疑問(1) はじめに

2013-11-25 00:08:30 | 珍妙な人々
 高山正之というジャーナリストがいる。
 産経新聞社で社会部デスク、テヘラン支局長などを経て、コラム「異見自在」で評判となる。退社後、2001~2007年帝京大学教授を務めた。『週刊新潮』の巻末コラム「変見自在」を長期連載中で、これは人気があるらしく、単行本化の後に文庫化もされている。
 その単行本の副題を挙げてみると、

スーチー女史は善人か

ジョージ・ブッシュが日本を救った

オバマ大統領は黒人か

偉人リンカーンは奴隷好き

サダム・フセインは偉かった

日本よ、カダフィ大佐に学べ

マッカーサーは慰安婦がお好き

といったもので、まあだいたい中身の想像がつくだろう。

 私がこの人の名前を意識したのは、確か、1990年代後期に産経新聞で連載された「20世紀特派員」という企画の中の「太平洋序曲」というシリーズだった。
 ハワイ王国の滅亡やわが国との関係、日露戦争が世界に与えた影響、当初はわが国に好意的だった米国がやがて排日に転じていった経緯などを記した、興味深い内容だった(この連載に限らず、このころの産経はこんにちに比べるともっと読ませる内容であったと思う)。
 その後、たまたま『週刊新潮』で「変見自在」を興味深く読んでこの人に興味をもち、その前の産経新聞での連載を単行本化した『世界は腹黒い――異見自在』(高木書房、2004)を買って読んでみた。
 こうしたコラムは、雑誌の中にちょこっとあるからいいのであって、まとめて読むものではないなと思った。毒気に当たられた感じがした。「腹黒い」のは何でもかんでも悪意にとる著者ではないか、などと思ったり。
 あまり聞いたことのないような話が多々出ているが、これはこれで何らかの根拠があるのだろうと思っていた。
 誇張や曲解はあるのかもしれないが、全くのでたらめではないのだろうと。

 ところが、4年近く前に、あるブログで、ムック『反日マスコミの真実2010』(オークラ出版、2010)に掲載された高山の文「誰のための東アジア共同体か」を紹介する記事を読んだところ、不審に思う点が多々あった。
 そして調べてみたところ、この高山の文には多くの疑問点があることがわかった。

 この件は以前別のブログで書いたのだが、その時はこの『反日マスコミの真実2010』は手元になかったので、高山の文を紹介するブログからの孫引きと、本屋での同書の立ち読みで済ませていた。
 最近たまたま古書店でこのムックを購入したので、正確な高山の文章に基づいて書き直すことにする。

 この高山の「誰のための東アジア共同体か」は、2009年の政権交代で発足した民主党の鳩山由紀夫内閣が、東アジア共同体構想を掲げていたことに対応している。
 鳩山は「支那を盟主に仰ぎ、その強大な軍事力をもって東南アジア諸国に君臨する」共同体に「日本はカネと技術を提供してこの形を確固たるものにし」ようと考えている。しかし、鳩山は東南アジア諸国の支那への感情を理解しているのか。東南アジア諸国は植民地時代の負の遺産である華僑を追放し、日本を盟主とし支那の圧力をブロックしての発展を望んでいるのだ。かつてその構想をつぶした米国に朝日新聞は協力し、今また東アジア共同体を後押しするその罪は重い――というのが高山の文の主旨である。

 いったい鳩山が支那を盟主とするだの軍事力で君臨するだのといつ言ったというのだろうか。
 例えば、政権交代後に月刊誌『Voice』2009年9月号に掲載され、のちに一部がニューヨークタイムズに転載されて反米的であるとして問題になった鳩山の「私の政治哲学」は、東アジア共同体構想についてこんなふうに述べている(太字は引用者による)。

 アメリカは影響力を低下させていくが、今後2、30年は、その軍事的経済的な実力は世界の第一人者のままだろう。また圧倒的な人口規模を有する中国が、軍事力を拡大しつつ、経済超大国化していくことも不可避の趨勢だ。日本が経済規模で中国に凌駕される日はそう遠くはない。覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭間で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか。これからの日本の置かれた国際環境は容易ではない。
 これは、日本のみならず、アジアの中小規模国家が同様に思い悩んでいるところでもある。この地域の安定のためにアメリカの軍事力を有効に機能させたいが、その政治的経済的放恣はなるべく抑制したい、身近な中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい。これは、この地域の諸国家のほとんど本能的要請であろう。それは地域的統合を加速させる大きな要因でもある。
 そして、マルクス主義とグローバリズムという、良くも悪くも、超国家的な政治経済理念が頓挫したいま、再びナショナリズムが諸国家の政策決定を大きく左右する時代となった。数年前の中国の反日暴動に象徴されるように、インターネットの普及は、ナショナリズムとポピュリズムの結合を加速し、時として制御不能の政治的混乱を引き起こしかねない。
 そうした時代認識に立つとき、われわれは、新たな国際協力の枠組みの構築をめざすなかで、各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創り上げていく道を進むべきであろう。ヨーロッパと異なり、人口規模も発展段階も政治体制も異なるこの地域に、経済的な統合を実現することは、一朝一夕にできることではない。しかし、日本が先行し、韓国、台湾、香港が続き、ASEANと中国が果たした高度経済成長の延長線上には、やはり地域的な通貨統合、「アジア共通通貨」の実現を目標としておくべきであり、その背景となる東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない。


 鳩山の東アジア共同体構想とはこうした理念に基づくものだろう。
 私は、ここで述べられていることに賛成はしない。東アジア(東南アジア含む)諸国はあまりに違いすぎる。協力は必要だが、共通通貨や安全保障体制などを検討すべき段階ではないと考える。
 しかし、高山の批判は、鳩山の主張をまるで無視した、単なる悪口にすぎない。

 そんな高山が東南アジアや東アジア共同体構想をどのように論じたか。以下、何回かに分けて指摘する。

続く
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「みどりの風」議員によるNHK取材拒否の説明を読んで

2013-03-21 08:19:21 | 珍妙な人々
 BLOGOSで、「みどりの風」参議院議員の舟山康江による「NHKに対する取材拒否について」という記事を読んだ。

 「政党」要件は、公職選挙法、政党助成法、政治資金規正法に規定されており、これによると、(1)「所属する国会議員が5人以上」または、(2)「直近の衆院選か最近2回の参院選で全国を通じた得票率が2%以上」の政治団体を「政党」として扱うとしています。

 みどりの風は、5人以上の国会議員がいますので、れっきとした政党です。しかし、NHKがどうしても認めようとせず、もう一つの政党要件である「得票率2%以上」も満たさないと「日曜討論」には出さないと主張しています。そして、この判断は、「報道機関としての自主的な編集権」であると強弁しています。(NHKからの回答は末尾に掲載)

 この理屈では、まだ選挙に参加していない新しい政党は公共放送が取り上げないということになります。法律では、前記(1)または(2)いずれかを満たしていれば政党であり、両方ではありません。民間放送ではなく国民の税金を使った公共放送が、公職選挙法とは異なる独自の基準を用いて政党を選りすぐることが、果たして編集権の範囲なのか大いに疑問です。

 ちなみに、NHKは先日、NHK予算について「各党」に説明したい、「みどりの風」にも説明したいと時間を要求し、説明にやってきました。自分達の都合によって政党扱いしたりしなかったり非常に独善的であり、国が付けた予算にふさわしい組織だとはとても思えません。

 このような中で、残念ながら、誠意ある回答をいただけるまで、みどりの風として一切の取材をお受けできない、という立場をとらせていただきました。

ネット上で賛否両論、議論されているようですが、誤解がないように背景をお伝えします。
〔太字は原文のまま、機種依存文字である丸数字はカッコ数字に直した〕


 しかし、記事末尾に掲載されているNHKからの回答を読むと、「「得票率2%以上」も満たさないと「日曜討論」には出さないと主張して」はいない。

(参考)NHKからの回答

平成25年3月1日
みどりの風代表
谷岡郁子様

日本放送協会報道局
政経・国際番組部長馬場弘道

 「みどりの風」の皆様には、日頃からNHKの放送に対して、深い御理解をいただき、誠にありがとうございます。

 「日曜討論」で御出演していただく政党につきましては、放送時間や討論番組としての物理的な制約などから、国政選挙の結果や国政への参加の状況などを踏まえ、報道機関としての自主的な編集権に基づいて判断しています。

