山と道・野の花のこと

揺れずに咲く花がどこにあるだろうか
この世のどんなに美しい花も揺れながら咲くのだ
<ト・ジョンファン>

常念乗越・常念小屋@昭和36年7月の旅

2020-02-24 | 昭和時代の記録

この山旅は
縦走にしては写真の枚数が少ないので
35ミリの小さいカメラも持って
使い分けていたのかもしれません。
今のところ、この縦走に関する
他のネガフィルムは見つかっていないので
今回の記事で完結いたします。

横通岳から下りて
鞍部の常念乗越になります。(現在)


標高2450m


(写真は加工してメガネをつけてもらいました。)
横通岳と常念岳の山頂は広くなくて
道標には左が常念小屋と書いてあるので


この写真は
常念乗越で撮ったことにしておきます。

常念小屋に向かう写真が2枚あり


1枚目は
左側の登山者の視線の先に
子供を背負った男性と
その後ろを歩く女性が写っていました。


ドラマチックな写真ですが
何があったのかを知る方法はありません。

もう1枚は
常念小屋越しの大キレットです。


常念小屋のホームページにある山の形と
そっくりですので間違いないでしょう。


(現在)


最後の写真は、どこで撮ったのか
判別できる情報はありません。


常念岳の山頂から撮った写真がないので
これがそうなのかと
勝手に解釈しています。

常念岳はまだ未踏破なので、
写真の謎を解明する楽しみも増え
ぜひ挑戦したいと思います。
end


大天井岳・常念岳縦走@昭和36年7月の旅

2020-02-18 | 昭和時代の記録

ネガの袋には燕岳・常念岳縦走とあり
その割にはネガの枚数が少ないと思いましたが
縦走部分は槍ヶ岳の写真しかありませんでした。

私が以前、燕山荘から撮影した槍ヶ岳です。


これを基準にして、雪渓が右に移り
小槍がだんだん隠れていくので
縦走しているのがわかります。



これも私が以前、
燕岳から撮影した大天井岳です。


手前に表銀座の縦走路と
山頂の左に山小屋が見えます。

その後は
あまり目立たない山の写真が続き
何でこんな写真を撮ったのかと考えていたら
パノラマとして並べることを
思いつきました。

左から、穂高岳・大キレット・槍ヶ岳


このパノラマの左を撮ったものと思われる写真は
登山道の形が
大天井岳に似ているなぁと思いましたが


山の姿が違うので
ネットで時間をかけて調べたら
横通岳からの常念岳と判明しました。
決め手は
写真の下に見える山小屋です。
常念小屋でした。



したがってパノラマも
横通岳からのものと思われます。
ネットには横通岳からの写真が少なくて
時間がかかりましたが
おかげで
常念岳を登るときは
横通岳を登らなければならないこと
がわかりました。
絶景です。

つづく


ジャンダルム☆昭和35年8月の旅

2020-01-14 | 昭和時代の記録
私の知るこの写真を撮った者は
ある時期から
一切、山には行かなくなりました。
写真の袋には
前穂・奥穂・西穂・縦走
と書いてあったけれど、まさか
そんなはずはないと思っていました。
今回、調べてみて
事実だったことにとても驚いています。
若いからできたこと
年を重ねてもできること
今何ができるのかを考えさせられました。
旅の締めくくりは
ジャンダルムです。

奥穂高岳から見える
コップをひっくり返した形とは異なり
西穂高岳から見ると
塔のようにそびえています。
(ネットで検索し特定しました)

その斜面は
垂直な壁であり
乗り越えた満足感が伝わりました。
(左側)

(右側)

帰路の写真がありませんが
最後に
乗鞍岳を背景にした上高地・焼岳です。

昭和33年に歩いた道を
思い返しながら
帰ったことでしょう。
end

奥穂高岳☆昭和35年8月の旅

2020-01-12 | 昭和時代の記録
前穂高岳から奥穂高岳へは
吊尾根と呼ばれる稜線を歩きます。

向こう側の山の形が
前穂高岳のようですから
奥穂高岳から撮ったものと思われます。
見事なつり橋の形です。
奥穂高岳からの写真として4枚
槍ヶ岳

北穂高岳と明神岳

西穂高岳方面のジャンダルム

山頂部が雲に隠れているが
たぶん・・・笠ヶ岳

山の形は変わりませんねぇ
そして
この日の宿は
穂高小屋
(現在の穂高岳山荘)

建物の形がネットで調べたものと
違いますが
通路の形が似ているので
穂高岳山荘としました。
(拡大すると)

屋根の上に載っている白いものは
何でしょう?
つづく

前穂高岳・北尾根:コウモリの雪形☆昭和35年8月の旅

2020-01-08 | 昭和時代の記録
涸沢から大雪渓の先は
前穂高岳への上級者ルート
北尾根があります。
大雪渓のさらに上のコルの手前だと
思われる写真が3枚

1枚だけ
クライミング中の写真があり

ネットで調べたところ
特徴的な大きな岩の形から
前穂高岳Ⅲ峰の
取り付き付近と判明しました。
(Ⅲ峰の全容)
諏訪山岳会様のブログより

この写真の一番下の大きい岩の
下にいます。
その後は
広い山頂でくつろぐ人々

ケルンには
前穂頂上・3090.2
の文字が見えました。

その後の写真から
前穂高岳・北尾根の56のコルまでの
ノコギリ歯のような上級者ルートの
横からの眺め
その下には
コウモリの雪形が
ネガとなって現れています。
つづく


