(前回の記事はこちら)
続いて高山は次のように語る。
インドネシアでは華僑に対する排撃はなかったのだろうか。
1965年の9.30事件(インドネシア共産党の影響下にあった左派系将校によるクーデター未遂事件)の際に、大量の華僑が虐殺されたと聞く。
インドネシア共産党は中国共産党の影響下にあったそうだが、華僑を中心に構成されていたとは聞かない。それでもこうした事態が発生したのは、積もり積もった反華僑感情が爆発したのだろうか。
「華人経済研究所」なるブログの「インドネシア華人が恐れる「30年周期」」という記事には、9.30事件についてこんな記述がある。
この記事からは、ほかにも多数の反華人暴動が起きていることがうかがえる。
高山がこうした事実を知らないのなら、東南アジアの華僑を語る割には無知だし、知っていて伏せているのなら悪質だろう。
高山は続いてフィリピンに言及する。
「独立の陣痛がなかったため華僑を追い出すタイミングを失った」
しかし、独立の陣痛があったインドネシアも、高山によると華僑を追い出さなかったことになる。独立の陣痛云々は無意味な言葉だろう。
コラソン・アキノが華僑だとはこの高山の文を読むまで私は知らなかった。
しかし、アキノが大統領に就いたのは、政財界を牛耳る華僑の力によってなのだろうか。マルコス大統領の政敵であり暗殺されたベニグノ・アキノの妻であったため、反マルコスのシンボルとして担ぎ上げられただけではないのだろうか。
それに、彼女が大統領を務めたのは1986年から1992年までのことにすぎない。ではその後のラモス、エストラダ、アロヨはどうなのだろうか。あるいは、その前のマルコスの長期政権は。
たかだか6年間の統治をもって、華僑がフィリピンの全てを支配しているかのような印象を与える高山の姿勢は疑問だ。
ちなみに、フィリピンの独立は米国統治時代から既に決まっていたことであり、わが国が敗北したからさっさと独立させたのではない。
だから、大東亜戦争が東南アジアの植民地の独立を促したという見方は、少なくともフィリピンには当てはまらない。それどころか、わが国はフィリピンの国土を戦場とすることにより、住民に無用な犠牲を与えてしまったと言える。
兵頭二十八は別宮暖朗との共著『技術戦としての第二次世界大戦』(PHP文庫、2007)で、次のような激烈な言葉を残している。
また、こんなブログの記事もある。
「フィリピンに「日本=解放の手助け」論が成立しないのは何故か?」
なお、フィリピンは、他の東南アジアの国々と違って、華人と原住民との混血が多いという。フィリピン独立運動の英雄とされるホセ・リサール(1861-1896)や、19世紀末に独立政府の大統領を一時務めたが米国に敗れたアギナルド(1869-1964)も、華人の血を引くとされる。
さて、高山は、東南アジア諸国における華僑を、植民地時代には白人の手先になって現地人を搾取し、独立後も政財界を牛耳り、一部の国では排斥された存在としか描いていない。
しかし、そうした見方は果たして妥当なのだろうか。
川崎有三『東南アジアの中国人社会』(山川出版社(世界史リブレット)、1996)は、19世紀後半における東南アジアへの華人の大量流入を、次のように描いている。
そうした者たちの中から、やがてその国の経済を牛耳る者が出現するに至ったのだろう。
かつて、アジア4小龍という呼称があった。先進国に続く新興工業経済地域(NIES)のうち、特に発展を遂げた韓国、台湾、香港、シンガポールの4つの国と地域を指す。このうち韓国を除く3つが華人の国と地域であるのは、偶然ではあるまい。
そしてアジアではこの4小龍に、タイやマレーシア、インドネシアといったASEAN諸国が続くとされた。これらの国でも華人がその国の経済をリードしていると聞く。
華人は独自のコミュニティを形成し、現地人と同化しようとしない傾向があるという。そうした閉鎖性が、現地人の警戒心や反発を招いている面もあるのだろう。