 同番組では、様々な形式での討論番組を企画しております。例えば、与野党の代表者に同席していただく討論の場合、公職選挙法上の政党の要件を2つ満たす政党を参考にして御出演をお願いする企画や、公職選挙法上の政党の要件を1つ満たす政党を参考にして御出演をお願いする企画、与党第1党と野党第1党による討論などです。これは、その時々の政治状況を踏まえて、NHKが独自に判断しているものです。

 なお、公職選挙法上の政党の要件を2つ満たす政党を参考にして御出演をお願いする企画の場合、直近の衆参両院の国政選挙に示された民意と国会議員の数など国政への参加状況をあわせて参考にしつつ、討論番組としての制約などを考慮して判断しているものです。

 「日曜討論」では、これまで、その時々の政治状況に応じて御出演をお願いしてきました。今後につきましても、今の政治状況を踏まえて、政党討論の枠組みを検討していきたいと考えております。

 こうしたNHKの考え方について、ぜひともご理解いただきますよう、お願い申し上げます。


 この回答によると、与野党の代表者による討論の場合、
・「公職選挙法上の政党の要件を2つ満たす政党を参考にして御出演をお願いする企画」
・「公職選挙法上の政党の要件を1つ満たす政党を参考にして御出演をお願いする企画」
・「与党第1党と野党第1党による討論」
などがあり、「その時々の政治状況を踏まえて、NHKが独自に判断している」としている。

 そして、「日曜討論」も「その時々の政治状況に応じて御出演をお願いしてき」た番組であり、今後も同様であるとしている。

 したがって、この回答は「「得票率2%以上」も満たさないと「日曜討論」には出さないと主張」するものではない。

 にもかかわらず、何故舟山議員はこんな記事を書いたのか。
 次のようなことが考えられる。
・NHKはこの回答より前に、得票率2%以上も満たさないこと理由であると伝えており、それが舟山議員の念頭にあった
・NHKはこの趣旨の回答をしたが、「みどりの風」の誰かが誤読して舟山議員に伝えた、あるいは舟山議員自身が誤読した
・NHKはこの趣旨の回答をしたが、その内容自体はもっとも至極で反論しがたいので、「みどりの風」は敢えて、NHKは得票率2%以上を満たさないことが理由であると主張していることにして、それに反論した

 いずれにせよ、これではNHKからの回答を添付している意味がない。
 読者はいちいちNHKからの回答などは読まないだろうと、馬鹿にしてかかっているのではないか。

 舟山議員は「国民の税金を使った公共放送」とも言うが、NHKの主な収入源は税金ではなく受信料である(国際放送や政見放送は国費で賄われている)。
 舟山議員はまた、「国が付けた予算にふさわしい組織だとはとても思えません」とも言うが、NHKの予算が国会の承認を必要とするのは、受信料を強制的に徴収する公共放送であるため、その収支について国民の了解を得る必要があるという趣旨によるものであり、国がNHKの予算を策定しているわけではないので、「国が付けた予算」という表現は不適切であろう。

 こんなことは、NHKと国との関係や受信料制度の意義について多少なりとも疑問をもったことがあれば常識だと思うのだが、舟山議員は、しばしば「某国営放送」などと揶揄されるNHKを、本当に税金で運営される国営放送だと勘違いしているのではないか。

 「誤解がないように背景をお伝えします」としているのに、これでは、NHKからの回答を読まない読者はさらに誤解を重ねてしまう。
 「みどりの風」のレベルが知れると言えるだろう。

 この党の議員のうち、亀井静香を除く4名はいずれも当選1回の参議院議員で、今年改選を迎える。
 何人が生き延びられるだろうか。

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「タカ派の跳梁とハト派の衰退」――早野透の不思議な政治観

2013-01-04 00:26:22 | 珍妙な人々
 先月、朝日新聞デジタルに掲載されていた元編集委員の早野透(現・桜美林大学教授)のコラム「〈新ポリティカにっぽん〉民主「最強の57人」に重責」を読んだ。

《民主党のあぶくのような「その他大勢」が削ぎ落とされて、「最強の57人」で再出発するのは、それはそれでいいことかもしれない。》 

《自民・公明政権は、これからどう動くか。〔中略〕イケイケどんどんとなるかといえばそうではあるまい、〔中略〕外交内政きわめて慎重精妙にコトを運ぶはずである。》

といった見方には同感だが、最後の一節が何ともはや。

 今回の選挙の最大の特徴は、タカ派の跳梁(ちょうりょう)とハト派の衰退である。老舗のハト派勢力、共産党と社民党はまたしても後退した。新興ハト派とも目される日本未来の党も伸び悩んだ。自民党の加藤紘一氏のようなハト派の大物も落選した。民主党の菅直人氏は辛うじて比例復活で滑り込んだ。


 「タカ派の跳梁とハト派の衰退」とある。
 衰退の反対は発展、興隆、伸長、躍進などだろう。
 「跳梁」は跳ね回るという意味だが、悪いものがのさばり、はびこるという含意で用いられる。
 悪であるタカ派がはびこり、善であるハト派は衰退していると早野は見ているのだろう。両者を相対的に見ているのではない。
 新聞記者時代にはこうまで露骨な表現はなかったと思うが、退社したからなのか言いたい放題である。

 タカ派とは好戦主義者、ハト派とは平和主義者の意味だろう。軍事的な強硬派、穏健派と言ってもいい。
 しかし、タカ派は戦争を志向するから悪、ハト派は平和を志向するから善と、そう単純に割り切れるのか。
 ハト派のカーター米大統領の時代にソ連はアフガニスタンに侵攻し、タカ派のレーガン大統領はこれを撤退させ、冷戦を終結させたのではなかったか。
 ベトナム戦争から手を引き、中共との関係を正常化させたのもタカ派のニクソン大統領だった。
 ナチス・ドイツに対する英仏のいわゆる宥和政策はハト派的志向の産物だろうが、それが結果的にどういう事態を招いたか。

 ましてや、おそらく早野がタカ派と見るのであろう、尖閣諸島や竹島をめぐる強硬論は、自国領を守りたいという素朴な国民感情の表れであり、別に中国や韓国に攻め入ろうといった主張が展開されているわけではない。
 先の総選挙で改憲派が議員の8割だ、9割だと危機意識をあおる声もあるが、9条改正論の多くは、戦力の不保持を定めたまま自衛隊の存在を解釈改憲により容認してきた現状は不正常であり、これを憲法に明記すべきだというごく当然の感覚に基づくものにすぎない。
 自民党の改憲案は自衛隊を「国防軍」に改称するとしているが、これとて、事実上は軍以外の何物でもない実態に合わせて名称を改めようとするだけであり、自衛隊の性格や現憲法の平和主義を変更するものではない。
 こんなものが「タカ派の跳梁」に見える早野の偏向ぶりに呆れる。

 そんな早野が言う「ハト派の大物」、加藤紘一は、例えば昨年9月に尖閣問題で次のように述べている(以下、加藤の文は青字で示す)。

尖閣問題はつとめて冷静な対応を

 ナショナリズムは、扱い方を間違えると大ケガをします。そして領土問題には、妥協というものがありません。だからこそ、かつて1972年9月27日の第3回日中首脳会議において、田中角栄と周恩来は「しばらく尖閣諸島は放っておこう。将来、石油が必要なくなれば揉めることはない」と、棚上げすることに同意しましたし、‘78年には、小平が「次の世代に任せよう」と言ったのです。外交担当者のギリギリの知恵であったと思います。

いま、日中両国は引くに引けない状態になっています。その原因が、私は前原誠司元国交相にあると思っています。
2010年9月、尖閣周辺でカワハギが異常発生していました。日本では料亭で扱われる高級魚ですから、中国漁船が目の色を変えました。その漁船を、海上保安庁が公務執行妨害で逮捕しました。小泉政権時までは、ただ領海から追放していたケースでした。
この「逮捕」が、小平以来の「棚上げ」の約束違反だったのです。なぜなら、在宅起訴という略式裁判ではあっても、日本の国内法において裁かれ、日本の裁判所の書類にハンコを押してしまえば、その時点で日本の法律が及ぶ範囲であるということを認めることになるからです。おそらく、前原氏はそのことに考えが及ばなかったのでしょう。そうでなければ、司法に判断を託すはずがありません。
ここで「小平との約束は反故になった」と中国が判断しても仕方ありません。中国側の行動が激しさを増してきたのは、それ以降です。