涸沢・テント場&大雪渓☆昭和35年8月の旅

2020-01-06 | 昭和時代の記録
横尾橋から、
しばらく写真はありません。
屏風岩を回り込んで涸沢に着くと
テレビでよく見た風景です。

涸沢岳に向かって右にある
北穂高岳の下にテント場。

拡大すると
すごい人の数です。

向かって左が
前穂高岳と大雪渓。

拡大すると
軽装の人ばかりで
スキーを担ぐ人も見えます。

テント場に帰ろうとする人。

その上には
奥穂高岳への道
ザイテングラートがあります。

拡大すると
写真右に険しい道が見えます。

涸沢ヒュッテで2泊し、
奥穂高岳は2日目の日帰りの往復
というルートであれば
重い荷物を3000mまで担がないで済むなぁと
正月の初夢は現実となるか
夏までにシミュレーションする
楽しみができました。
つづく

明神岳・徳沢園☆昭和35年8月の旅

2020-01-04 | 昭和時代の記録
何故か
いつも写真に出てくる明神岳。

岳沢を取り囲む人気の山々の中で
2931mもあるのに
穂高の名がつかず
正式な登山道すらなく
かわいそうな山です。
徳沢にある
徳沢園

昭和31年、朝日新聞に連載開始となった
井上靖の小説「氷壁」に登場する山の宿
平成5年に現在の建物に改築とあったが
外見は昭和35年とほとんど変わらない。

(上高地のホームページより)
明治時代に牧場から始まり
現在はテント場を併設する
ユニークな山の宿です。
大部屋にはカプセルルームも
あるそうです。
写真に撮っている宿は
行程上の宿泊地に適しており
ここにも泊まったと思われます。
横尾橋

昔のつり橋は皆同じような構造で
どこの橋か悩みます。
行程上の順番と
川幅、対岸の風景から
横尾橋としました。
真ん中あたりでは揺れが大きいのか
一人が立ち止まっています。

ザックが横に広く
荷物の出し入れにはよさそうですが
狭い山道では引っ掛かって危なそう。
ピッケルも大きくて重い。
現在の軽量化された装備が
ありがたいです。
つづく

振り出しは大正池☆昭和35年8月の旅

2020-01-03 | 昭和時代の記録
昔の写真の整理を
大晦日から始めて
ようやく1回分の旅の写真が
終わりました。
今回は35ミリのカラー写真と
白黒のブローニーの併用です。
カラーフィルムのネガは変色し
収納ホルダーにくっついた状態でしたので
撮影順を確認するくらいしか使えませんでした。
カラーの写真も束ねられていて
そろりそろりとはがしましたが
一部損傷しています。
ご理解ください。
行く先は告げずに
旅立ちますので
よろしければ、ご一緒ください。
途中で
判ってしまうかもしれませんが?
上高地の入り口は
また
大正池から始まりました。


朝もやの写真は
早朝に撮ったものでしょう。

つづく

西穂独標@上高地~西穂独標☆昭和33年11月

2019-12-18 | 昭和時代の記録
焼岳小屋から割谷山を越えて
西穂山荘までの写真は残っていません。
西穂山荘の辺りから
焼岳を振り返った写真です。

左奥は乗鞍岳です。

ウィキペディアの写真とほぼ同じ構図で
ここまで来ると
現在とほとんど変わりありません。
もう少し登ったところの写真には
大正池が写っていました。

(拡大すると)

大正池は現在より大きく見えます。

樹木の生長により
山の上からの眺めは時間を感じさせる
変化がありました。
西穂独標より見る西穂高岳山頂

撮影場所がわかるものは
ケルンしか写っていないので
断定はできませんが
撮った写真と
ネットで確認した画像比較により
西穂独標から撮影したものと
推定しました。
*
今年、上高地や焼岳に行ったことで
古い写真の整理が進みました。
新潟も暖冬のため
雪かき作業も少なそうです。
次はどこの整理をするか迷っています。
end

立ち枯れた樹木・焼岳小屋@上高地~西穂独標☆昭和33年11月

2019-12-16 | 昭和時代の記録
現在の西穂高岳の玄関である
新穂高ロープウェーは
昭和45年(1970年)開業で、
昭和33年には
まだ計画すらありませんでした。
上高地から登るのが主なルートです。
山のひだやに泊まったとすると
河童橋を通って中尾峠まで
南西にまっすぐ進んだのだと思います。

大正池は少しそれるので
帰りに寄ったのかも知れません。
登り始めは
普通の森が広がる風景ですが

*

雲間から大正池
*
焼岳小屋の周辺は
立ち枯れた樹木が林立し
異様な世界が広がっています。


初代焼岳小屋は昭和3年(1928年)開業。
中尾峠付近にありました。

 (部分を拡大)


(部分を拡大)

昭和37年(1962年)6月の水蒸気爆発により
小屋は大破し、4名の負傷者が出ました。
現在の小屋は新中尾峠にあります。

今年登った焼岳頂上から
見下ろした焼岳小屋です。
現在、周囲には森や草原が広がり
立ち枯れた当時の名残はありません。
西穂独標へつづく