だからといって、そうした国々で仮に華人を追放し、現地人だけで国家を運営しようとすれば、それは、白人を追放して現地人のみで国家を運営しようとして破綻したジンバブエのような、いわゆる「失敗国家(failed state)」への道を歩むことになるのではないだろうか。
それに近いことをやったのがビルマやベトナムであり、だからこそ両国ともその後は華人経済をそれなりに容認しているのではないのだろうか。
高山の主張には、往年の黄禍論を見る思いがする。あるいはユダヤ人排撃論と同質のものを。
(続く)
続いて高山は次のように語る。
オランダ領のインドネシアはベトナム型で日本から戦うことを学んで戦後、五年も宗主国に抵抗を続け、世界に独立を認めさせた。ただ白人の手先だった華僑は生き延び、今も政治経済の中枢に生き続けている。
インドネシアでは華僑に対する排撃はなかったのだろうか。
1965年の9.30事件(インドネシア共産党の影響下にあった左派系将校によるクーデター未遂事件)の際に、大量の華僑が虐殺されたと聞く。
インドネシア共産党は中国共産党の影響下にあったそうだが、華僑を中心に構成されていたとは聞かない。それでもこうした事態が発生したのは、積もり積もった反華僑感情が爆発したのだろうか。
「華人経済研究所」なるブログの「インドネシア華人が恐れる「30年周期」」という記事には、9.30事件についてこんな記述がある。
このクーデターに関与したとされるインドネシア共産党に対し、徹底的な弾圧が行われ、同党は壊滅。その間、共産党員や大陸系華人など、50-100万人の人々が大量虐殺の犠牲になったほか、数多くの大陸系華人が中国への帰国を余儀なくされた。教育・文化面でも、インドネシア政府は、「華僑学校における民族教育、語学教育の禁止」、「華字誌の発行停止」、さらに「中国政府と取り決めた二重国籍協定の適用停止」など、インドネシア国籍を持たない華人に対する差別待遇措置をとった。
この記事からは、ほかにも多数の反華人暴動が起きていることがうかがえる。
高山がこうした事実を知らないのなら、東南アジアの華僑を語る割には無知だし、知っていて伏せているのなら悪質だろう。
高山は続いてフィリピンに言及する。
フィリピンを植民地にした米国は日本封じという軍事目的が達成された戦後、さっさとフィリピンを独立させた。独立の陣痛がなかったため華僑を追い出すタイミングを失った。彼らは政財界を牛耳り、アキノを大統領にしている。彼女は福建省の華僑だ。
「独立の陣痛がなかったため華僑を追い出すタイミングを失った」
しかし、独立の陣痛があったインドネシアも、高山によると華僑を追い出さなかったことになる。独立の陣痛云々は無意味な言葉だろう。
コラソン・アキノが華僑だとはこの高山の文を読むまで私は知らなかった。
しかし、アキノが大統領に就いたのは、政財界を牛耳る華僑の力によってなのだろうか。マルコス大統領の政敵であり暗殺されたベニグノ・アキノの妻であったため、反マルコスのシンボルとして担ぎ上げられただけではないのだろうか。
それに、彼女が大統領を務めたのは1986年から1992年までのことにすぎない。ではその後のラモス、エストラダ、アロヨはどうなのだろうか。あるいは、その前のマルコスの長期政権は。
たかだか6年間の統治をもって、華僑がフィリピンの全てを支配しているかのような印象を与える高山の姿勢は疑問だ。
ちなみに、フィリピンの独立は米国統治時代から既に決まっていたことであり、わが国が敗北したからさっさと独立させたのではない。
だから、大東亜戦争が東南アジアの植民地の独立を促したという見方は、少なくともフィリピンには当てはまらない。それどころか、わが国はフィリピンの国土を戦場とすることにより、住民に無用な犠牲を与えてしまったと言える。
兵頭二十八は別宮暖朗との共著『技術戦としての第二次世界大戦』(PHP文庫、2007)で、次のような激烈な言葉を残している。
厚生省その他によれば、フィリピンで日本兵は五一万八〇〇〇人死んでおり、うち四七万人はゲリラに殺されたと見積もられている(一説に死者の八割は餓死)。これはシナ本土で戦死した日本兵四六万人を遙かに上回るのですよ。これに比べればビルマの一四万六〇〇〇人(うちインパールは三万五〇二人)、ニューギニアの一三万人、沖縄の九万四〇〇〇人の戦死は霞んで見えてしまうほどです。