 しかし、2010年9月、海上保安庁は中国漁船を領海侵犯や漁業法違反で逮捕したのではない。加藤が言うように公務執行妨害で逮捕したのだ。どのように妨害したのか。周知のとおり、漁船を海上保安庁の巡視船にぶつけて破損させたのだ。
 
 漁船がそのような行動をとらなければ、海上保安庁は小泉政権同様、領海から追放するだけで済ませていただろう。
 しかし、巡視船にぶつけられて、そのまま帰すわけにはいかない。 当然のことだ。
 したがって、非は中国漁船の側にある。

 こうした事実を全く無視して、わが国に船長の釈放を要求するばかりか、在中日本人の拘束やレアアースの禁輸といった報復措置をとった中国側の対応にも当時驚いたが、これを是認するがごときこの加藤の弁にはさらに驚いた。

 日中首脳会談にしても、田中角栄と周恩来は棚上げで同意などしていない。田中は尖閣諸島の問題を提起したが、周恩来に「今は話したくない」と制止され、それ以上話を進めることができなかったのだ。田中としては、尖閣は日本領であるとの明確な言質を取りたかった。しかし周に拒否された以上、実効支配しているわが国からそれ以上問題提起することはできなかった。棚上げを主張したのは中国であって、わが国がそれに同意したのではない。

 彼は、いったいどこの国の国会議員なのだろうか。これではまるで中国の代弁人ではないか。
 こんなものは、「ハト派」でも何でもない。単なる事なかれ主義でしかない。

日本人としては、もっと中国に対して毅然とした態度に出てほしいと思うのが自然でしょう。1年ほど前、愛知県で市民と対話する機会があり、そのようなご意見をたくさんお聞きしました。愛国心からの言葉だと思います。そのとき私は、こう聞きました。
「もし武力衝突になったとしたら、あなたは闘いに行きますか?」
それに対して「自分は行かないが、アメリカが行くでしょう。そのための日米安保じゃないですか」という意見が多く聞かれました。
しかし、日本人が自らの命を賭して闘わない地で、アメリカの青年が命を落とすわけがありません。このまま日中の関係が悪化して、尖閣の地で武力衝突という事態になったとき、果たして日本人はどのように闘うつもりでしょうか。

お互いに刺激し合わないよう、冷静な対応を ──。
私の意見は、これに尽きます。最近の中国は、ネットの世論に敏感です。外交的なバランスと、国内世論への対応とで苦労するのは、中国も日本も同じ。それでも、日中両政府が大人の対応をし、双方の国益のために事態の鎮静化が図られることを心から望んでいます。


 武力衝突は、避けるにこしたことはない。しかし、武力衝突を避けることと、武力衝突も辞さないという態度で臨むこととは異なる武力衝突を起こすことと、武力衝突も辞さないという態度で臨むこととは異なる。ギリギリのところで武力衝突を回避できるかもしれないが、場合によっては武力衝突もやむを得ないという姿勢で臨むべきだろう(そもそも相手方から武力行使される危険がある以上、それに備えておくのは当然のことだ)。はなから武力衝突という選択肢をあきらめてしまう必要はない。

 「自分は行かないが、アメリカが行く」という意見が多く聞かれたというのが事実なら、情けないと言うほかない。
 たしかに、日本人が命を賭して戦わないのに、米国が戦ってくれるはずはない。その限りで、加藤の言は正しい。
 だが、もし武力衝突になったとして戦うべきは、一市民ではなく、まずは自衛隊ではないのか。そのための自衛隊法であり、解釈改憲ではないのか。
 それを、「あなたは闘いに行きますか?」と尋ねるのは、原発の周辺に住んでもいないのに原発推進を語るなとか、米軍基地の周辺に住んでもいないのに日米安保を支持するなとか、死刑を自ら執行する気もないのに死刑制度維持に賛成するなといった、或る種の反論封じではないだろうか。
 政策の是非を、個人の利害だけで判断してはならないのではないだろうか。

 それに、「自分は行かないが、アメリカが行く」という情けない日本人を生み出したのは、自分の国は自分で守るという当然のことを敢えて国民の目からそらし続けてきた、加藤のようなハト派政治家ではないだろうか。

 この一事だけで加藤紘一という政治家を評価すべきでないのはもちろんだし、実際、それだけが落選の原因ではないだろう。
 だが、私が彼の選挙区の住民なら、この一事をもって、票を投じるに値しない人物だと考えるであろうこともまた事実だ。

 早野は、コラム冒頭で取り上げた辻元清美に期待を寄せて、このコラムを結んでいる。

 そうなると、政界全体を見渡せば、民主党の「最強の57人」がどう動くかが焦点になる。このなかにも潜在的タカ派が少なからずいるようである。であれば、社民党脱藩のハンディ、民主党逆風を生き残った辻元清美氏にはハト派リベラル勢力の結集軸として、女坂本龍馬のごとく走り回ってもらわねばなるまい。


 「潜在的タカ派」とは野田前首相や前原誠司、長島昭久らを指すのだろうか。私は、彼らは現実主義者とでも評すべきで、「タカ派」の語感は不似合いだと思うが。
 そして、誰に何を期待しようが個人の自由ではあるが、辻元は社民党の連立政権離脱後、野党であるだけでは日本を変えることはできない、「現実との格闘から逃げずに仕事を進めたい」として離党し、菅首相の補佐官を経て民主党に加わった人物である。

 その特異なパーソナリティで熱烈な支持者を確保できる人物ではあるのだろうが、「ハト派リベラル」といった理念に殉じるタイプでもなければ、主義主張のやや異なる様々な人物を口説いて結集し得るタイプでもないように思う。現に先の民主党代表選で目立った動きを見せたとは聞かない。
 私は彼女が明日民主党を離党すると言っても驚かないし、自民党や維新の会、あるいは生活の党に加わると言っても驚かない。彼女はそうした融通無碍なタイプであろうし、それは別に政治家として非難すべきことでもなく、政治家は結局のところ何をやったかで評価すべきであろうから。
 ただ、そんな彼女を「女坂本龍馬」に見立て得る早野の想像力にはほとほと感心する。

 私は結構長く朝日を購読しているが(中断していた時期もある)、この早野透と、若宮啓文(現主筆)の政治記事やコラムがたいへん不快だった。何をろくでもないこと書いてるんだろうかと思って筆者を確認すると大抵この二人だった。
 このようなメンタリティの持ち主が大新聞の政治面を牛耳ってきたことは、わが国にとって不幸であったとつくづく思う。

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「脱原発」に不賛成なら「非国民」?

2012-12-13 23:03:34 | 珍妙な人々
 朝日新聞夕刊に長期連載中の「ニッポン人脈記」。
 12月10日付けの「民主主義 ここから」第13回は、「少しずつ社会を変える」との見出しで、反原発運動を取り上げていた。
 その中の一節。

 「脱原発」を訴える市民集会「さようなら原発10万人集会」。7月には主催者発表で約17万人が全国から集まり、会場となった東京・代々木公園を埋め尽くした。
 作家の落合恵子(67)は「私たちは決してひるみません。野田政権に訊(き)きます。あなたたちが『国民』という時、一体誰を見ているのか。今日ここにいるのが『国民』であり、市民なのです」と訴え、大きな拍手を浴びた。


 こうした主張、それを容認する感覚が、私がどうしても彼らに賛同できない部分だ。

 反原発運動に参加する者こそが「国民」であり、それ以外の者は「国民」ではない。
 将来の脱原発を志向するにしろ、安全性を確認した上での再稼働は認めてよいのではないかと考える者は「国民」ではない。

 「国民」でなければ何なのか。「非国民」なのか。

 ましてや、それでも原発を存続すべきだと考える者は、魑魅魍魎、妖怪変化のたぐいということになるのではないか。

 「さようなら原発10万人集会」で検索してみると、主催者がまとめた発言録があった。
 そこに収められた落合の発言の一部。

私たちの怒り、いま外は33℃といっていますが、冗談じゃありません、100℃超えています。私たちは、命への、暮らしへの、この重大なる犯罪と侵略行為の共犯者になることはできません。私たちは二度と加害者にも被害者にもなりません。そのことを約束するために今日ここへ集まっています。自らの存在にかけて、闘うことをやめません。原発はいりません、再稼働を許しません。原発輸出させません。すべての原発を廃炉にします。
私たちが守るのはたった一つ、命です。命であり、暮らしであり、田畑であり、海であり、空であり。原発はもとより、オスプレイも基地も全部反対です。私たちはすべての命を脅かすものとここで対峙していきましょう。子どもがいて、お年寄りがいて、人と人がつながっていて。あの日常を返せ!


