久しぶりに、江戸時代のことに書きます。
このシリーズは昨年の11月19日に江戸時代の食事を述べましたが、今回から「江戸時代の教育」について書いてみます。
江戸時代の教育体制には、藩校、私塾、寺子屋の種類がありました。
今回は、まず寺子屋のついて書いてゆきます。
この寺子屋教育は、今ある日本の教育だけではなく、科学、技術の発展基盤となっているのが、寺子屋制度にあったのではないかと言われています。
寺子屋は、江戸時代より以前からあったのですが、江戸時代には、広く一般庶民にも広がったことが、江戸時代の寺子屋の特徴なのです。
その制度は、世界にも注目され、日本ユネスコ協会連盟が実施しているのが「世界寺子屋運動」です。
国連もユネスコの主導で世界の子供たちが学校に通えるようにし、就学率の向上を計っています。
今日の絵は”ガーベラと一緒に” F6号
江戸時代の寺子屋では「読み、書き、そろばん(計算)」の基礎的な知識の習得にとどまらず、実生活のしつけや広く社会的なルールをも含め修身に必要とされる教育を総合的に行われていました。
1850年頃の日本の就学率は70~80%と言われ、明治初期には世界一だったそうです。
現在、世界でも行きたくても学校に行けない子供が7500万人もおり、学校に行けずに、大人になり、文字の読み書きが出来ない人たちの数は7億7600万人にも達しているということです。
江戸時代の寺子屋制度は、なにも幕府が制度を作った訳でもなく、支援している訳でもないのに、なぜこのように、寺子屋が一般庶民に行き渡ったのでしょうか?
このことを含め、次回はもう少し詳しく書いてゆきます。
(数値などは、平成21年7月15日付けの産経新聞を参照しました)