九州旅行も最終日、五日目となりました。
この日は、長崎に向け、最初の訪問先は、坂本龍馬が設立した亀山社中です。
長崎は坂が多いことで有名ですが、この亀山社中のある家も坂の途中にあります。
坂の上に風頭公園があり、我々一行は、そこまでバスで行きました。
そこからは、坂を下るだけで、そこの道は、龍馬通りと言われています。
坂の上の風頭公園に、長崎湾を眺めている龍馬像が立っています。
この一帯はまだ観光地とした様相はありません。
細い道が曲がりくねって続いており、龍馬通りからは、その辺りに住む人々の生活が見えます。
そこは、まったく普通の家です。
今年の大河ドラマは、「龍馬伝」で、これからのドラマの進行にしたがって、この地は益々多くの人が訪れることになることでしょうが、先にも述べたように、曲がりくねった細い路地では、人の行き交いもままならないと思われます。
龍馬通り沿いには、龍馬のブーツ像や亀山焼窯跡などがあり、坂を下がれば寺町があり、長崎市街地に出ます。
そこから、すぐ、メガネ橋があり、長崎らしい町並みが続きます。
龍馬通り メガネ橋 のどこかにハート石があります
亀山社中は、日本初の商社と言われており、薩摩藩の援助により龍馬が中心となって組織されました。
社中のメンバーには、神戸海軍操練所出身者が多く、航海技術を生かして物資の運搬や貿易の仲介を行いました。
それが、薩長連合へつながる役目をはたしてゆくのです。
その亀山社中も金銭的に行き詰まり解散しますが、その後、今度は土佐藩をスポンサーにして「海援隊」を結成します。
土佐を脱藩した龍馬は、土佐藩から見れば犯罪者ですが、倒幕勢力の中で重要かつ無視できないほど大きな存在になっていたのです。
龍馬と長崎の関係は、土佐を脱藩して勝海舟に入門した(1862年)龍馬が、海舟に同行して長崎に行ったのがきっかけでした。
その翌年の1865年(慶応元年)の夏に亀山社中を結成しています。
大浦天主堂(国宝だそうです) 日英の旗が・・・・グラバー邸
ちゃんぽんの発祥の店”四海楼” 大きなクリスマスツリーのある長崎駅
亀山社中からメガネ橋を見学して、後は、長崎観光の定番である天主堂、グラバー邸とまわり、天主堂下には、長崎ちゃんぽん発祥の店と言われる”四海楼”で、昼食のちゃんぽんを食べ、長崎、九州五日間の旅は終わりました。