 「すべての命をおびやかすもの」に反対するのなら、自動車事故で毎年何千もの人が亡くなっているのだから、自動車の存在にも反対してはどうか。
 今も裁判が続いている福知山線脱線事故のように、鉄道も多数の人命を奪うことがあるのだから、鉄道の廃止も主張してはいかがか。
 旅客機が墜落すればオスプレイ以上の大惨事になるのだから、オスプレイだけでなく旅客機の全面禁止も訴えるべきではないか。

 もちろん、原発事故は、これらとはまた別種の、より大きく長期にわたる被害をもたらす。使用済み燃料の問題もある。
 だから、ゆくゆくは廃止すべきだろうと私も思う。
 しかし、無理な節電も命を脅かす。
 電力会社の経営難や倒産も、命を脅かす。
 電気代値上げや電力供給の不安定化により国内企業の経済活動が低下すれば、それもまた命を脅かす。
 無理をせず、既設の原発は活用しつつ漸減を図るという考えでは、「国民」とは認めてもらえないのだろうか。

私たちは性懲りもなく原発を推進する人たちに、本当の民主主義とは何なのか教えなければ。私たちの声は、「大きな音」ではないのです。原発推進を、独裁を挫折させてやろうじゃないか。そして、こんなにつらい思いをしている子どもたちに、もう少しましな明日を残してから死んでいきましょう。もう一度約束です。再稼働反対、原発そのものに反対。すべてに反対することから命は再生していくこと。


 自分たちの運動が「本当の民主主義」であり、現在の民主制により成立した野田政権は「独裁」なのだと。
 資本主義の下での代議制はブルジョワ独裁であり、革命によるプロレタリア独裁こそが真に民主的であると説いたマルクス主義者と瓜二つだ。

 「すべてに反対することから命は再生していく」って、あんたら、とにかく「○○反対」って言いたいだけじゃないの。
 「運動」がしたいだけじゃないの。
 同じ発言録で坂本龍一は、自分は42年前の18歳のときにも、日米安保改定反対でこの代々木公園にいたと語っている。

 主催者による写真報告の記事を見ていると、こんなコメントがあった。

野田総理と原発反対官邸前抗議行動連合の皆さんとの話し合いが行われましたが、自分の立場、保身しか考えることのできない政治家ばかりに憤りを強く感じています。

先日、大津市のいじめ問題で教育長に対して報復を実行した19歳の少年がおりました。やった行為は間違っていますが、教育長を襲うことで、「いじめ」撲滅を訴えたものと思います。

同じ殺人未遂罪で罰を受けるのであれば教育長を襲って逮捕されるよりも・・・・・・

これは失言ですが、それぐらい真剣に考えていることを野田総理にわかったもらいたいです。


 テロリストの思想である。

 今回の脱原発運動は、組織された労働者や学生によるものではなく、広い階層にわたる普通の市民が自発的に参加しており、新しい直接民主主義の萌芽であるといったことがよく言われる。
 私はそうした「運動」の現場はよく知らないが、たしかにそうした面はあるのだろう。
 しかし、主催者側の本質は、必ずしもそうではないのではないか。

 民主主義というのは国民の様々な主張や利害を汲み上げて調整するものであり、選挙で当選した者に白紙委任するものではないといった主張が朝日の紙面でよく見られる。私も基本的にはそう思う。
 ならば、我らこそが民主主義であり他は民主主義ではないなどという主張は、およそ民主的とは言えないのではないか。
 しかし、朝日がそうした視点から彼らを批判することはない。

 今回の総選挙で即時脱原発を掲げる政党は劣勢だと聞く。
 今後、即時脱原発に反対する者に「非国民」「亡国の徒」「売国奴」といった非難が浴びせられるようになったとしても、私は驚かない。
 そして、さらに過激な事態が生じたとしても。

 自らに正義があると信じ込んだ者どもがしでかすことほど恐ろしいものはない。

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側室・妾は戦後の価値観で許されなくなったと説く竹田恒泰

2012-10-28 10:05:28 | 珍妙な人々
 前々回の記事を書くために竹田恒泰『語られなかった皇族の歴史』(小学館、2006)を読み返していると、次のような記述があった。

 現在のアラブ諸国と同様に、戦前までの日本では、一般人であっても経済的に余裕があれば妾を持つことが社会的に認められており、妾に何ら違和感はなかった。しかし終戦後は俄(にわか)に妾を悪とし、一夫一婦主義を唱えるキリスト教思想が日本を支配することになり、妾を認めない社会に変わったのである。これにより、天皇の側室は国民感情の許さないものとなってしまった。(p.67)


 そんなわけないだろ。

 明治時代において、キリスト教思想の影響からか、一夫一婦主義は既に唱えられていた。
 だから、1898年に施行された民法で、一夫一婦が制度として取り入れられ、庶子(妾の子)は相続面で差別されることになったのではないか。
(例えば、All About の「明治の初めまで日本も一夫多妻制だった!?」参照)

 そして、ジャーナリズムの発達とともに、権力者や富裕層が妾を持つことへの批判も生じた。
 黒岩涙香(1862-1920)が『萬朝報』(1892年創刊)で「弊風一班 蓄妾の実例」を連載して著名人の蓄妾を暴き、売り上げを伸ばしたのを知らないのか。

 だからこそ、大正天皇(1900年結婚)は側室を置かず、昭和天皇(1924年結婚)は「人倫にもとる」と側室制度そのものを廃止したのではないのか。

 一方で、「一般人であっても経済的に余裕があれば妾を持つこと」は、こんにちでも、表沙汰にならないだけで、「認められて」いるのではないか。「終戦後は俄に妾を悪とし」「妾を認めない社会に変わった」とは必ずしも言えないのではないか。
 時折、政治家などの女性問題がマスコミをにぎわすことがあるが、あれらは男女ともに著名人であるか、女性側が捨てられた、裏切られたなどとして告発に及ぶケースが多いのではないか。女性側が無名であり、穏当に関係が成立しているにもかかわらず、非難されるケースは少ないのではないか。
 また、それら非難されるケースは政治家や官僚といったいわゆる公人、あるいは芸能人であり、経済界をはじめとする民間人のその種の関係が非難されることはまれではないか。

 だから、側室の存在を国民感情が許さなくなったとすれば、それは敗戦後のことではなく、戦前において天皇の側が率先して制度を廃止したことによるものではないか。

 なお、イスラム社会の一夫多妻制における妻は、全て正妻である。側室や妾とは違う。
 そして、側室と妾はまた違う。側室は、子を産まなければ、ただの女官であって、正妻に準ずる扱いなど受けない。まさに「産む機械」である。

 私は、慶応を出て30過ぎてこんなことを書いている輩に、皇室がどうの、わが国の歴史がどうのと、したり顔で語ってもらいたくない。

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主催者側発表と警察側発表

2012-09-12 00:15:56 | 珍妙な人々
 6月に、BLOGOSに転載された藤代裕之の「官邸前デモで考える、誰もがジャーナリスト時代のメディアリテラシー」という記事を読んでいると、こんな記述があった。

ソーシャルメディア上では、マスメディアの取り上げ方や参加者数の違いが盛り上がっていました。

ウェブ版ですが朝日、毎日、読売、産経、東京の見出しと記事の人数を比べてみましょう。

〔中略〕

朝日、毎日が、主催者と警察発表併記。東京が主催者のみ。読売と産経が警察発表です。列の長さは、朝日と毎日が700メートル、読売と産経、東京が500メートルです。

〔中略〕

次に、参加者の人数について。

主催者側が数字を「盛る」ことはデモや集会などの社会運動で古くから行われています。記者時代に労組の集会に取材にいくと、自分で数えた数字と発表が10倍ぐらい盛ってて驚く時もあったほどです。人出は、面積(歩道の広さや列の長さ)×密度で計算できます。ちょっとでも参加した人も含めれば、延べ人数は相当になりそうですが、官邸周辺の道路で4.5万人というはさすがに多すぎる気がします。