その一方でフィリピン人を戦争に巻き込んだ結果、一一一万人も殺してしまった。これらフィリピン人はシナ人と違って日本に戦争やテロを仕掛けてきたわけではない。いったいこれのどこが「解放の戦い」ですか。頭を下げるなら北京ではなく比島に向かってこそしたらどうだと言うんですよ。(P.325)
また、こんなブログの記事もある。
「フィリピンに「日本=解放の手助け」論が成立しないのは何故か?」
なお、フィリピンは、他の東南アジアの国々と違って、華人と原住民との混血が多いという。フィリピン独立運動の英雄とされるホセ・リサール(1861-1896)や、19世紀末に独立政府の大統領を一時務めたが米国に敗れたアギナルド(1869-1964)も、華人の血を引くとされる。
さて、高山は、東南アジア諸国における華僑を、植民地時代には白人の手先になって現地人を搾取し、独立後も政財界を牛耳り、一部の国では排斥された存在としか描いていない。
しかし、そうした見方は果たして妥当なのだろうか。
川崎有三『東南アジアの中国人社会』(山川出版社(世界史リブレット)、1996)は、19世紀後半における東南アジアへの華人の大量流入を、次のように描いている。
大量移住によってもたらされた中国人移民はおもに肉体労働にたずさわる人びとであった。マラヤ地域における錫鉱山労働者、タイにおける鉄道建設のための労働者などがその例である。中国本土においてはほとんど社会の底辺にあったような貧しい農民、労働者たちが、契約労働者として送り込まれ、激しい労働に従事させられた、アヘンに一時の安らぎをうるような苛酷な生活をしいられたのであった。〔中略〕
こうした移民たちのなかには、数年のちに本土へと帰国する者も多かったが、なかには長く住みつく者たちもいた。彼らはいつまでも肉体労働だけにたずさわっていたわけではない。むしろ、中国人移民たちの特質はその商業的伝統にある。労働者たちはいつまでも労働者ではない。資金を少しでも貯めると、彼らは物売り、行商を始め、それが軌道に乗れば、小さな店をかまえ、より大きな商業機会を求めて発展していく。商売をすることは、あるいは貨幣を媒介としてモノやサーヴィスを売り買いすることは、中国人たちにとって、ほとんど生まれつきに備わった性質であり、その社会化の過程で自然に身についた生き方でもある。
中国人たちに比べて、東南アジア地域の大部分の農民たちは、貨幣経済とのかかわりが薄く、商業的伝統をほとんどもたないに等しかった。東南アジア地域がヨーロッパ勢力の進出により、貨幣経済へと巻き込まれていく過程で、農村地域へ深く浸透していったのは、商業化した中国人たちであった。
そうした者たちの中から、やがてその国の経済を牛耳る者が出現するに至ったのだろう。
かつて、アジア4小龍という呼称があった。先進国に続く新興工業経済地域(NIES)のうち、特に発展を遂げた韓国、台湾、香港、シンガポールの4つの国と地域を指す。このうち韓国を除く3つが華人の国と地域であるのは、偶然ではあるまい。
そしてアジアではこの4小龍に、タイやマレーシア、インドネシアといったASEAN諸国が続くとされた。これらの国でも華人がその国の経済をリードしていると聞く。
華人は独自のコミュニティを形成し、現地人と同化しようとしない傾向があるという。そうした閉鎖性が、現地人の警戒心や反発を招いている面もあるのだろう。
だからといって、そうした国々で仮に華人を追放し、現地人だけで国家を運営しようとすれば、それは、白人を追放して現地人のみで国家を運営しようとして破綻したジンバブエのような、いわゆる「失敗国家(failed state)」への道を歩むことになるのではないだろうか。
それに近いことをやったのがビルマやベトナムであり、だからこそ両国ともその後は華人経済をそれなりに容認しているのではないのだろうか。
高山の主張には、往年の黄禍論を見る思いがする。あるいはユダヤ人排撃論と同質のものを。
(続く)