デモに関して、Twitterで朝日新聞モスクワ支局の関根記者 @usausa_sekine: や毎日新聞の石戸記者@satoruishido:とTwitter上でやり取りしましたが、デモは多くの場合、現在の体制に反対するものです。反原発や再稼働反対は、野田政権の方向性とは異なります。警察は治安を維持する組織ですから、小さく見積もるのが「お仕事だ」と言えるでしょう。むしろ、警察が1万を超える数字を発表したのはインパクトがあるなあと感じたほどです。


 面白いことを言うものだと思った。

 警察は治安を維持するための組織だからこそ、正確な人数の把握が必要なのではないのだろうか。
 あるいは、組織維持のため、また士気を高めるため、監視対象を大きく見積もることはあるかもしれない。しかし、「小さく見積もるのが「お仕事だ」」などということが有り得るだろうか。小さく見積もりすぎたがために制御できなくなったらどうするのか。

 私もこのころの主催者発表と警察側発表の数字の落差が気になっていた。というか、いくら何でも「盛」りすぎではないかと感じていた。

 昔々、呉智英の『バカにつける薬』(双葉社、1988)を読んで、主催者発表などというものは全くあてにならないという程度の知識はあった。
 今、同書を読み返してみると、
「こんなものいらない!?――「主催者側発表」」
という文章だった。1992年に休刊した週刊誌『朝日ジャーナル』の「日常からの疑問」というコーナーに1985年に掲載されたものらしい。
 呉は次のように述べている。

 冠せられたタイトルは「日常からの疑問」なのだが、私にとっては「昔からの疑問」でもあったのが〝主催者側発表〟である。主催者側発表といっても、一般的な意味での「主催者による発表」のことではない。別名を〝大本営発表〟とも〝水増し発表〟とも言う主催者側発表のことである。すなわち、革新団体による集会やデモの参加者数についての主催者側発表のことである。
 〔中略〕私が参加した集会やデモは数知れなかったが、そのうち、私が現認した参加者数と主催者側発表が一致したことは一度もなかった。
 新左翼だけのことではない。社会党・共産党の旧左翼も、もちろんそうだった。少なくとも四割や五割は水増しだったし、多い時には五十割増しや六十割増しも珍しいことではなかった。主催者側発表について、指導者に問い質したこともあったが、大したことではない、というような答えで、うやむやになることが多かった。
 〔中略〕
 さて、それから十数年。最近の集会事情やデモ事情を聞くにつけ、全く変わっていないと思わざるをえない。
 ごく最近の例では、昨84年十二月九日のアメリカの原子力空母カールビンソン反対集会である。横須賀では大規模な反対集会とデモが行われたが、十日付の『朝日新聞』によると、それは次のように違っている。
 社会党系
  主催者側発表一万八千人
  神奈川県警発表七千百人
 共産党系
  主催者側発表一万八千人
  神奈川県警発表七千百人
 いずれも、主催者側発表は係数をかけたように警察側発表の二・五倍である。
 〔中略〕
 なんという不思議なことであろう。なんという矛盾であろう。
 私は、もちろん、警察側発表が常に正しいなどと思っているわけではない。国家権力がさまざまなデッチ上げをすることは珍しくもない。〔中略〕
 また、私は、国家権力並みの組織力を持たない反体制勢力が、集会参加者を集計する精度を上げるのに限界があることも、十分に理解している。一割や二割の誤差をあげつらう必要はないのだ。しかし、どんなにルーズな組織力でも、二十割も三十割も四十割もの誤差を出すことはありえないはずである。
〔中略〕
 私は、こういう革新勢力が、カールビンソンには核疑惑があるの、政府声明は信用できないのとぶちあげる神経を疑う。それだけではない。ここ数年間、教科書検定を問題にしてきたのはだれだったのか。広島や長崎の原爆被災者数の数を少なめに記載させよう、南京虐殺の犠牲者の数をごまかそう、とする政府に対し、〝正論〟を吐いたその口で、自分たちの都合のいい時は、人数を二倍だろうと三倍だろうと四倍だろうと、主催者側発表して恥じないのである。戦時中の大本営発表の嘘を暴いて得意のその舌の根も乾かぬうちに、主催者側発表なのである。


 呉は、彼らはイソップ寓話の狼少年同様、「常日ごろから嘘ばっかり言っていると、たまに本当のことを言ったり、たまにいいことを言っても、だれも信用してくれない」とし、さらに、彼らによる革新政権なり革命政権なりがめでたく成就した場合、これらの集会やデモの参加者の人数はどう記述されるのだろうか、訂正されるのかそれともそのままだろうかと疑問を呈してこの文を結んでいる。

 そしてさらに、「主催者V.S.警察」と題する小さな囲み記事が載っている。この文が掲載された際に『朝日ジャーナル』編集部が取材して添えたものなのだろう。

主催者V.S.警察
 総評国民運動部
「例えば、東京の明治公園がいっぱいになれば何人だが、きょうは何割入っているから何人ぐらいというのが一つ。もう一つは、単産が事前にまとめる基礎動員数。この二つから集会・デモの参加者数をはじいています。
 水増し発表をするつもりはないが、なかには政治的発表もあるでしょう。『一〇万人集会』とか言っておきながら、少ししか集まらないと、次の集会につながっていきませんから。
 カールビンソン反対集会で発表した一万八千人には、五千人くらいの水増しはあったと思うが、警察発表の参加者七千人ということはない。どうも警察は、主催者側発表の半分くらいの数字を発表しているようですな」
 警視庁警備部
「計数機を使って、一人一人数えています。集会のあとデモに出るので、交通整理の必要があるからです。何人くらいで数えているかって? そこまで話していいのかどうか……。主催者側がどんな数字を発表しようと、向こうの勝手ですが、計数機を持っている人など、見たことありませんね」(「朝日ジャーナル」編集部取材)

 
 さて、それから二十数年。主催者側発表の在り方は、やはり「全く変わっていないと思わざるをえない。」

 ただ、現在でも同様の算定方法をとっているのだろうか。
 そんな疑問を覚えていると、7月6日の官邸前デモを伝える7日付朝日新聞朝刊の

抗議の矛先は首相に
再稼働反対「訴え続ける」

 関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働に抗議する大規模な行動が、6日夜も首相官邸前で行われた。主催者発表で約15万人(警視庁調べで約2万1千人)の参加者の怒りの矛先は、民意に正面から向き合わずに「決断」ばかり強調する野田佳彦首相の政治姿勢に向かう。


という記事に、次のような解説記事が添えられていた。こういったあたりはさすが朝日。

参加者の数に差 主催者と警察

 官邸前での抗議行動の参加者数は、前回6月29日も主催者発表(15~18万人)と警視庁調べ(約1万7千人)に差があった。
 主催者によると、午後6時の抗議開始から30分ほどしたところで、数人で手分けして計数機でカウント。その人数を基準に、終了直前ごろに何倍ぐらいに増えたかを目視で測り、参加人数を推定しているという。
 一方、警視庁は、関係者によると、会場の混み具合から単位面積あたりの人数を推定し、会場全体の面積を掛け合わせて人数を算出している。「身動きが取れないほどの混雑なら1平方メートルあたり8人」など、基本となる人数の推定には様々なノウハウがあるが、外部には公表していないという。


 二十数年前とはだいぶ算定方法は違うらしい。
 とはいえ、どちらも主催者側発表の方が、誤認や恣意的な要素が入りやすいことに変わりはない。

 そして、主催者側が「狼少年」であることも、二十数年前とも、呉が学生運動に参加した四十数年前とも、何ら変わりはないと言えるだろう。

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内田樹「領土問題は終わらない」を読んで

2012-08-26 02:10:26 | 珍妙な人々
 BLOGOSに転載された、内田樹の「領土問題は終わらない」という記事を読んだ。

 不審な点が多々あるので、書き留めておく。

韓国大統領の竹島上陸と尖閣への香港の活動家の上陸で、メディアが騒然としている。

私のところにも続けて三社から取材と寄稿依頼が来た。

寄稿依頼は文藝春秋で、この問題について400~800字のコメントを、というものだった。

そのような短い字数で外交問題について正確な分析や見通しが語られるはずがないのでお断りした。

日米安保条約について、あるいは北方領土問題について400字以内で意見を述べることが「できる」というふうに文藝春秋の編集者が信じているとしたら、彼らは「あまりにテレビを見過ぎてきた」と言うほかない。


 何だか言いがかりじみている。
 「日米安保条約について」「北方領土問題について」400字で一から論じよというのなら確かに無理な話だ。しかし、韓国大統領の竹島上陸や尖閣諸島への香港の活動家の上陸について、400字で意見を述べるのはできなくもないだろう。実際それに応じている識者も多数いるだろう。
 「正確な分析や見通しが語られるはずがない」と言うが、そんなことは編集者も承知しているだろう。その上で、なるべく多くの識者の知見を載せたいのだろう。
 そもそも文藝春秋の依頼は「400~800字のコメントを」というのだから、「400字以内で」ではない。また、日米安保や北方領土問題についてのコメントを依頼してきたわけでもないのに、不思議な反応だ。
 依頼を断るのは内田の自由だが、わざわざ公にしなければならないことだろうか。文藝春秋に何か含むところでもあるのだろうか。
 あるいは、俺って仕事を選べるんだぜという自慢か。そんなつまらん依頼をよこすなよという牽制か。

『GQ』と毎日新聞の取材にはそれぞれ20分ほど話した。

とりあえず、「中華思想には国境という概念がない」ということと「領土問題には目に見えている以外に多くのステイクホルダーがいる」ということだけには言及できた。

華夷秩序的コスモロジーには「国境」という概念がないということは『日本辺境論』でも述べた。

私の創見ではない。津田左右吉がそう言ったのを引用しただけである。

「中国人が考えている中国」のイメージに、私たち日本人は簡単には想像が及ばない。

中国人の「ここからここまでが中国」という宇宙論的な世界把握は2000年前にはもう輪郭が完成していた。「国民国家」とか「国際法」とかいう概念ができる1500年も前の話である。

だから、それが国際法に規定している国民国家の境界線の概念と一致しないと文句をつけても始まらない。

勘違いしてほしくないが、私は「中国人の言い分が正しい」と言っているわけではない。

彼らに「国境」という概念(があるとすれば)それは私たちの国境概念とはずいぶん違うものではないかと言っているのである。

日清戦争のとき明治政府の外交の重鎮であった陸奥宗光は近代の国際法の規定する国民国家や国境の概念と清朝のそれは「氷炭相容れざる」ほど違っていたと『蹇蹇録』に記している。

陸奥はそれを知った上で、この概念の違いを利用して領土問題でアドバンテージをとる方法を工夫した(そしてそれに成功した)。

陸奥のすすめた帝国主義的領土拡張政策に私は同意しないが、彼が他国人の外交戦略を分析するときに当今の政治家よりはるかにリアリストであったことは認めざるを得ない。

国境付近の帰属のはっきりしない土地については、それが「あいまい」であることを中国人はあまり苦にしない(台湾やかつての琉球に対しての態度からもそれは知れる)。

彼らがナーバスになるのは、「ここから先は中国ではない」という言い方をされて切り立てられたときである。

華夷秩序では、中華皇帝から同心円的に拡がる「王化の光」は拡がるについて光量を失い、フェイドアウトする。だんだん中華の光が及ばない地域になってゆく。だが、「ここから先は暗闇」というデジタルな境界線があるわけではない。それを認めることは華夷秩序コスモロジーになじまない。

繰り返し言うが、私は「そういう考え方に理がある」と言っているのではない。

そうではなくて、明治の政治家は中国人が「そういう考え方」をするということを知っており、それを「勘定に入れる」ことができたが、現代日本では、政治家もメディアも、「自分とは違う考え方をする人間」の思考を理解しようとしないことを指摘しているだけである。


 なるほど、と思わせられる。
 たしかに、中華思想に基づく国境感とはそのようなものであったろうし、琉球処分や台湾の割譲に対しても、際だった抵抗は見せていない。
 故に、尖閣諸島についても、「あいまい」な状態であることを中国人は望むのだろう。日本人は、中国人がそのような「自分とは違う考え方をする人間」であることを理解し、それに対応した政策を採らないと「領土問題は永遠に解決しない」だろう、と。

 しかし、少し考えてみると、これはおかしい。

 尖閣諸島がわが国の領土に編入されたのは日清戦争さなかの1895年のことである。しかしこれは戦争によって獲得したものではなく、無人島であり清国の支配が及んでいない諸島を編入したにすぎない。日清戦争の結果わが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島とは異なる。
 そして、清国を倒して成立した中華民国も、それを台湾に放逐した中華人民共和国も、尖閣諸島を何ら問題にしてこなかった。
 よく知られているように、1970年に石油埋蔵の可能性が指摘されて、はじめて両国ともその領有権を主張をするに至ったのである。

 だから、

彼らがナーバスになるのは、「ここから先は中国ではない」という言い方をされて切り立てられたときである。


と、あたかも国境を明確にしたことが彼らの怒りを呼んだかのように語るのは、正しくない。

 中華人民共和国とロシアとの間の国境紛争は、ロシアがソ連だったころから長らく続いていたが、2004年にプーチン大統領と胡錦濤国家主席の間で最終的な合意が成立した。明確な国境が定められたのであり、「あいまい」な状態が維持されたのではない。
 それをもって中華人民共和国政府や中国共産党、あるいは同国の国民が「ナーバスにな」ったとは聞かない。

 そもそも中国に限らず、古来、国境などというものは、「あいまい」であったろう。
 明確な国境線の画定と、それに伴う領土問題の発生は、おそらくは近代ヨーロッパに始まるのだろう。
 わが国にしたって、国境を画定したのは、欧米列強との交渉を余儀なくされた19世紀後半に至ってからのことだ。

 私は『蹇蹇録』を読んでいないので、陸奥が近代の国民国家や国境の概念と清国のそれとがどのように違っていたと記しているのか、またそれを利用してどのように領土問題でアドバンテージをとったのか、正確には知らない。
 だが、この内田の文から察するに、化外の地である台湾は、清国にとってそれほど重みを持たなかったという程度のことなのではないだろうか。
 だとすれば、陸奥の時代、清国に対しては、たしかにそのような認識によって、わが国は交渉を優位に進め得たのかもしれない。
 しかし、現代においてはどうだろうか。
 中華人民共和国や中華民国(台湾)が尖閣諸島を明確に領土だと主張している現在、内田が言うような中華思想に基づく世界観を考慮することに何の意味があるだろうか。

 これは要するに、現実に立脚した話ではなく、何か気の利いたこと、一風変わったことを口にして、商品にしてやろうというだけのことではないだろうか。
 仮に内田の言うとおりだとして、では現代の中国にはどう当たるべきなのか、その具体的な提言はない。単なる放言である。
 自分は思想家としてこんなオモシロイ見方を考えたよ、でも現実への対応は政治家や官僚諸君に任せたからヨロシクね、ということでしかない。

周恩来は1973年の日中共同声明において、日本に「日本側は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」という文言を呑ませたが、戦時賠償請求は放棄した。

周恩来は賠償金を受け取るよりも一行の謝罪の言葉を公文書に記させることの方が国益増大に資するという判断をした。

「言葉」を「金」より重く見たのである。

これは「誰でもそうする」という政治判断ではない。


 声明に「謝罪の言葉」を入れることと賠償請求が二者択一であるかのように書いているが、これはおかしい。
 「謝罪の言葉」があって、なおかつ賠償を認めさせることも可能だろう。
 「謝罪の言葉」がなくても、賠償を認めさせることもまた可能だろう。

 賠償請求を放棄したのは、米国をはじめとする多くの交戦国もまたサンフランシスコ平和条約でこれを放棄しており、そして何より日華平和条約で中華民国政府もまた放棄していたからだろう。
 したがって、中華人民共和国政府が中華民国に代わって中国における唯一合法の政府であるという立場を継承するなら、賠償請求権の放棄もまた継承すべきであるというのがわが国の立場だった。それを中華人民共和国政府が受け入れたというだけのことにすぎない。
 中華人民共和国にとっても、わが国との国交正常化は喫緊の課題であった。周恩来に限らず「誰もがそう」しただろう。

 「謝罪の言葉」を入れさせたことは中華人民共和国の外交的成果だと言えるだろう。日華平和条約には「謝罪の言葉」はない。
 しかし、サンフランシスコ平和条約にもまた「謝罪の言葉」はない。それが当時の国際常識だったのだろう。
 では何故、中華人民共和国政府は「謝罪の言葉」を要求し、わが国もまたそれに応じたか。それは、わが国の米英蘭豪などとの戦いは言わば普通の戦争であったが、中国との戦いは端的に言って侵略戦争であったということ、中華人民共和国はイデオロギーに基づく政権であり中華民国政府のように国際常識にはとらわれなかったこと、そして、わが国としてもその点に言及するのはやむを得ないとの贖罪意識があったからだろう。
 服部龍二『日中国交正常化』(中公新書、2011)によると、日中国交正常化交渉当時外務省中国課長を務め、交渉に深く関与した橋本恕は、2008年に行われたインタビューで服部に対しこう語ったという。

田中さんと大平さんでどこが違うかというと、角さんも大平さんも、あの当時の日本人の一人として、中国に対してね、ずいぶん中国人をひどい目に遭わせたという、いわゆるギルティ・コンシャネス〔罪の意識〕を共通に持っていました。しかし、中国に対するこのギルティ・コンシャネスが一番強烈なのが大平さんだったと、私は思っているのです。(p.46)


 なお、日中共同声明は内田の言う1973年ではなく1972年である。

小平は78年に有名な「棚上げ論」を語った。

複雑な係争案件については、正しい唯一の解決を可及的すみやかに達成しようとすることがつねに両国の国益に資するものではないという小平談話にはいろいろ批判もあるが、それが「誰でも言いそうなこと」ではないということは揺るがない。例えば、国内における政治基盤が脆い政治家にはそんなことは口が裂けても言えない。


 棚上げといえば、わが国は北方領土を棚上げしてソ連との国交を回復し、竹島を棚上げして韓国との国交を樹立した。
 鳩山一郎や佐藤栄作がこの棚上げについてどう語っているか、ここで確かめる余裕はない。しかし、考え方としては、ここで内田が挙げている小平の「正しい唯一の解決を可及的すみやかに達成しようとすることがつねに両国の国益に資するものではない」と全く変わらないだろう。
 そしてそれはまた、小泉政権や今回の野田政権の下での尖閣諸島に上陸した中国人の強制送還とも同様だろう。
 政治基盤が脆かろうが脆くなかろうが、政治家なら誰しもがそう対応するのではないだろうか。

もうひとつメディアがまったく報じないのは、「領土問題の他のステイクホルダー」のことである。

領土問題は二国間問題ではない。

前にも書いたことだが、例えば北方領土問題は「南方領土問題」とセットになっている。

ソ連は1960年に「日米安保条約が締結されて日本国内に米軍が常駐するなら、北方領土は返還できない」と言ってきた。

その主張の筋目は今も変わっていない。

だが、メディアや政治家はこの問題がまるで日ロ二カ国「だけ」の係争案件であるかのように語っている。アメリカが動かないと「話にならない」話をまるでアメリカに関係のない話であるかのように進めている。それなら問題が解決しないのは当たり前である。
 

 ソ連は1960年に「北方領土は返還できない」と言ってきたのではない。
 1956年の日ソ共同宣言では、両国間に平和条約が締結された後、ソ連は歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すとされている。
 だが、1960年の日米安保条約の改定に際して、この引き渡しには日本領土からの全外国軍隊の撤退を要すると新たな条件を一方的に付けてきたのだ。そしてさらに、領土問題は解決済みと主張した。
 双方が合意した内容を一方的に翻したのである。つまり、背信行為である。
 このような国とまともな外交はできない。

 しかし、現在のロシアは、同じような主張はしていない。
 エリツィン政権もプーチン政権も、日ソ共同宣言を有効であると認めている。
 メドヴェージェフは大統領時代と首相時代の二度にわたって国後島を訪問したが、彼がそれに際し、在日米軍の存在を批判したとは聞かない。
 内田は、何をもって、「その主張の筋目は今も変わっていない」と言うのだろうか。

 また、仮にそうだとして、その要求に従って在日米軍の撤退が実現したとしても、それでロシアが引き渡しに応じるのは歯舞群島と色丹島のみである。択捉、国後は含まれていない。
 したがって、在日米軍の撤退によって領土問題は解決などしない。

当のアメリカは北方領土問題の解決を望んでいない。

それが米軍の日本常駐の終結と「沖縄返還」とセットのものだからだ。

領土問題が解決すれば、日本は敗戦時から外国軍に不当占拠されている北方領土と「南方領土」の両方を獲得することになる。

全国民が歓呼の声で迎えてよいはずのこのソリューションが採択されないのは、アメリカがそれを望んでいないからである。

あるいは「アメリカはそれを望んでいない」と日本の政治家や官僚やメディアが「忖度」しているからである。


 「アメリカがそれを望んでいない」かどうかは私は知らないが、内田が言う「ソリューションが採択されない」のは、何よりわが国民が、在日米軍の全面撤退などという事態を望んでいないからだろう。
 「国内に治外法権の外国軍の駐留基地を持つ限り、その国は主権国家としての条件を全うしていない」と考える内田としては、全面撤退が望むところなのだろう。
 だが、多くの国民はそれを望んでいない。それだけのことだろう。
 望んでいるのなら、そう主張する政治家や政党がもっと支持を得ていいはずである。

 それに、沖縄は既にわが国に返還されている。軍事的要素だけが肝心なのなら、ソ連も沖縄返還に合わせて自軍の基地を残したまま北方領土の返還をわが国に持ちかけるべきではなかったか。
 もちろんそんなことは有り得ない。
 「北方領土問題は「南方領土問題」とセットになって」などいないのである。

竹島はまた違う問題である。

さいわい、この問題は今以上こじれることはない。

「こういう厭な感じ」がいつまでもエンドレスで続くだけである。

あるいはもっと重大な衝突が起きるかもしれないが、軍事的衝突にまでは決してゆかない。

それは私が保証する。

というのは、もし竹島で日韓両軍が交戦状態に入ったら、当然日本政府はアメリカに対して、日米安保条約に基づいて出動を要請するからである。

安保条第五条にはこう書いてある。

「両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。」

領土内への他国の軍隊の侵入は誰がどう言いつくろっても日本の「平和及び安全を危うくする」事態である。

こういうときに発動しないなら、いったい安保条約はどういうときに発動するのか。

他国の軍隊が自国領に侵入したときに、米軍が動かなければ、日本国民の過半は「日米安全保障条約は空文だった」という認識に至るだろう。

それはもう誰にも止められない。

そのような空文のために戦後数十年間膨大な予算を投じ、軍事的属国としての屈辱に耐えてきたということを思い出した日本人は激怒して、日米安保条約の即時廃棄を選択するだろう。

竹島への韓国軍上陸の瞬間に、アメリカは東アジアにおける最も「使い勝手のよい」属国をひとつ、永遠に失うことになる。


 この「竹島で日韓両軍が交戦状態に入った」とはどういう事態を想定しているのであろうか。
 自衛隊が竹島奪回を目指してこれに侵攻し、なおかつわが政府が日米安保条約に基づいて米軍に出動を要請するというのだろうか。
 だとすれば、米軍は動かない。

 内田の日米安保条約第5条の引用は正しくない。
 正しい条文は以下のとおりである(東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室のサイトから)。

第五条

 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宜言{宜はママ}する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事国が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。


 「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」となっている。
 竹島はわが国の領土ではあるが施政下にはない。
 そしてそもそも攻撃したのが日本側なら、なおのこと米軍が動く理由にはならない。

 しかし、

それに米韓相互防衛条約というものがあることを忘れてはいけない。

これは「戦時」における作戦統制権は米軍にあると定めている。

だから韓国軍の竹島上陸という「作戦」は在韓米軍司令部の指揮下に実施された軍事作戦なのである。


ここを読むと、韓国軍が竹島に上陸してきたら「竹島で日韓両軍が交戦状態に入った」ことになり、わが国が米軍に出動を要請することになると内田は考えているようにも読める。

 これもおかしな話で、軍が上陸しようがしまいが竹島を韓国が実効支配していることに何ら変わりはない。
 さらに言えば軍が上陸したというだけでは「武力攻撃」には当たらない。
 わが国の反韓感情はさらに高まるだろうが、そんなことでわが国が自衛隊を竹島に派遣し交戦状態に陥ることなど有り得ないし、それで米軍が出動しないからといって「日本人は激怒して、日米安保条約の即時廃棄を選択する」ことなども有り得ない。
 「それは私が保証する。」

つまり、「韓国軍の竹島上陸」はすでに日米安保条約をアメリカが一方的に破棄した場合にしか実現しないのである。

その場合、日本政府にはもはやアメリカと韓国に対して同時に宣戦を布告するというオプションしか残されていない(その前に憲法改正が必要だが)。

しかし、軍事的に孤立無援となった日本が米韓軍と同時に戦うというこのシナリオをまじめに検討している人は自衛隊内部にさえいないと思う(なにしろ北海道以外のすべての日本国内の米軍基地で戦闘が始まるのである)。


 妄想の広がりっぷりにもはやついていけない。

このことからわかるように、外交についての経験則のひとつは「ステイクホルダーの数が多ければ多いほど、問題解決も破局もいずれも実現する確率が減る」ということである。

日本はあらゆる外交関係において「アメリカというステイクホルダー」を絡めている。

だから、日本がフリーハンドであれば達成できたはずの問題はさっぱり解決しないが、その代わり破局的事態の到来は防がれてもいるのである。


 「日本がフリーハンドであれば」とは、日米安保もなければ在日米軍もない状態を指すのだろう。
 では仮にそうなったとして、それで北方領土問題や竹島、尖閣諸島の問題が解決するのだろうか。
 在日米軍がいようがいまいが、北方領土をロシアが返すかどうかは別問題だろう。竹島はなおさら無関係だ。
 それとも内田は、アルゼンチンが英領フォークランドに侵攻したように、わが国の武力行使による解決を目指すべきだというのだろうか。
 しかし、わが国は内田の支持する憲法第9条によって、「国際紛争を解決する手段」としての「武力の行使」を放棄させられている。
 どうにもならない。
 尖閣諸島に至っては、仮に中華人民共和国が侵攻してきたとしたら、わが国は自衛権を発動し、応戦することになるだろう。
 しかし、わが自衛隊だけではその撃退が困難であれば、日米安保がない場合、国際連合憲章第7章に基づく国連軍の派遣を要請するとしても、当の中華人民共和国が国連安保理の常任理事国なのである。
 したがって、国連軍の派遣は期待できず、尖閣諸島が中華人民共和国に実効支配されてしまうという事態も有り得る。

 「日本がフリーハンドであ」ったとしても、北方領土や竹島や尖閣諸島の問題が解決できるとは到底言えない。

 内田は、中途半端に聞きかじったいくつかの知識を根拠に、領土問題全般について寝言をほざいているだけだと感じる。

 不思議なことだが、こういった珍論でもそれを求める読者や編集者がおり、それ故に商品として流通するのだろう。
 しかし、商品価値はあっても、それらは事実誤認を多々含む戯れ言にすぎず、現実の問題解決にに何ら資するものではない。要するに、単なるヨタ話にすぎない。
 そういったことは、読者の頭の片隅に置いていただきたいものだ。


(以下2012.8.27 00:39付記)

 内田は、米韓相互防衛条約は「「戦時」における作戦統制権は米軍にあると定めている」としているが、念のため、東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室のサイトで同条約の内容を確認したところ、そのような文言は見当たらない。

 コトバンクの「戦時作戦統制権移管の米韓合意」という項目には、

1950年からの朝鮮戦争、それへの米軍主体の国連軍派遣という背景から、韓国は自軍の作戦指揮権を50年にマッカーサー国連軍司令官に委譲した。作戦統制権に改称されたあと、78年の米韓連合軍司令部発足によって、この権限は米韓連合軍司令官(在韓米軍司令官が兼務)が継承した。


とある。
 米韓相互防衛条約は関係ないのではないか。

 内田はさらに、

だから韓国軍の竹島上陸という「作戦」は在韓米軍司令部の指揮下に実施された軍事作戦なのである。


と述べているが、竹島上陸がわが国からの攻撃に対する応戦でなく、単なる示威行動なら、それは「平時」であるから、韓国の判断で行えることであり、在韓米軍は関係ない。
 これまたヨタ話。

 なお、このコトバンクの解説には、

2007年2月の米韓国防相会談で、米軍が持っている朝鮮半島の戦時作戦統制権を12年4月に韓国軍に移すことで合意した。〔中略〕移管されれば、米韓連合軍司令部は解体され、北朝鮮の想定行動によって各種策定されている共同作戦計画も見直さなければならない。韓国内では、北朝鮮の核問題などが解決しないなかで韓国軍独自の対応能力・装備への不安もあり、野党や元国防関係者を中心に移管合意への強い批判が出た。08年2月に大統領に就任するハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)氏側にも移管時期の再検討・繰り延べをすべきだとの意見があり、12年移管が合意通りに進むかどうかは不透明だ。


ともあるが、その後この移管は李明博政権の下で2015年末に繰り延べすることになったそうだ。

 そして今年7月、パネッタ米国防長官はこの予定どおり2015年に戦時作戦統制権を韓国側に移管し、米韓連合司令部は解体すると表明している。
 この予定どおりに進めば、内田のヨタのネタ元が一つ減ることになる。 
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映画「ファイナル・ジャッジメント」にまつわる日下公人の妄言

2012-06-03 22:55:53 | 珍妙な人々
 5月25日(金)の朝日新聞夕刊に、映画「ファイナル・ジャッジメント」の全面広告が載っていた。

日本占領
これは、映画か? 現実か?


 いや、映画の宣伝なんだから、映画だろ。

製作総指揮 大川隆法


日本奪還! 6月2日(土)全国ロードショー


 私はこの映画に全く何の関心もないが、載っている推薦文の一つに少し呆れた。

「フランスで社会主義の大統領が誕生し、
中国では共産党内で権力闘争が始まった今日、
この映画は日本人に全体主義の恐ろしさを如実に教えてくれる。
みんな観てください」(評論家・日本財団特別顧問 日下公人)


 「フランスで社会主義の大統領が」とは、先月の大統領選挙で社会党のオランドが現職のサルコジを破って当選したことを指すのだろうが、それが「全体主義の恐ろしさ」と何の関係があると言うのだろうか。フランス社会党が全体主義の政党だとでも言うのか。

 社会党出身のフランスの大統領はこれが初めてではない。フランソワ・ミッテランが1981年から2期14年を務めている。その間フランスでは全体主義化が進んだとでも日下は考えているのか。
 現代の強力な大統領制が成立する前の第四共和政でも、第二次世界大戦前の第三共和政でも社会党首班の内閣は存在した。社会党政権の成立などフランスではありふれたことに過ぎない。

 ドイツのシュレーダー前首相やシュミット、ブラント元首相、イギリスのブラウン前首相やブレア、キャラハン、ウィルソン元首相らも社会主義政党の出身だが、彼らの時代にこれらの国が全体主義化したとでも日下は言うのか。

 また、中国共産党で権力闘争が始まったとは、先の薄熙来の失脚を指すのだろうが、何も中共で今、初めて権力闘争が生じたわけではあるまい。
 中共は結党以来ずっと権力闘争を繰り広げてきたのだ。今さら騒ぎ立てるには及ぶまい。

 日下の名は私でも知っているが、この人がどんな評論活動をしてきたのかはよく知らない。ふだん私が読まないタイプの雑誌や書籍で活躍されておられるのだろう。長谷川慶太郎なんかと並んでやたら景気のいい日本経済論をぶつ御方だったように記憶しているが、自信はない。
 その活動ペースは未だ衰えを見せていないようだが、御年81歳、さすがに思考力は衰えだしているのではないか。

 それとも、スポンサーのため、あるいは国民の危機意識を煽るためなら、フランス社会党を全体主義の一派に加えてもお構いなしの、ただの放言家か。
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